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突拍子もない話で信じられませんよねと、自嘲ぎみに笑うカイナルの目は笑っていない。
「この呪いは、ミルデハルト伯爵家の始祖の兄がかけたものです。彼には子がなかったので、弟の血脈に忍ばせる以外に未来へ繋ぐ手段がありませんでした」
「え、でも、始祖の呪いって…」
話は、ミルデハルト伯爵家の禁忌に触れようとしている。
あれほど嫌がっていたシュリアを捉えた黒い瞳は、本人に気付かれることなく深みへと引き込んだ。
「それは、魂の始祖という意味です。我々は彼の魂を継ぐ宿体、生まれ変わりのようなものですから」
聞き慣れない単語に、シュリアの思考が遂に凍り付いた。
(生まれ変わりとは、何だったかしら)
間違いなく意味を知っているはずだが、果たしてすぐに思い出せるだろうか。
とりあえず、難なく理解できた部分だけで納得する。
最期の瞬間、ただ一つの願いに魂を縛り付け、満願成就まで生き続けることを自らに強いた男の魔力とはどれほどか。
魔力を持つ民が当たり前に存在していた時代とはいえ、右に出る者のない、とても大きな力だったに違いない。
「ザファール国が消えライナルシア王国が興り、彼の魂を宿す幾人もの宿体が散りました。願いは永久に叶わないのではないか、いつまで繰り返せば許されるのか。使い捨ての宿体は、呪いから解放されることだけを望むようになりました。そうして生まれた最後の宿体が、私です」
多くの人生を費やしても成し得ない願いとは。
尋ねることを、シュリアは躊躇した。
「始祖の執念を「呪い」と言い表したのは、ファビエル=ランド=ミルデハルトが始まりです。彼は、いつの日か私のような宿体が現れることを予知していました。秘密を守るために古代魔術語を使ってまで、言ってみれば私のために、全ての記憶を書き残したのです」
近衛隊に引き渡すはめになった例の書だ。吹けば飛ぶような薄っぺらい仕上がりの偽造版ではなく、本物の書が馬鹿みたいに分厚かった理由はそのためだ。
「闇の光」には無駄な期待をさせてしまったと、本気とも冗談ともつかない同情を浮かべるカイナルに。
(でも…)
理解の範疇を軽く飛び越えたせいで、言葉が上手く出てこないけれど。
(カイナル様は、こんな嘘をつく人ではないし)
信じる気持ちは揺らがない。
(自由を奪う呪いなんて…)
消えてしまえばいいのに。
強く願った。
願う気持ちを残していた健気な我が身を、心の底から労りたい。
「私の呪いは、幸いにもあなたに出会うまで眠っていましたので、過去の宿体のように苦しむことはありません」
ちゃんと聞いているか確かめるように、カイナルが距離を詰めた。
すぐ隣で、仄かに甘い香りが誘っている。
緊張で唾を飲んだシュリアに、短い問いが投げられる。
「ジニア、という男をご存じですか」
「ジニア?」
男児の名前にしては珍しい音だ。
(その人が、始祖?)
舌の上で転がしてみたけれど、当然ながら覚えはなかった。
(ご存じかって、どうして?)
知っていて不思議はないとでも言われたみたいだ。
素直に知らない旨を告げると、落胆もなくカイナルは静かに頷いた。
(でも、どこかで)
記憶の端に引っ掛かっている。
「古代魔術語ですよね? 人を賞賛する言葉じゃなかったかしら…」
名前としての覚えはないが、教会の禁書をこっそり閲覧した時に目にしたような。
「ジニアとは、あなたのように博学な方を指す言葉です」
(またお世辞?)
深い意図はなく、思ったままを口に出しましたという顔に、反発心が再燃した。
ここに至っても真面目にシュリアを持ち上げるのだから、一体どんな反応をすれば正解だと言うのだ。
間違っても、笑み崩れて礼など言えない。以前のように冗談を返すこともできない。
距離を置くのか、置かないのか。
ジニアの正体よりカイナルの本心を教えてほしい。
(あなたはどうしたいの?)
とうとう、痺れを切らした。
「青い瞳の件は、多分、分かりました。大丈夫です、他言しませんから」
シュリアにまで隠す必要がなかったと言う根拠は、いささか気になるところだが。
「それで、お話を戻しますけれど。謝罪されたということは、結局のところ、どういうことでしょう?」
事務的に言葉を並び立てる。
直球で尋ねたのは、湾曲な表現で煙に巻かれないためだ。
「全ての非が私にあるということです。金輪際顔も見たくないと言われても、当然の報いと思っています」
それは、だから、どうなのだ。
(あなたの意思は!)
カイナルの足踏みが止まらないせいで、話が一向に進まない。
欲しい答えはこの先のことだ。謝罪は分かったから、懺悔は別の場所でやってくれ。
苛ついたシュリアは、カイナルの弁を聞き流した。
「つまり、私との交友関係を切るということですか?」
悪意でも、口止めでも、蔑んだ訳でもないとは最初に聞いている。
親しくなりたいと言ってみたものの、嫌気が差したのではないかと尋ねると。
「そんなつもりは一切ない!」
丁寧語もなく、強く言い返されてしまった。
「じゃあどうして…!」
勢いに任せた質問が飛び出す寸前、掌を翳して口元を隠した。
どうして、口付けで黙らせたのか。
飲み込んだ言葉が、余韻となって脳裏を巡る。
(いくら何でも、はしたない)
目が泳いだ理由を正しく理解したカイナルは、しかし、いささか返答に迷ったようで。
「あの時は…」
言葉を濁しながら、すっと視線を外した。
(あの時は?)
いたたまれない沈黙が落ちる。
「あああの、もう結構です! 本当に、分かりましたから!」
僅か数秒で羞恥心が火を噴いた。
カイナルの反応など見ていられない。自分だけ立ち上がって一目散に歩き出す。
布地の多いスカートが大袈裟に揺れた。
「帰ります! カイナル様はこの後もお仕事でしたね!」
そそくさと歩道に戻ったシュリアに促され、残されたカイナルも腰を上げた。
その途中、シュリアの小さな声が耳を打つ。
「私は、あのことは忘れますから…」
だから、忘れてくださいと。
第三騎士団の次の異動は三年先。ルミエフの部下であるカイナルとは、護衛任務が終わっても何かと接点があるだろうと、シュリアは思っている。
意図的に関係を絶たない限り。
そうであるならば、例の記憶は障害でしかない。
声にしない言葉の先まで受け止めたカイナルは、見失う前に振り返らない人を追いかけた。




