【番外編】彼女のおかげで(ライセ視点)
読んでくださっている方、更新を待っていてくださっている方、この度は更新が大幅に遅れてしまい、大変申し訳ございません。
今回更新分がどうにも納得のいくように書けず、熟考しては書き直し、進めては練り直ししているうちに気づいたら自分でも驚くほど更新が滞っていてお恥ずかしい限りです。
本当にこれで良いのだろうかと不安な気持ちは拭いきれていないですが、ようやく今回更新できました。
今回更新分も前回同様、もしくはそれ以上に長いですが、途中で章を分けると微妙なので、久しぶりの更新だからということでこのボリュームを楽しんでいただければと思います。
これからは以前と同じようなペースで更新したい・・・できれば年内完結までいきたい・・・などと考えているのでがんばります!
どうぞこれからもよろしくお願いします!!
また後で料理の追加をするために来ると言い残してシトラスが父上の執務室から出ていった。給仕係もすでに出ていっていたのでこの部屋には父上と母上と俺の三人だけ。世間でいうところの『家族水入らず』のはずなのになんとなく息苦しさを覚えるのは俺だけか。
先ほどはシトラスに挨拶をしていたため愛想良く微笑んでいた母上も父上に対して何か言いたげな様子だが困ったような顔をするばかりで何も言わない。父上も珍しくどことなく落ち着きがないように見える。
なんだか、家族として終わっている気がするな。
俺は父上達に気づかれないよう小さくため息を吐いた。
十日ほど前、シトラスに背中を押される形で母上に相談し、父上に手紙を送った。『ご多忙のことと承知しておりますが、こちらから王城へ伺いますので食事に同席させていただけませんでしょうか?』と。膨大な書類や手紙に紛れて返事どころか読まれることすらないかもしれないとどこか諦めたような気持ちだったが、予想に反してすぐに父上から了承の返事があった。正直ちょっと驚いた。
父上から了承してもらったとシトラスに報告した時、彼女は我が事のように喜んでいた。そして「ヒスイ国の料理で家族団欒にぴったりなものがあります。もし料理などについて何もお決めになっていないのでしたら、その料理を試してみませんか?」と力強く提案された。今回は父上と話すことが目的だから、料理内容に関して特にこだわりはなかったのでシトラスの意見に従うことにした。そのシトラスおすすめの料理が目の前にあるこの『みぞれ鍋』というものらしい。色とりどりの野菜や肉がすべて同じ鍋にぎゅうぎゅうに詰め込まれて煮込んである。その上に大根おろしで作られた三羽のうさぎ。大きな二羽が寄り添い、間に小さな一羽がいるという、わかりやすく『家族』を表しているものだ。
「・・・熱々が命である料理だとシトラスが言っていました。食べませんか?」
俺がそう切り出すと、止まっていた時が動き出したかのように父上と母上が一瞬俺を見て、それぞれ席についた。
「あ、あぁ・・・そうだな。いただこう」
「そうね。でもこの可愛いうさぎを崩してしまうのはなんだかちょっとかわいそう」
「・・・大切に食べれば良いのだと思います。食材すべて、命なのですから」
俺の言葉に二人は少し驚いたような顔をして、その後ふっと表情を和らげた。
「その通りだな。ありがたく、頂戴しよう」
いつもなら給仕係がそれぞれの前菜やスープ、メインやデザートを順番に運んでくるが、この料理は全員で同じ鍋から自分達の手で分け合って食べる作法らしい。普段給仕係にすべてを委ねている俺達からするととても斬新だった。まず父上からレードルを手にして器にキャベツやら鶏肉やらを盛る。その後レードルを母上に手渡すのかと思ったら、盛り付けた器を母上の前に置いた。母上は少し戸惑いながら「ありがとうございます」と言い、「ヒューゴ様の分は私がお入れします」と慌てるようにレードルへ手を伸ばした。けれど父上が静かに制止し、次は俺の分を器に盛って渡してくれた。
「ありがとうございます。・・・次は、私がお入れします」
俺がそう言うと、父上は少し照れくさそうなぎこちない表情で「では、次は任せる」と小さく頷いた。
器から上る湯気が鼻をくすぐる。初めて目にするものだが、ずいぶんと食欲を掻き立てられる香りだ。
父上が自分の分を入れ終えたのでそれぞれフォークやスプーンを持ち、料理を口に運んだ。口に入れたとたん、食材のうまみが集まった出汁が野菜や肉からあふれ出す。
「うまい・・・っ」
「美味しい・・・っ」
俺が思ったことを父上と母上が同時に口にする。タイミングを合わせようとしたわけではないのに思わずこぼれた声が偶然重なった。そのことに気づいた二人は顔を見合わせ、次の瞬間おかしそうに微笑った。さっきまでのぎこちない、家族らしくない距離を感じる雰囲気などではなく、肩の力が抜けたような空気。
「そういえば、こうして三人で食事をするのはいつぶりか・・・」
「給仕係がいつもいることを考えれば、初めてのことじゃありませんか?」
「そういえば、そうか」
父上がしみじみとこぼした言葉を母上が受け、また父上が返す。何をそんなあたりまえなことをと思われるかもしれないが、俺が二人のなんてことない会話を目の当たりにするのは本当に久しぶりで、前回がどれほど前だったのか思い出せないくらいだ。
「・・・少し、働きすぎではありませんか?お身体が、心配です」
キャベツが特に美味しいだの豆腐なるものは初めて食べただの他愛のない感想の応酬があった後、母上がふとそう言った。
「・・・心配をかけて、すまない。たしかにこんなまともに家へ帰れないなど異常だとわかってはいるんだがな。何分片づけた次の瞬間またそれ以上の量の仕事が積んであったりしていてなかなか・・・」
母上の言葉に父上は申し訳なさそうに言った。
仕事量が多い―――――それは事実なのだろう。だが果たしてそれだけなのだろうか。たしかに仕事量は多いだろうが、父上の実力をもってすればこんなにも家に帰ってこられないということはないだろうに思う。かと言って、父上が母上以外の女性と、などという心配もまったくない。いかなる立場の、どんな年齢層の女性であっても二人きりで部屋に籠もることはないよう徹底しているという話は聞いている。そして、今目の前で見ていても、父上が母上を大切に想っていることは感じた。それならば、家に帰りたがらない理由が他にあるとすれば―――――。
「父上が家になかなか戻られないのは、私が不出来だからでしょうか?」
前々から思っていた疑問を口にする。以前、父上と母上はとても仲睦まじいと耳にした。けれど、俺は多忙のあまり家に滅多と帰らない父上しか知らない。ということは、俺が不出来で俺に会うのを避けているのではないのか。もしそうだとしたら納得がいく。
口からなんとか言葉にしたものの、答えを知りたいような知りたくないような矛盾めいた緊張感で胃から何かせり上がってくるような心地がした。温かいものを食べているのに指先が冷たく感じる。
「おまえが不出来?誰かにそう言われたのか?」
返ってきた父上の言葉に恐る恐る視線を上げると、眉間に皺を寄せている父上の顔があった。表情の意図が汲み取れないながらも、慌てて首を横に振った。
「いえ、そういうわけでは・・・けれど、父上ともあろう方がいくら多忙とはいえこんなにも家に帰られないのは帰りたくない理由があるのかと・・・」
「・・・それが、おまえだと?」
父上の眉間から皺が消えた。どうやら怒りの要素はなくなったようだ。それでもひどく困惑している様子は変わらない。
「・・・私が生まれる前はもっと帰宅されていたと聞いたことがあります。それに、先日王城内ですれ違った際挨拶も・・・」
我ながら脈絡が整ってないなとわかっているが、思いつくままに言葉を口に出す。そんな俺と、あいかわらず呆然としている父上を交互に見た母上はおかしそうに微笑った。
「ヒューゴ様、何やら誤解を受けておられるようですね」
「・・・そのようだな」
「まぁ仕方ありませんわ。私ですら、今日お会いするのが久しぶりすぎて少し緊張してしまったくらいですから」
「・・・そうだな」
母上にそう言われ、父上は気まずそうに小さく咳払いをした。そして改めて背筋を伸ばし、真剣な面持ちで俺を真っ直ぐ見る。
「ライセ、何を勘違いしているのかは知らないが、私はおまえを不出来だと思ったことはただの一瞬もない」
父上の一言は聞きたかった答えだったが、てっきり俺が不出来だからだと思っていた俺にとっては予想外な部分もあり、言葉が喉に詰まってうまく出てこない。
父上が続きを話そうとしたところでシトラスが追加の料理のため一度鍋を取りにやってきた。部屋の空気を読み取ったのか、シトラスは「ご歓談のところお邪魔し、申し訳ありません。追加のお料理はすぐにお持ち致します」と殊勝な様子で部屋を後にした。すぐ戻ってくるとのことだったので先ほどの話を深く掘り下げるのも憚られ、「次はどんな料理かしら」と母上が小さく言った言葉に相槌をうちつつ料理を待つことにする。シトラスは本当にすぐ戻ってきて料理を置き去った。
シトラスが部屋を出て扉が閉まると、母上が俺の名を呼んだ。
「ライセ、貴方のお父様は本当に忙しい。それは、仕事は色々あるけれど、主にこの国の教育制度を大々的に見直したからなの」
「それは、存じております・・・」
そのことは俺自身も父上をとても尊敬している点だ。そして、父上と自分の力量の途方もないほどの差に辟易している点でもある。
「そうね。これはあまりにも有名なお話だもの。じゃあ、どうして教育制度を見直したのかは、わかるかしら?」
「教育制度を見直すことで国民の教育水準が上がれば、国民の労働力や生産力の質が向上して、この国をもっと繁栄させることができるからではないのですか?」
「概ね、そうよ。じゃあ、それは誰のために始めようとしたと思う?」
「・・・国民のためですか?それとも王族・・・」
「私達が結婚して、生まれてくるであろう子供・・・つまり、貴方のためよ、ライセ」
信じられない、と父上の顔を見ると、父上はすごく真面目な顔で口を開いた。
「ダイアモンド国はその歴史も規模も、あらゆる面で他国とは一線を引く存在だ。しかし、今後さらなる発展を継続していくことは難しいともされていた。衰退しなければ良い、現状維持でもかまわないという意見もあった。けれど、この世に現状のまま変わらないものなどない。衰退しないよう努めることはもちろん、たとえ少しずつでも発展していくことが大事だと考えていた。自分の子供には、より良い国を託したい、とね。それで教育制度を見直せば、国民の教育水準を上げられ、国の発展に還元できるんじゃないかと思ったんだ」
想定外の壮大な話に頭も心も追いつかなかった。そんな俺に母上は悪戯っぽく笑いかける。
「自分の子供のためにここまでする方なんて、なかなかいないでしょう?ライセ」
「・・・でも、じゃあこの前の挨拶は・・・?」
俺の質問に父上はぎくりとした顔をした後、さりげなく視線を俺から外した。
「いや、それはその・・・なんだ、不意打ちで久しぶりにおまえの姿を見て、また、大きくなったなと、思って・・・」
「思って・・・?」
「・・・・・・・ちょっと、泣きそうに・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・え?」
思ってもみなかった答えにただただ呆然としていると母上はおかしそうに笑った。
「ふふ、ヒューゴ様ったら、あいかわらず涙もろくていらして・・・。ライセ、貴方が生まれた時もヒューゴ様は号泣されてたのよ?」
「ティファッ、それは・・・仕方ないだろう。待望だったんだぞ」
父上は照れを隠すように眼鏡のブリッジを右手中指で押し上げる。そして改めて俺に向き直ると晴れやかに微笑った。
「これからは、仕事をもっと部下に割り振って家に帰るようにする。息子のために自分で全部こなそうと思っていたが、それで息子に会う時間がなくなるなんて本末転倒も甚だしいからな」
鼻の奥がツンとして、視界がぼやける。
自分が不出来で、愛想をつかされたから家に帰ってこないのだと思っていた。こんなに、こんなにも想っていてもらえていたなんて、思いもしなかったんだ。
彼女が鍋に残っていたスープを使って作ってきたというリゾットはうまみたっぷりで、わりとおなかいっぱいになっていたはずなのにするすると口に入った。
大げさじゃなくて、今夜のリゾットは俺が今まで食べた料理の中で一番美味しくて、忘れられないものになった。
父上達と食事を終えてシトラスのいる応接室へ向かい礼を言うと、彼女はとても嬉しそうな顔をした。思わず柄にもなく手を軽く上げて挨拶をすると笑顔で手を振り返してくれた。そのことがなんだがひどくくすぐったい。
シトラスを乗せた馬車が見えなくなった頃、俺は先日エリクと交わした会話を思い出していた。
「好ましく想っている子がいるんだ」
何故昔からの習わし通りに婚約者を決めないのか。そう尋ねた時、エリクは困ったように微笑みながら言った。
「それならなおさら婚約を申し込めば・・・立場的に難しい子なのか?」
「いや、王族の婚約者としては何も問題ない。正直、俺の立場をもってすればすんなり婚約はできるだろう」
「じゃあ・・・」
「でも、俺はそんなことしたくないんだ。王族として、ずいぶん自分勝手なことを言っているのはわかっている。ただ、俺が王族として彼女を手に入れてしまったら、たとえ彼女が俺に好意を抱いていなくても従わざるを得ないだろう?そんな、彼女の心を無視するようなことはしたくない。心が、彼女の何よりの魅力だと思うから。それに、大事な友人二人の気持ちを踏み躙ることになることもしたくない。俺は、彼らも大事にしていきたいんだよ。だから、彼女自身の意志で俺の手をとってもらえるよう、彼らと並んで正々堂々努力をしたいと思ってね。・・・ライセは違うようだから話したけど、これはステュとリムには内緒にしといてくれないか」
そう言って敢えて子供っぽく人差し指を口元に当てて微笑んだ友人の顔を見た記憶は今でも鮮明だ。
「・・・・・まいったな」
自分の他に誰もいないのに、気まずい気分で長く息を吐いた。
こんなつもりじゃなかったのに。
翌朝ふと目が覚めると自分の部屋のものではない天井に一瞬驚いたが、すぐに昨夜そのまま父上の執務室に備え付けられた寝室へベッドを二つ追加し、母上とともに泊まったことを思い出した。視線を横に向けると母上の眠るベッド、その向こうには父上の寝ているベッドが見えた。
家族全員同じ部屋で就寝なんて初めてだな。
そんな事実に妙な気恥ずかしさを感じていると父上と母上も起きたので三人で王城の食堂にて朝食をとった。
食堂を出ると、エリクとステュアートが待っていた。
「急ぎの用がないなら少し話さないか?」
エリクとステュアートとともに外へ出ると辺り一面銀世界だった。歩くたびに雪のサクサクという音が耳に届いて、呼吸をするたびに冷たい空気が身体を澄み渡らせて白い息へと変わる。
エリクとステュアートは特に昨日のことについて尋ねてくることはなく、ただ普段通りとりとめのない会話をするだけだった。けれど、言うべきことは言わねば。
「エリク、ステュ、昨日は色々取り計らってくれてありがとう」
厨房も応接室も父上の執務室へ運んだベッドも、すべてエリクとステュアートが手配してくれた。礼を言うと二人は笑みを深める。
「たいしたことはしていない。もともとヒューゴ殿を働かせすぎているこちらが問題なのだから、これからはそこを改善していかないとな。それにしても、もっとはやくこうすればよかったな」
「あいかわらず斬新な提案をするよな、シトラスって」
たしかに、今回の件は彼女の忌憚ない意見のおかげだ。屈託のない笑顔が脳裏に浮かぶ。
「・・・シトラスには感謝しないとね」
俺がそう言うとエリクとステュアートが目を見開いて白黒させていた。ステュアートが口をパクパクさせながらなんとか言葉を絞り出す。
「ライセおまえ、まさかシトラスのこと・・・」
「・・・なに?よく聞こえなかったんだけど」
「・・・いや、なんでもない」
「そう?なら良いけど」
「・・・・・まさかライセまで・・・」
「・・・・・ライバル全員手強すぎだろう・・・」
なんでもないと言うから気にせず歩みを進めているとエリクとステュアートが複雑な苦笑いで何やらぼそぼそと呟いていたが、聞こえないふりをした。
積極的に肯定するのは性分じゃないけど、否定しといて後から出し抜くなんて真似、俺はしたくないからね。




