厨房を見学します
ありがたいことに厨房の見学はあっさり許可された。
もちろん『刃物などに触ったり、料理人の邪魔をしたりせず、隅で大人しく』という真っ当な条件付きだけど。
まぁもともとシトラスのもっとすごいワガママに振り回されていたことを考えると今回のお願いは妙なものとは言えお安い御用な方か。
「わぁ・・・っ!」
厨房へ足を踏み入れた私は思わず感嘆してしまった。
なんて広い厨房なんだろう。いや、きっと王城の厨房などに比べたらこじんまりとしているのだろうが、何せ思い出して比べてしまうのは前世のキッチン。特に裕福な家庭に生まれたわけじゃなかったので一般的な『一人暮らしの学生の部屋にあるものよりは広いよね』程度のキッチンしか知らない。
そして食い意地が張ってるとバレているので改めて言う必要もないと思うが、前世の私は料理が好きだった。
別にプロとして老舗の小料理屋や三ツ星レストランで働いていたわけじゃない。普通に事務系の仕事をして生きる中で毎日自分の口に入れる食事を楽しんで作るだけだ。休みの日には自分で餃子を包んだり、カレーやクリームシチューを市販の固形ルーのお世話にならず作ってみたりするくらいには好きだった。『食べたい』という欲望の忠実な僕だったとも言える。だから広々として色々な調理器具の並んでいる厨房を見てテンションが上がってしまったのだ。
「シトラス様、ようこそ厨房へ」
厨房の入り口に立つ私に一人の男性が歩み寄ってきた。お父様と同じくらいの年格好で、白いコックコートに身を包んでいる。とても物腰柔らかな笑顔を浮かべて、小さい私が目線を合わせやすいように身を少し屈めていた。
「料理長を務めております、ジルと申します。片付けの行き届いていないところもあるかもしれませんが、どうぞごゆっくりご見学ください」
「ありがとうございます。お仕事の邪魔にならないように気をつけますのでこちらこそよろしくお願いします」
ジル料理長の言葉に私は笑顔でお辞儀をした。ジル料理長は一瞬小さく目を見開いたが、すぐに元の笑顔に戻った。
「私にそのように謙ることはないですよ」
あ、またやってしまった。
「あ、えっと・・・でもいつもとても美味しい食事を用意してもらえて本当に感謝しています。あんなに美味しいものを毎日・・・尊敬しかありません。だからあんまり・・・その・・・・・」
身分的には私の方が上かもしれないけど、相手は年上、人生の先輩じゃん。しかも初対面。ベルは前世を思い出す前からずっと傍にいてくれて敬語なんて使ってこなかったからタメ語でもまだ違和感少ないんだけど、本当は年上相手に敬語じゃないのってすごく変な感じなのよね。こちらの世界では貴族なのに使用人に対して敬語ってのが変なのはわかってるんだけどどうにもこうにも。しかもこのジル料理長ってどことなく気品が漂ってる気がしてなおさらタメ語とか無理。
でもやっぱりこの感覚はこの世界からすると異質なわけで。
あぁ、なんか微妙な空気漂っちゃってる。どうしよ。
「・・・シトラス様にそのように言っていただけて光栄です」
気まずくて俯いてると優しい声が降ってきた。思わず顔を上げるとジル料理長が微笑んでいる。
「こんなことを申し上げるのは不敬かもしれませんが、シトラス様のその、どんな相手でも敬う姿勢はとても尊いと思います。シトラス様にそのように接していただけるならシトラス様のそのお気持ちに恥じないよう、これからも精進してまいります」
「では、どうぞご見学ください」と言ってジル料理長は持ち場へと戻っていった。
なんて紳士。惚れる。