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翌朝、エドルフと共にミルデハルト伯爵邸の裏門をくぐったシュリアは、想像よりこじんまりしたお屋敷に入ったところで侍女長に引き渡された。
シュリアの身長は決して低い方ではないが、そのシュリアが多少見上げる位置に侍女長の黒い双眸がある。年齢は母親より上だろうか。乱れなく黒髪を結い上げ、真っ直ぐ過ぎるほど姿勢を正して新人を見定めている。
「わたくしは、侍女長のセーラ=サリエルです。みな、サリエル夫人と呼びますから、あなたもそのように」
エドルフによると、ミルデハルト伯爵家の遠縁にあたるサリエル夫人は、嫁いだ先のサリエル男爵に先立たれ、家督を継いだ息子が独り立ちした頃合いに、ミルデハルト伯爵に乞われて侍女長を引き受けたとか。
(威圧感が半端ないんですが…)
四角四面を絵に描いた、厳しそうな人だった。
「ご挨拶が遅れて失礼しました。エドルフの妹でシュリアと申します。至らぬ身ですが、よろしくお願いします」
先に名乗られてしまったので、一言加えて過不足のない挨拶を返す。
その様子に一拍置いて、サリエル夫人が話を続けた。
「お話を受けてくださって感謝しています。お屋敷勤めは初めてと聞いていますから、分からぬことはお尋ねなさい。悩む時間はありません」
「はい、分かりました」
肩書きは侍女長でも、万年人手不足のミルデハルト伯爵邸において侍女は数人しかおらず、全ての女性使用人を束ねているのがサリエル夫人だ。
素人の平民にも礼が言える侍女長がいるのだから、カイナルが言ったとおり、働きやすい環境なのだろう。
「まずは着替えてからにしましょう。付いていらっしゃい」
サリエル夫人が踵を返したので、両肩の力を抜いて後に続いた。
伯爵へ挨拶の後、サリエル夫人に連れられて屋敷内を見て回った。
新人の顔見せを兼ねていたようだが、どこに行っても声をかけられるサリエル夫人は指示を返すので忙しく、隣のシュリアは小さく名乗るのがやっとである。
「この通路に並ぶのは、歴代ご当主様の肖像画です。通路の先は書庫と旦那様の書斎です」
窓が少ない一階北側の廊下で、肖像画など見たこともないシュリアは、飾られた何枚もの絵を無味乾燥に眺めた。手前から奥にかけて時代が新しくなるのだろう、近くにある絵は色褪せてしまっている。先ほど会ったばかりの伯爵と同じ黒目黒髪の壮年の男性が、どれも似たような構図で描かれていた。
しかし、手前から四枚目の肖像画は、明らかに違った。
「その方は、四代目のご当主、ファビエル=ランド=ミルデハルト様です」
当主を示す敬称を名前と家名の間に付けて、今から四百年ほど昔の方ですとサリエル夫人が説明する。
建国の救世主を補佐した偉人、というのが、ライナルシア王国と共に歴史を歩んだミルデハルト伯爵家の祖である。爵位こそ伯爵にとどまっているが、由緒の正しさでは群を抜く名家だ。
「四百年も昔の…」
青年姿で描かれた四代目当主は、年の若さもさることながら、もっと他に、何かを訴えている。
(何かしら…他の絵と何が違うのかしら)
シュリアの様子から疑問を感じ取ったサリエル夫人は、言葉にできなかった違和感の正体を明かした。
「ファビエル様がご当主でいらした期間はとても短く、すぐに弟君へ家督をお譲りになりました。ファビエル様のお母上を含め、その血に王家との繋がりがないので、形だけ長子継承を行ったのだとか」
(そうだわ、瞳が青い)
顔つきは三代目と五代目にそっくりで、髪の色も黒いのに、瞳が青。
青い瞳には魔力が宿る。
絵姿で見た国王や王太子の瞳は、黒髪に映える美しい青色で描かれていた。
血縁もないのに王家の象徴を、つまりは魔力の証を持つ人物を、王家が許すだろうか。
(だから、すぐに当主を下りられたのね…)
言葉なく肖像画に見入るシュリアに、サリエル夫人の冷静な声が降る。
「当家では、礼儀作法に問題がなければ、メイドであろうとお客様の前に出ることがあります。大きな夜会は一度しか開きませんが、それ以外にも出番はあるでしょう。あなたもそのつもりで」
我に返ってサリエル夫人を見上げると、温度を感じさせない眼差しとぶつかった。
(道理で、細々とした情報をお話しになると思ったわ)
礼儀作法とやらが合格かはともかく、働くからにはやる気はあるシュリアである。
「分かりました」
「さあ行きましょう。仕事が待っています」