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 日差しが雲で隠されたお昼前、人通りの多い繁華街を避けてセジュール川沿いの土手を下る。

「ミルデハルト伯爵邸ではどのようなことを?」

 愛想を振りまく質ではないのだろう。カイナルの少ない言葉に気遣いを感じて、シュリアは柄にもなく饒舌になる。

「今はまだ、手が足りないと言われる所に行く、という感じです。侍女長様によると、私のお仕事は他にあるそうなのです。なかなかお忙しい方なので、どんなお仕事かもまだ分からなくて」

「サリエル夫人は全てを一人でこなしてしまいますから、やむを得ませんね」

 お貴族様の顔を見ないよう気を利かせていたが、出てきた個人名に隣を見上げた。頭一つ分は高いところにある澄んだ黒い双眸も、シュリアの方を見下ろしている。

「本当によくご存知ですね。サリエル夫人のことまで」

「あの屋敷の書庫は、王立図書館にも引けを取らない貴重な書物が保管されていますから。親戚の特権で、よくお邪魔していました」

「じゃあ、カイナル様の方こそ博学でいらっしゃる!」

 先日の言葉をそのまま返すと、カイナルは小さく笑った。

「博学かどうかは分かりませんが」

「遠いご親戚でしたっけ」

「五代目当主の弟が、何かの功績で褒賞を賜って分家したのが我が家の興りです。サリエル夫人のご実家もそうです。あの家には似たような分家が多いのですよ」

 記憶が正しければ、五代目当主の弟は青い瞳の四代目当主の弟でもある。確認の意味で尋ねると、あっさりと首肯された。

「肖像画をご覧になったのですね。我が家の始祖は黒い瞳です」

 ミルデハルト伯爵家に青い瞳が現れたというライナルシア王家の基盤を揺るがす大事件は、四百年を経た今でも貴族社会で忘れられることはない。

「それでも肖像画に青色を残したのだから、心の強い人だったのでしょうね。私ならば、保身のために黒で塗らせるところです」

 冗談めかして喋っているが、シュリアも同じ意見だ。後世に残す肖像画だからこそ、波風が立たないようにしておきたい。

 お互いに口を噤んでしまったところで、そう言えばと切り出したのはカイナルだ。

「先日、ミルデハルト伯爵邸の人手不足の理由を尋ねられましたね」

「はい。詳しい理由は分からないと、お答えいただきました」

「四代目当主の件があって、王家の顔色を窺った貴族たちはあの家と距離を置いたそうです。そしてミルデハルト伯爵家も、派手を慎み他家と距離を置きました。ですから、正しく言うと人手がかからないのです」

「…四代目のご当主様は、本当に魔力をお持ちだったのですか?」

「例え魔力があっても公にはしないでしょうから、墓を暴いても真相は謎でしょうね」

(墓を暴くって…)

 随分とざっくばらんなお貴族様だ。

 カイナル=ザックハルトは、あのルミエフが気にかけるだけあって真面目で、いい人である。しかも、貴族令嬢を相手にしているかのような気遣いをシュリアにも見せる。時折、何気ない所作に平民との違いを感じるが、本人が身分差を気にする素振りもない。

(制帽もないし、貴族でさえなければ姉さんが放っておかなかったわね)

「それと、これは噂の域を出ませんが。満月の夜に例の肖像画の廊下から泣き声が聞こえるとか、月のない夜に四代目当主の瞳の色が変わるとか」

「ちょっと待ってください!」

 真面目な顔で突然始まった怪談話に、カイナルの腕を思わず掴んだ。

「それって噂ですよね?」

「噂ですよ。ただ、そのような事態に直面した貴族の子女は耐えられないので、侍女が少ないのだそうです」

 サリエル夫人に聞きましたと、最後に付け加えられた一言が醸し出す現実味の、何と凄まじいことか。

「私は、昼間だけのお勤めですから!」

 シュリアの顔には、だから絶対大丈夫と書かれている。カイナルの腕を掴む力も強くなった。

 それに気付いていながら、知らぬ振りで話を続けるカイナルは。

「あの廊下には、近付かない方が良いですよ」

 シュリアの茶色い瞳が見開かれるのを、笑いを噛み殺して見ていた。

 突っ張るような表情筋の動きにシュリアが気付く。

「まさか、からかいましたね!」

「あまりに素直に聞いてくださるので、つい」

 自分の腕から手を外させて、にこやかに笑う。それは、社交界で物事を煙に巻く偽りの顔だったが。

「あなた、いくらお貴族様でも私より年下でしょう!」

 悲鳴にも似た物言いが、微笑を本物にすり替えた。

 興奮するシュリアとは対照的に、落ち着いた声でカイナルが続ける。

「これで、私が貴族だからと引け目を感じることはなくなったのでは?」

 身分にこだわらないで欲しいと、言外に告げた。

「私は、この国の貴族階級以外の人々と触れ合った経験が乏しく、もっと広い視野で物事を見られるようになりたいと思っています。不快な思いをさせたことは謝罪しますが、どうかお許しください。あなたとは、もっと親しくなりたいのです」

 親しくなりたいと、そんなことを言われて。

 怒っていたのも忘れ、脈が不自然に波打った。

(いやいやいや、そうじゃないわ!)

 甘い意図がないのは話の流れから明白だ。

(そういう意味じゃないって、分かってるわよ!)

 何せ、賢さが仇となって男性から敬遠されてきたシュリアである。年の割に男女のあれこれに慣れておらず、返す言葉だって浮かばない。

(分かってるけど…)

 一瞬でもときめいてしまった自分が恥ずかしい。

「…お気持ちは分かりました。じゃあ、私が何を言っても、不敬だなんて怒らないでくださいね?」

「もちろんです」

 ルミエフ並みに感情表現が乏しいと思っていた男は、意外にも多くの表情を見せる。

 嬉しそうに微笑むカイナルを前に、シュリアは色々な意味でほっとしたのだった。

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