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恐怖に震えた一瞬で幻影は立ち消えた。
(やっぱり魔力!)
昨日のカイナルが同じおまじないを掛けたのだから、市場で世話になったおじいさんも赤の他人ではない。
ここまでは良い。
それで、皺の隙間から覗いた青がカイナルに引き継がれたということは、おじいさんは、とうの昔に鬼籍の人。
怪談は駄目だ。
よりにもよって首から上だけ挿げ変わって、驚くなという方が無理だ。
(間違いなく同じ魂を持つ二人だと、証明したかったのね)
大変分かりやすい説明だった。
「積年の願いも叶い、満たされた魂は安らかに神の御許へ旅立ったはずでした。しかし、本当の願いはその先にある。始祖の呪いは、老人の死後、時間を置かずに新たな宿体を送り出した」
しかし、何百年もかけてようやく巡り会えた喜びは、思いもよらない形で支障となった。
新しい宿体で呪いが発動しなかったのだ。
「シュリアさん」
昔語りが終わり、本題はここからとばかりに語調を変える。
「私は、呪いに強いられてあなたを求める訳ではありません。呪いは、始祖の願いに共鳴してしまったが故に発動したのです」
シュリアと出会った後に呪いが発動した。この順番がよほど重要なのか、やけにそこだけを強調している。
目の前にいるにもかかわらずカイナルの声は遠い。遠すぎて、人だかりの後ろから見る芝居のように部分的にしか声が拾えない。
(呪いが共鳴? 何だかよく分からないわ)
とにかく今は、知りたいことから優先的に確認しよう。
「ええっと、じゃあ、嫁にする用意というのは…」
「求婚する、という意味です」
「きゅうこん?」
(それは、お付き合いしている男性からいただく言葉よね?)
そういう意味で付き合っていただろうか。
(落ち着いて、私)
確認よりも、情報整理から始めよう。
なけなしの思考力で戦うシュリアに、頭上から次々と言葉が降る。
「身分の問題であなたが不安に思うことは何もない。我が第三騎士団が王都を離れる時も、置いて行くつもりなど毛頭ありません。書庫の件は私にお任せください」
伯父の説得は私がと、自信満々で滑らかに。
「求婚って…」
生憎、理解はそこで止まっていた。
「カイナル様が、私に、結婚しましょうと?」
馬鹿を言うなと一蹴されることを期待して、縋るように尋ねたところ。
前触れもなくしゃがみ込んだカイナルが、下草に片膝をついた。
(わわわ、次は何…!)
ナリージャではないが泣き出してしまいそうだ。
「どうか、私の妻に」
差し出された右の掌。
この手を取って共に歩いてくれないかと、男は、真摯な眼差しで希う。
これこそ、伝統的な求婚の一幕だ。
(…なんてね、まさかね?)
若かりし少女の頃、祭りで上演された恋愛譚。看板役者の同じ台詞に、いつか私もと憧れはしたが。
(貴族が平民に跪く?)
そんな現実離れした現実、許される訳がない。
乙女心すら息を潜め、頭の中は果てしなく澄み渡った。
(誰かに見られでもしたらどうするの)
夢見る頃をとうに過ぎたシュリアは、カイナルを見下ろして冷静に対処した。
「お話の趣旨は分かりましたから、お立ちになってください」
促され、素直に従ったカイナルの双眸は、答えを探るように高い位置で揺れている。
「何と申しますか。私を相手に求婚なんて、どうしてそんな結論が出たんでしょう?」
「求婚の理由、ですか?」
難しい顔を見合わせる。
(そこ、悩むところですか?)
立て板に水の如く、答えが出てくるものだと思っていた。
仮にも求婚された身としては、カイナルのそんな表情は腑に落ちない。
「あなたは、私を許すことはできませんか?」
悩んだ末の質問返しに、ルミエフ直伝の舌打ちが飛び出すところだ。
「何度も言いますが、昨日の、昼間の件は忘れました」
「絶対に傷付けないという約束を反故にしました」
「ナリージャ様の方は不可抗力でしょう?」
「それで、私をお嫌いになったのではありませんか?」
「は?」
突然、問いかけの方向性が変わった。
シュリアが丸め込まれるいつもの流れだ。
「私と生涯を共にするのは嫌ですか?」
「ですからね?」
「手離して差し上げることはできませんよ」
「だから!」
それで質問に答えたつもりかと癇癪を起こし。
「だから、その理由は!」
ぐいっと詰め寄ったところで。
いたずらが成功した少年のように破顔したカイナルは、手が届く距離にあるシュリアの解れた髪を直しながら、そうしてあらわになった耳元へ顔を寄せ。
「あなたが好きだから」
と、囁いた。




