2. ドルドレン・ダヴァートより
ふむ。イーアンに改めて書いてもらうに、これで良いものか。
ドルドレンは、執務の騎士に手綱を緩めてもらった午後。朝方、イーアンに書くようにと言われた『お返事』を書き上げた。
「なかなか難しいな。相手が誰なのか、見てもいない。それに、何を望んでいるのか。読んでもらった文だけを思い起こせば、言葉に包んだ静かな誠実さのある愛情は、理解するものの」
会ってみないと難しいね、と頷くドルドレン。『俺の言葉がどう伝わるのか。それも気になってきた』執務の騎士に、しょっちゅうダメ出しを食らっている心の傷から、何となく気後れ。
「しかしな。俺は知らないが、誰かがどこかで。
イーアンの母国語ということは、もしかするとイーアンの知人の誰かであるとも、それは大袈裟ではない。
遠くイーアンの来た場所から、俺たちを応援していると思えば、それは凄いことなのだ。だって、彼の者からすれば、俺たちは赤の他人である。それを励ますとは」
空も地下も。最近は驚くことばかりだけれど、まさか違う世界からも、そんな可能性が出てくるとは。ドルドレンは頭を振りながら、まだ本当のことは分からないなりにも感心する。
ドルドレンは、何度か書き直した結果。
一枚の紙に、自分の感じたことを表現するには、これが良いかと思った文を書いた。それは馬車の歌にも似て、少し詩吟のような文に仕上がった。
『心優しい者よ。
喜びと悲しみの狭間を知る、叡智高き源の心に触れる者よ。
対である天秤の、軸たる基礎さえ釣鐘の揺れと知り、しかしそれさえ、憂いとも癒しの音とも得られる、安らぎの魂よ。
あなたはそれを知っていた。
喜びの酒を受ける聖杯は、灼熱の竈で焼かれた時間を経た、産物であることを。
安心を満たす憩いの家は、鋭い刃物で削られた木々の与えた姿であることを。
それは常に対になり、時として同じ微笑の元に近づき、触れた時に熱を想うかどうか。
あなたは魂の泉に手を浸す者。
悲しみに浸された手は、かつて喜びを知っていたからこそ、溢れる涙であることを知る。
喜びの泉をのぞきこめば、その澄んだ水の底に遥か昔に手に入れた悲しみが、朽ちた鍵として横たわるのを見る。
この二つの宝を、宝と知りながらも、時に一つを手で覆い隠し、時に一つを高々と掲げることに、賢いあなたの内側は、どちらも、劣ることも勝ることもない存在であることを知っている。
受け入れ、得て、育てて歩くことを教える旅路の隠者。
言葉にして風に乗せ、弱る魂に穏やかな風を送る時には。
あなたは対なる皿が奏でる天秤の音を聴きながらも、苦しむ者を励まし、勇気付け、歩き出す靴を与えるのではなく、顔を上げて見つめる虹を空にかけるのだろう。
泣く顔に微笑を戻し、苦しみには光の扉があることを伝える、金と銀に飾られたその両手に、心から敬意を表し、この言葉を贈る。
太陽の民ドルドレン・ダヴァート』
悲しむ誰かを慰める言葉よりも、悲しむ誰かを支えて力を与えるような言葉に感じたドルドレンには、それに感じ入った心を、正直に伝えることが返事になると思えた。
身も知らぬ誰かを励ませる。それは素晴らしいだけに留まらない。それが出来るほどの痛みを知り、悲しさや苦しみを超え、そこで立ち止まらずに進んだ、恐れを知ってこその魂であることを感じる。
「ちょっと。歌のようなのだ。ジジイの影響かも知れん」
でも、良いよねと自分で納得。イーアンに読んで、食後に書いてもらおうと思うドルドレンだった。