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ようやく感情に折り合いがついた頃。
先陣を切って口を開いたのは、軽薄な微笑を刷いたグレイドだった。
「副隊長さんよ、今夜にでも殺ってくるか?」
第三騎士団で負け知らずの剣の使い手が、口調の軽さとは裏腹に真剣な眼差しを向けている。
「あいつなら、一撃で済む」
本人が言うのだから間違いない。グレイドの観察眼は、剣の腕と同様に騎士団でも突出している。
ということは、いつでもどうにかできると。
思案をまとめたルミエフは、利き手を不穏に動かし始めた年上の部下を形ばかり窘めた。
「まだだ、まだ早い」
期が満ちたとき、どんな終焉を迎えるのか。
さすがにそれはまずいと、ミルデハルト伯爵が割って入った。
「身内が囮にされる以上に重大かつ深刻なこととは、何だろうな」
そして、平民故に着座も許されなかったエドルフを手招くと。
「同じく爵位を持つ人間として、シュリアに対する彼の無礼を謝罪する」
滅多にない真面目な顔で、当然のように言葉を乗せた。
二人の兄は、示し合わせたかのように首を振る。
「なあ、ルミエフよ。連中は本当に来ると思うかね?」
建国五百年祭当日、式典参列義務があるミルデハルト伯爵は屋敷を空ける。
主不在の屋敷で、唯一の協力者エドルフは中途半端な説明しか受けておらず。
相手の動きが読めない分、残った使用人へ具体的な指示も出せず。
さらには、祭りの混乱で大わらわの騎士団に、これ以上の応援は頼めない。
奴らせいで厄介なことになったと、ミルデハルト伯爵は天井を仰いだ。
「シュリアを狙ってはないでしょうね。ただ、例の書を狙う可能性は拭えません」
「そうだな、そうだろうよ。狙うとすれば書庫か。結局、シュリアが危ないじゃないか!」
「ですが、その日だけシュリアを外すような対応は取れません」
「いっそのこと、例の書は王太子殿下が持っているとでも宣伝しよう!」
「近衛が飛んで来ますよ」
愛想のなさが売りの上官が、こんな不毛な問答に付き合えたとは。
新たな発見を眺めていたグレイドは、正面に座るエドルフの、雇用主の顔色を窺うような身じろぎに気付いた。
「お二人さん。お兄さんが何か言いたそうですよ」
「あ、ああ、どうしたエドルフ?」
発言を許されて、エドルフは軽く一礼した。顔を上げた時には、シュリアと似た優しい曲線を描く目元は強ばり、グレイドではないが剣呑な眼差しを弟に据えている。
「シュリアには、教えてやらないのか?」
何一つ教えもせず危険に晒すのかと問うのは、普段の彼を知る者ならば驚くほどに硬質な声。
「あの子は、その賊に襲われたんだろ?」
「いたずらに怖がらせるのは本意ではない。当日は私も屋敷に詰めるから、知らせずとも問題ないだろう」
血を分けた兄から敵を見るような目を向けられても、ルミエフは平然と言い切った。
「副隊長よ、お兄さんが言いたいのはそういうことかなぁ」
「兄弟でこうも違うとは…」
グレイドのぼやきとミルデハルト伯爵の苦笑が重なった。
「ルミエフは確かに強い。でも、シュリアの気持ちとは別の話だ。せめて、心の準備をさせてやってくれ」
弟妹に等しく優しい長兄は、珍しくも言い募る。
「お前が知る以上に、あの子は強くて賢い。身を守る術だってちゃんと考える。もう子供じゃないんだぞ」
「子供かどうかが問題な訳ではない」
今、分が悪いのはルミエフだ。
どんなに厳冬の吹雪を巻き起こしたところで、待ち受けるのは春の日差し。あのルミエフが一度たりとも勝てた試しがない相手こそ、エドルフなのである。
部下や弟妹を震え上がらせる氷の無表情が一切通用しないのだから、不機嫌にも拍車がかかるというもの。
兄弟のやり取りを見守っていたミルデハルト伯爵は、基本的に、長兄の言い分に全面同意だ。
そのため、下手な口を挟むより当人同士に任せようと身を引いて、存在感を消し続ける甥に声をかけた。
「カイナルや、やけに静かだな?」
だが、大きな制帽ごと、カイナルはぴくりとも動かない。
「おい、起きているのか?」
再度の声かけも、様子に気付いたグレイドの期待の眼差しにも反応がない。
「おおい、カイナル?」
カイナルは今、深い思考の底にいた。
彼女は、行く道を照らす光。その光を妨げる者は、何であろうと許さない。
胸の内に反響する声を聞きながら、シュリアを守る方法を模索する。
暴漢に襲われたと知った時の衝撃は、今でも思い出すたびに身を苛む。次はない。その覚悟が、護衛対象を傷付けられた愚かな騎士を盲目にする。
しかしカイナルは、王に剣を捧げ、王国を守る騎士団の一員。
自由のない身の上で許される手段を考えて、ようやく顔を上げた。
「副隊長、私がシュリアさんの護衛に…」
「おおっと、俺たちは書斎で待機だって聞いてたかな?」
名乗りを上げたカイナルを、待ってましたとばかりにグレイドが阻んだ。
「俺たちはね、賊を油断させるために、表に出ちゃ駄目なんだってよ」
「彼女が狙われないという絶対の保障はない。それに、書庫にいる限りは確実に巻き込まれる」
「それを言うなら、他の使用人だって似たような条件だろ。屋敷の人間全てに護衛を付ける気か? シュリア嬢だけ特別扱いする理由はないんだぞ」
噛んで含める説明は、誰が聞いてもひどく真っ当なものである。
「同じ条件ではないから言っているのです。彼女に迫る危険を知りながら、護衛がこそこそ隠れている場合ではありません」
「こそこそって…」
兄弟の対話を打ち切られた二人も、呆気にとられた伯父も、一体何を言い出したのかと不審の目を向けた。
しかしカイナルは、目元を隠す制帽を少しだけつまみ上げ、全員の視線を何なく受け止めると。
黒い瞳で、真っ直ぐ上官を見返した。