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目を逸らされ、背を向けられた後も硬直は解けない。
重たく暗い闇色の瞳に、金縛りでも掛けられたかのようだ。
あれでは騎士団に連行される罪人の方が余程生気に溢れた顔をしている。つい数刻前、平民を意のままに従わせようとした男とは到底思えない。
(何を言おうとしたの…?)
そんな二人に、シュリアの髪を直していたグレイドが嘆息した。
近くで落とされたわざとらしい音に視線を移すと、目を細め、憂いを滴らせた色男が待ち受けている。
「俺たちが遅くなったせいで、可愛い顔に傷が残ってしまうね。悪かった。責任は俺が取る」
いつ聞いても芝居役者のように美しい声が、本領発揮とばかりに甘ったるい台詞を吐いた。
しかし、カイナルに気を取られていたシュリアの反応は鈍い。
(責任、とは?)
きょとんとしたところに、至近距離で駄目押しの微笑が襲いかかる。
「副隊長を兄と呼ぶのは気が進まないが、シュリア嬢を妻と呼ぶのは悪くない」
そんな台詞がよくも浮かぶものだと感動する一方で、意味を理解して耐えきれず噴火したのは忘れていた乙女心だ。
「いいえぇぇぇっ、お気遣いなくっ、滅相もありませんっ!」
乱打する胸を押さえ、壁に背も頭も隙間なくぴったりと付けて、真っ赤な顔で丁重に辞退する。
「…そんなに嫌がられると自信なくすなぁ」
堪えた風もなく柔らかく笑うと、グレイドは澄ました顔で作業を再開した。
(びび、びっくりした!)
恋愛初心者に向けて冗談にも程がある。
「お前もそんなに睨むなよ、仮にも俺は先輩だぞ」
周りを見る余裕などないが、その言葉からして楽しんでいのはグレイドだけのようだ。
「本当は、俺たちはずっと書斎にいて、怪我なんてさせる間もなく助けに入る予定だったんだ。ところが、想定外の事件が起きて一度呼び戻されてしまった。だから遅くなった」
「事件?」
「ミルデハルト伯爵が襲われてね。昼間に王族のパレードがあっただろう? そっちに割かれて王宮の警備が手薄になったところを狙われたらしい。これは「闇の光」に違いないって話になったんだが、捜査するにも手が足りないしで、例の指揮官様が事もあろうに俺たちを呼んだ訳」
話を聞いたシュリアは顔色を変えた。
「お怪我は! 大丈夫なんですか!」
「本人より巻き添えを食らった取り巻きの方が重傷らしいよ。サリエル夫人だっけ? あの人の息子もその一人だ」
急用とはそれだったのか。
サリエル夫人が未だ戻らない理由に納得する。前男爵夫人とはいえ、息子が重傷ならばそう簡単に戻っては来れまい。
「状況を把握しようと支部に寄ったところで、カイナルがね、戻ると急に言い出してね。前にも、上官の命令を放り出して飛び出した事があっただろう?」
騎士団の厩舎から断りもなく馬を引っ張り出すと、鞍も付けずに爆走し、屋敷の正面玄関に乗り捨て、扉を蹴り開けて堂々と突入したそうだ。そして、騒然とする使用人には目もくれず真っ直ぐ書庫へと駆け抜けた。
二度目の勘を信じた二人も僅かに遅れて続いたのだが、道筋には破壊された美術品が転がり、その残骸を負うことで現場へ辿り着いたのだとか。
ミルデハルト伯爵に何と詫びるか頭が痛いと、グレイドは説明を締めくくった。
助けが来なかったのは、そもそも屋敷にいなかったからだ。見捨てられた訳でも、裏切られた訳でもない。
(だからカイナル様は、あんな顔をされたんだわ)
引きずられそうな闇色は罪の意識。
眼差しの理由に行き着いて、頑なに振り向かない後ろ頭に目をやった。
(自分は…傷付けておきながら?)
守れなかったと、後悔の闇に落ちるのか。
正義感か義務感かは知らないが、その行動にはまるで一貫性がない。
(あなたは何がしたいの?)
本心を尋ねたところで、どうせ答えてはくれないのだろう。
(…勝手過ぎるのよ)
振り回されるのは、もうたくさんだ。
「残念ながら、ちょっと遅かったね」
優しい口調が心に染みる。
怪我は痛まないかと、胸を引き絞るような囁きが落とされた。少しでもグレイドに気があれば一発で骨抜きになれただろう。
そんな可能性がなくても、頭の芯がぐらつくのだから。
(違うわよ、これはきっと貧血のせいよ!)
誤解して悲観した上に、頼りにならないと否定した自分が恥ずかしい。
グレイドが何度も謝るから、余計に。
「大したことはありません。助けてくださった皆さんのおかげです」
だから、嫁の貰い手も心配無用だ。
幸運なことに永久就職ならぬ生涯雇用先は決まっているし、その雇用主も無事と聞いた。
「でも、副隊長が戻ってきたら手当てに行こう」
親切を突っぱねようにも、百戦錬磨の達人を相手に口では勝てない。
手先は器用だから安心してと、針を動かす真似を見せられては。
(まさか、グレイドさんが?)
なくはない可能性に頬が引きつった。
「冗談だよ。俺でも縫えるけど、騎士団の野郎共ならともかく君はね。万一失敗でもしたら即座に公開処刑だからさ」
片目を瞑って軽やかに言い放つと、少し声を落として、もう一度だけ神妙に謝罪するのだった。




