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「私ならば、屋敷を歩いて不審には思われません。僅かでも可能性があるなら、どんな理由を付けても一人にすべきではない」

「思いっきり不審だろ! 騎士団総出で駆り出される日だぞ!」

 面白半分に騒ぎ立てるグレイドは放置して。

 挑戦的に言い放った風変わりな部下を前に、ルミエフは、真意を確かめようと目を細めた。

「副隊長、ご指示を」

 強すぎる執着は、時に悲劇を生む。

 部下の命運を握る上官は、護衛から外すことも視野に置いて、承諾を求める視線を受け止める。

 劣勢に立たされ、今や孤立無援にも見えたカイナルだが、身内に甘いミルデハルト伯爵が賛同の声を上げた。

「一理あると思うがね。それでなくとも怖い思いをさせたのだ。万難を排してやるのは、市民を守る我々の責務だろう」

「伯爵までそんなことを…」

 処置なしと身を引くグレイドへ苦笑いを向けながら。

 頑固者の可愛い甥っ子が、思い詰めて騎士団を辞めるとでも言い出したら大問題だ。

 一族から非難を浴びるのは必至。

 ここは肩を持ってやらねばと奮起した。

「シュリアが書庫にいるなら、賊に遭遇する可能性は高いだろう? 何らかの手を打っても無駄にはならん」

 本当は、別の仕事を振れば済む程度の話だ。

 ところが、賊を油断させるため、特別なことは何もするなと俺様貴族は厳命した。

 任務の都合と兄妹愛の狭間で揺れ…てはいないルミエフの、任務遂行に重きを置く性分は分かっている。

 いかに副隊長と言えど我が子ほどの若輩者。

 突くならばそこしかない。

「護衛というと大袈裟だな。賊の捕獲を考えても、すぐ側に動ける人間がいるのは悪くないだろう?」

 言葉が空を切って。

 黙して動かない相手に、手強い奴めと一人ごちた。

 そしてカイナルは。

 ぐっと、両目に力を込めた。

 制帽のツバを摘まんだまま、少しだけ腕を上げる。

 視界の中心に上官を捉え、怜悧な茶色い双眸に焦点を絞った。

 強く、背景が沈むほど。

 目の際が痙攣を始め、眼球が熱を帯びて、鋭く頭痛が走る。燃え盛る炎を凝縮した熱が、体の奥からせり上げた。

 それなのに、声なき声が炎を煽る。

 まだ足りない。

 まだ、あと少し強く。

 呼応するように、視界の隅で白い火花が弾けた。

 脳裏を焼く眩しすぎる光は、世界の輪郭を根こそぎ奪う。

 さあ、行け。

 ルミエフ目掛け、炎の獣に命令が下された。

 解放の時に歓喜に震える体を、びくんと揺らして。

 カイナルは、身にまとう緊迫感ごと自らかき消した。ツバから指を外し、ぽすんと落ちた制帽で顔を隠す。

 今の、得体の知れない気配は?

 室内を襲った異変に、身構えた一堂は声もない。彼らが知る殺気とは異なる、しかし間違いなく身の危険を覚えた気配に、微動だにせず制帽の飾り羽を見る。

 カイナルがその声を聞くようになったのは、ここひと月ほどのことだった。

 ふとした瞬間に自我が沈み、肉体の主導権を奪われる。

 ファビエル=ランド=ミルデハルトの書を解読できたのも、伯父に偽の「歴の書」を作らせたのも自分ではない。

 この声は、影を失いしいつかの君へと、四代目当主が言い表した「影」だ。

 語り継ぐ者も絶えた遠い昔のさらに昔、ザファール国で果てた男の残像である。

 微睡みの底に沈んでいた影は、目覚めるや否や、カイナルを記憶の海へと突き落とした。

 願いと狂気が満ちる、美しい記憶。

 「影を失いしいつかの君」とは、全てを手放した自分を指していたのだと。しるべの書は、やがて生まれるまっさらな宿体のため、ファビエルと呼ばれた自分が残したものだったと。

 影を取り戻すことは、影を背負って生きた過去を取り戻すこと。同じ魂を繋いだ何人もの記憶が、嫌というほど蘇った。

 しかし、もたらされたものは記憶だけではない。

 この世では異端でしかない特異な力と青い瞳。

 身の内に残る熾火は、魔力の余韻。

 その日から、カイナルの日常は一転した。気を抜くと色が変わる瞳を制帽で隠し、暴走する魔力を押さえ、息を殺す日々を続けている。

 そんな事情を知らないルミエフは、突然消えた圧迫感に首を傾げたが、長すぎる沈黙を前に努めて冷静に口を開いた。

「お前は、夜番との交代前に私用で屋敷を訪れる。その僅かな間だけ、シュリアとの接触を許す。それ以外は、我々と共に待機だ」

 実質的に護衛とは呼べない指示も、妥協点がそこしかないと理解していたカイナルに異存はない。

「甘いねぇ、副隊長さんよ」

「動きがあるとすればどうせ夕方以降。内通者の場合、カイナルが立ち去れば油断するだろう。待機しているとも知らず、好きに動き出してくれれば御の字というもの」

「うわ、非道…」

「書庫と書斎は扉一枚、何かあればすぐに対応できる。シュリアにはお前の方から説明しておいてくれ。頼むぞカイナル」

 これで良いかと、周囲を見回してルミエフが問う。

 ルミエフにしてみれば、打算的と言われてもぎりぎりの配慮だ。

 その譲歩に、尋ねられた二人が頷いた。

「ありがとう、ルミエフ」

「承知しました」

 ライナルシア王国の建国五百年を祝う祭まで、残り半月。

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