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 セジュール川の土手には常緑樹の並木が続く。

 人の背丈を覆って余る老樹の木陰、強い日差しが嘘のように涼やかな空間で、二人は古びた長椅子に座っていた。

 端と端、間に一人二人は座れそうな距離を置いて。



 話をしたいと引き留めておきながら一向に喋り出さないカイナルに、いい加減業を煮やした頃だった。

「シュリアさん」 

 何をどう取り繕うつもりか、やっと台詞がまとまったらしい。

 強張った声に顔を上げる。

「最初に…私が振るった暴力によって深く傷付けてしまったことを、謝罪させてください」

 心にもない謝罪なんて、と。

 気持ち半分で構えていたシュリアは、温度が違いすぎる強い眼差しに縫い止められた。

(これはもしかして…)

 本気の謝罪だ。

 真剣過ぎて、顔を背けようものなら報復されそうな気配まで漂っている。

「どんな理由があっても、あのような行為は許されない。怖がらせてしまったと気付いたのも遅く、今さら何を言っても許していただけないのは承知しています。愚かな行為も、申し上げたことも、言い訳はしません」

 掴んだ細い方が跳ねたとき、カイナルはようやく気付いたのだ。

 犯した過ち、拒絶の理由。

 正常な判断を狂わせた激情と続いた事件の衝撃で、一番大切なことを蔑ろにしてしまったことを。

「あなたを傷付けたかったのでも、口止めのつもりでもありません。まして、平民と侮った訳でもない」

 誤解しないで欲しいと、切に乞う。

 沈黙に背を押され、独白は続いた。

「あなたに迫る危機を感じた時から、何を手放しても側にいれば良かったと何度も思いました」

 きっと、今でも後悔の渦中にいるのだろう。

 一言一句を絞り出すような苦い声音に、シュリアは素直にそう感じた。

「そもそも、最初から間違えていたのです。この青い目は、あなたにまで隠す必要などなかったのに」

 神妙に受け止めながら、首を捻った。

「…は?」

(そこは、隠し通すところでしょう?)

 さらけ出された双眸は黒々として、時折、風に遊ぶ梢の影が映り込む。そこに青い色は欠片も見当たらないけれど。

「今さらですが、この目についてお話しします」

 絶対に、そんな秘密は聞きたくない。

「いえ、あの、これ以上は結構で…」

「何からご説明すべきか、難しいのですが」

「じゃあ、本当に結構…」

 迷惑だと、いかに視線で訴えても。

「あれは、市街地であなたが暴漢に襲われた日のことです」

 カイナルの喋りは止まらない。

 耳を塞ぐ真似もできず、うわぁと呟いたきり瞑目した。

「夜遅く、異変を感じて目を覚ましました」

 最初は痛みだった。

 眠りから覚めると、血液が沸騰したかのように全身が熱を持ち、起き上がることすら困難な状態に陥っていた。寝起きということを差し引いても、意識が薄い。

 腕の力だけで体を起こし、寝台を這い出て鏡に向かう。

 心当たりはあった。

 人を呼ぶ前に確認しなければならない。

 汗に濡れた手で鏡を掴み、恐る恐る顔を写せば、ファビエル=ランド=ミルデハルトのような青い瞳が見返しているではないか。

 先祖返りと、一族の者は呼ぶ。

 しかし、カイナルは知っている。

 実際のところは始祖の呪いだ。

 母方の祖を遡ると、ザファール国から消えた魔力を持つ民に辿り着く。そんな古の時代から綿々と受け継がれる魔力の存在こそ、ミルデハルト伯爵家が守り続ける最たる秘密である。

 一度顕現すれば死ぬまで消えず、他の誰かに同時に現れることはない。魔力を抑え、青い瞳を隠し、孤独と共に生涯を終えるだけ。

 四代目当主に限らず、苦しめられた先人は歴史の数だけ何人もいた。

 シュリアの危機を知らせた不自然な直感は、この力だったのだ。

「丁度、肖像画の瞳の色が変わったと驚かれていた頃です。不思議なことですが、あの絵は、誰かに魔力が顕現すると色が変わるのです」

 時系列になぞらえると、確かに矛盾はない。

 それが事実なら、色が変わった時点で、誰かに呪いが発動したと知り得る訳だ。

(少なくとも伯爵様は、お気付きになっていらしたはず)

 そんな素振りは何一つ見せなかったけれど、秘密を守るとはそういう事なのだろう。

(始祖の呪い…)

 ミルデハルト伯爵家にとってそれを知られることは禁忌だ。だから、やんわりと言及を避けられても深追いはしない。

 ここで問題にすべきなのは、呪いの効果。

 真偽の程は別として、魔力はライナルシア王家の専売特許だ。

 是が非でも隠し通そうとしたカイナルの判断は、間違いなく正しい。

「四代目のご当主様は、そんなにも強い魔力をお持ちだったのですね」

 不思議なことですが、と言われて終わってしまったが、シュリアの常識では、絵の具は色褪せるだけで根本的に変わってしまうことなどあり得ない。

 ちゃんと説明された今でも怪談話に聞こえてしまうのはやむを得まい。

「そうですね。いや、厳密には違います。四代目の魔力は確かに桁違いでしたが、その影響で魔力が顕現した訳ではありませんし、肖像画の件も本筋ではありません」

 正しく伝えようと言葉を探る様子に、カイナルの生真面目さが表れている。

 それを目にしてまで嘘偽りだと糾弾するほど、シュリアは愚かではない。

「この力の祖は四代目ではなく、ザファール国の名もなき民です。四代目ほど強力な宿体は後にも先にも現れませんでしたが、結局は彼も、犠牲となった一人でしかないのです」

 涼やかな目元が僅かに歪んだ。

「この青い瞳は、魔力と共に膨大な記憶をもたらします。人一人分の一生と、その後の宿体の無念の記憶です。自分を強く持たねば、とても人の器に納まるものではありません」

 何せ、呪いの餌食となった全ての宿体の記憶だ。

(膨大な、記憶…)

 想像しようとして。

(自分以外の誰かの…死んだ記憶まであるということ?)

 あっさりと断念した。

 死は、人の魂をあまねく神の御許へ連れて行く。そこで時間をかけて浄化された真っ白な魂だけが、ようやく次の生を許されるのだ。

 誰もが知る教会の教えが、理解を鈍らせる。

(浄化されていないのに、新しい生を迎える? どういうこと?)

 もはや疑ってなどいないが、飽和しそうな頭は理解を拒絶していた。

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