side.L 第18話:宇水さんの演奏を聴くわ 後半
心地良いピアノの音色が反響し、時折それが止んで専門用語が飛び交う大部屋。私は並べられた椅子の一つに座り、黙ってそれらの音を聞きつつ宇水さんの様子を観察していた。とは言っても、時間の半分くらいはピアノの音色の美しさに意識を持っていかれてしまったのだけれど。でも、ピアノを弾く宇水さんが時たま微かだけど口元を緩ませて今まで見たことがない楽しそうな顔をしていたのを私は見逃してないわよ。それを見る限り、人の心を失ってしまっているという訳では無さそうね。
そうやって暫く時間を過ごしていると宇水さんが、お手洗いに行ってくる、と言って立ち上がり部屋を出ていったわ。時間を確認すると、時刻は18時になっていて、既に2時間近くもこうしてピアノを聴いていたことに気付いたわ。もう夕食の時間になるだろうから、これ以上長居することはできないわね。ダメ元ではあったけれど、この機会を有効に扱えなかったのが残念だわ。でも、収穫が0だったわけじゃないし、また別の機会を狙うことにしようかしら。
「恵さん、今日はもういい時間ですし俺は帰ることにします。俺の変な頼みを受け入れてくれてありがとうございました」
「待って、海入君。君とは少し話したいことがあるの。神楽が居ない今のうちにね」
帰りの挨拶をした私を恵さんが引き留めた。話って何かしら?私、この人に何だか苦手意識が生まれてしまっているのよね。優しい雰囲気なのに、その雰囲気に当てられると何故か怯んでしまうの。でも、宇水さんについての重要そうな話だから聞かないわけにはいかないわよね。
「話したいこと?一体何ですか」
「簡単に言えば、学校での神楽の様子について、ね。あの子、高校に入学してからは一度も友達と遊んでいないし、学校での生活が上手くいっていないんじゃないかと思っているわ。そしてこの間、そんな神楽が友達と勉強をするからレッスンの時間を遅らせてと急に言ってきた日があったのよ。その日は何故か神楽は早く帰って来たけど、その異質な日から間を置かずに今度は君が家に来た。これって、あの日学校で神楽が会っていたのは君ってことで合っているかしら?」
真剣な顔つきで私に問う恵さん。学校での勉強会、それは間違いなく私と姫子と神楽でやる予定だったアレよね。
「それって8日前のことですよね。それなら俺と神楽さんと、友達の姫子と一緒に勉強会をする予定でしたよ。神楽さんは俺に何か思うところがあったみたいですけど、少し話したら興味を無くしたみたいで彼女はすぐに帰ってしまいました」
ほぼ確信レベルでバレているみたいだし、ここはそのまま正直に話した方が良いわよね。別に恵さんも怒っているというわけではないみたいだし。
「そう、やっぱり君だったのね。姫子ちゃんともまだ関係が続いているのは安心したわ。でも、あの日学校でそんなことがあったなんてね。あの子、私の前ではほとんど弱みを見せないけれど、あの日はレッスンにも身が入っていなくておかしいと感じたのよ。そうね、あの子が帰ってくるまで時間がないし、後は君が知っている限りの学校での神楽のことを教えてくれないかしら?」
姫子のことは知っているのね。中学校からの友達でその頃は神楽も普通の子だったのだから家に来ていてもおかしくないわね。
というか、私が知っている神楽の事なんてこの間のことと1年生の時の海入の記憶にある断片的なものしかないのだけれど・・・。それでもいいならと、私は私が知る全てを話したわ。
「・・・そう、学校では誰とも話さないで一人で居るのね。私があの子にピアノを押し付けてしまったのが悪かったのかしら。学校の他の子たちとは全く別の道を行かせてしまったから・・・。親のエゴでやりたくもないことをやらせてしまって、あの子を苦しめてしまっているのなら、私は母親として失格よね」
恵さんは顔を俯かせて自分を責めだした。そんなことを私に言われても、あなたたちがどうやって生きてきたのか知らないからどうとも言えないわよ。
でも、さっきのピアノ練習を見ていたから、一つ自信をもって間違っていると言えることがあるわ。
「そういう訳じゃないと思いますよ。さっきピアノを弾いていた神楽さんは俺が今まで見たことも無い、楽しそうな表情を浮かべていました。だから、神楽さんはピアノを弾くことは好きなんだと思います」
あの楽しそうな表情に偽りがなければだけれど。
「そうだったの・・・?。私には近すぎて、あの子の表情の変化にも気付けていなかったのかしら。あの子がピアノを楽しんでくれているのなら、私は嬉しいのだけれど。
それにしても、君は随分と神楽のことを気にかけてくれているのね。君もあの子に冷たくされた内の一人なのに」
少し元気になった恵さんは、私がまだ神楽の相手をしていることが不思議な様子でそう言った。
「まあ、あれから姫子がかなり元気が無くて、それを何とかするには神楽さんに心を開いてもらうしかないと思ったので」
「あら、本当にそれだけなのかしら?君は神楽本人に対して特別な気持ちがあるのだと思っていたのだけれど。まあそれはいいわ、君に一つお願いがあるの。二人で話す時間は作るから、君が言うようにあの子に何とか心を開かせてあげて欲しいのよ。本当は親の私がやるべきなのだろうけれど、あの子は私の前では弱みを見せないから・・・。でも、君にならできそうな気がするの。上手くいかなくてもいいから、やるだけやってみてもらえないかしら?」
特別な気持ちって何の事?まあ宇水さんにはずっとモヤモヤさせられっぱなしだから有る意味特別な気持ちかもしれないわね。
まあそれはいいとして、私も随分と買われたものね。元より私も宇水さんと話をしたかったのだから、お膳立てしてもらえるなら好都合だわ。
そう考え私は恵さんの頼みを承諾した。
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