伝説の始まり
一度ジークたちは庵に戻り、フェリも連れ立って村へ到着する。
教会ですら簡素な小さな村に、貴賓をもてなす館はない。
一番大きい(といっても他に比べて、だが)との理由だけで町長の家に使者一行を通した。遅れてジークがフェリとルナを引き連れて現れる。
「お久しぶりです、イザベラ先生。いえ、今はシャリエル司教長とお呼びすべきでしょうか」
「そう畏まらずとも、以前と同じように接してくださって構いませんよ。ああ、マティス。本当に久しぶりですね。お元気そうで安心しました」
立ち上がったのは美しい女性だった。
ウェーブがかかった金髪を揺らし、煌びやかな聖職衣に身を包む彼女は、かつて勇者や賢者を育成したイザベラ・シャリエルだ。
「先生こそお元気そうで何よりです。といっても、何度か手紙でやり取りさせてもらっていましたけど」
粗末なテーブルに向かい合って座る。ジークの隣にはルナが背筋をぴんと伸ばしていた。
イザベラが目配せすると、後ろに控えていた兵士たちが退室する。
「フェリ、君も――」
席を外すよう声をかけようとして、イザベラが制止する。
「構いませんよ。聞けば貴方に命を救われたとか。半獣人は魔王国でも迫害の対象と聞き及んでいます。恩ある貴方に不利益を与えはしないでしょう。積もる話で時間もかかります。お茶を淹れ替えるにも、ね?」
フェリは半魔族だ。いろいろ理由をつけて村では信用を得ている。教会に属するイザベラに対してもこまめに手紙を送ったのが幸いしたのか、悪感情は薄れているらしかった。
「ありがとうございます。それで、僕とルナにどのようなお話があるのでしょうか?」
イザベラはすでに用意してあったお茶をひと口含んでから告げる。
「まずはルナさん、貴女は来月の頭から聖都で英雄学院に通っていただきます」
英雄学院――この国の最高学府に当たる、次代の英雄を育てる学校だ。
正式名称は『王立レブリット特級騎士養成学院』で、聖王国のみならず諸外国からも優秀な人材を集め、剣や魔法に秀でた若者を鍛え上げる教育機関である。
目をぱちくりさせるルナに、ジークが声をかけた。
「僕が推薦したんだ。君の能力は辺境で埋もれさせるには惜しい、とね。にしてもイザベラ先生、『通う』とは決定事項ですか?」
「ええ、本来なら入学試験を受けていただきますが、彼女の能力はハーキム伯爵のお墨付きもいただきましたので」
以前、迷い黒竜の討伐を任されたハーキム伯爵の部隊が村を訪れた。その際ルナは、歴戦の勇士である彼と一騎打ちをして、その腕っぷしを認められる。
(ハーキム卿にルナを推薦するよう手紙を出しておいて正解だったな。でもまさか、入学試験を免除されるほどとはね。まだ彼は沈みきっていないらしい)
「と、都会に行くんですね。はい、わかりました。精いっぱいがんばります!」
ここまでは目論見どおり。
ルナの非凡な才能を埋もれさせたくない思いは当然あるが、ジーク一番の目的は――。
「そしてマティス、貴方は彼女の後見人として、聖都に戻ってきてください」
平民が騎士養成学院に通うには、いくつか条件がある。
そのうちのひとつが、『貴族が後見人となること』だった。
「僕が、ですか? しかし僕は犯罪者だ。僕は認めていませんけど、冤罪が晴れていない以上周りはそう見ます。加えて爵位は剥奪されていませんが、一代限りの男爵ですよ?」
狙いどおりの展開だが、謙虚な姿勢は見せておくべきだろう。
「後者については前例があります。前者についても、貴族議会や司教会議でも了承済みです。ただ……実のところルナさんは、暫定的にハーキム家が身柄を引き受け、その姓と準男爵位が与えられるのです」
「なんだかややこしいですね。でもまあ、なんとなくは理解しました。ハーキム卿は家名を貸す以外は何もさせず、実質的な後見人を僕に据えることで、ルナを通して卿と僕が結託して何かやらかすのを期待しているんですね、両議会の連中は」
「私の前であけすけなのは構いませんけれど、今後は言動に注意してくださいね? たしかに貴方がたの粗探しをしたいのは事実でしょう。ただお二人の監視を容易くし、こき使うのが主な理由であるように思います」
「となると、僕の就職も斡旋してくれるんですかね?」
悪戯っぽく笑うジークに、イザベラは苦笑を漏らす。
「ええ、魔法系の講義にひとつ空きができました。貴方には英雄学院で准教授に就いていただきます。以前のように、魔法研究での成果も期待しています」
もともと〝マティス・ルティウス〟は十九歳の若さで教授に抜擢されていた。
(今の僕の実力では、ひとつの講義を持つくらいがちょうどいいだろう。ボロが出てはこまるからね)
時間の自由もわりとありそうでもあり、断る理由はない。というか、議会で決まったなら断る選択は用意されていなかった。
「わかりました。ただ急なお話ですから、聖都ではまたイザベラ先生に頼らなくてはならないかもしれません」
「構いませんよ。些細なことでも相談してください。ああ、ですが――」
イザベラは真摯な瞳で教え子を見据える。
「くれぐれも軽率な行動は取らないように。貴方が冤罪であると私も信じて疑っていません。けれど貴方を危険視する者たちはいまだにいるのですから」
「……はい、肝に銘じておきます」
三日後、ジークとルナ、フェリの三人は慌ただしく村を後にした。
村民に見送られ、幌馬車の中で揺られる。
(ようやく、始まる……)
最強の勇者〝ジーク・アンドレアス〟の名と姿を捨てて三年。
彼の真なる目的は失墜した親友の名誉を回復させること。
そして本来なら彼が果たすはずだった偉業をいくつも打ち立て、伝説として歴史に名を刻むのだ。
むろん、親友を貶めた者たちへの誅罰もその一環だ。
小物連中は用済みになればいつでも糾弾できる用意はあるが、やはりもっとも難しく慎重にならざるを得ないのは、ここテリウム聖王国の象徴にして最高権力者、聖王ジルベール・テリウム。
勇者暗殺の命を下した、もっとも罪深き男だ。
(あの男の罪を白日の下に晒し、世界が納得するかたちで〝マティス〟の冤罪を晴らす)
道のりは長い。
しかしやると決めたからには、やり遂げるまでだ。
「せ、先生、わたし、ちゃんとついていけるでしょうか? 英雄学院ってすごい人たちばかりの集まりなんですよね? ぅぅ……」
ルナは涙目になってお腹の辺りを押さえている。
「大丈夫だよ。君は優秀だからね。でも、うん。不安なのは魔法をほとんど使えないからじゃない? いままで基礎の基礎しか教えてなかったからね。というわけで、道中でいくつか魔法を教えよう。学院中の度肝を抜いてやるといい」
「魔法ですか!? やったー! ぁ、でも度肝を抜くとかちょっと難易度高すぎな気が……」
またも胃の辺りを押さえて消沈するも、ルナはむんっと気合を入れた。
「いえ、先生のためにも、自分のためにも、わたしがんばります!」
「うん、僕もがんばるよ」
ジークの頬が緩む、夏の終わり。
それは秋の始まりであり、偽りの賢者が伝説を築く始まりでもあった――。




