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 廊下を歩いていると、厳重過ぎるほど厳重に王太子近衛隊の騎馬を侍らせ、今まさに正門を抜けようとする二頭立ての馬車が見えた。

「終わったみたいだね、急いで戻ろうか」

 背後から軽い調子で急かしたのは、グレイドという名の騎士である。

 ルミエフよりいくつか年上だそうだが、若者には出せない馥郁たる色気を放つ男前だ。

 何より、声が甘い。

 人間の声に甘いという表現はどうかと思うが、この声ならば仕方ない。

 女性を喜ばせる話し方、聞き方、誘い方。その効果を熟知している本人の物腰も非常に柔らかく、ちょっとでも惹かれてしまえば恋に落とされるのは時間の問題だと、シュリアは冷静に分析している。

 「歴の書」の引き渡しが行われた今日、書庫に籠もるシュリアの護衛をしてくれた彼は、ルミエフが太鼓判を押す剣の使い手である。

 カイナルが非番の日のお迎え係をしてくれていたので、空気のように漂う伊達男の色気にも慣れ、妙な緊張もなく今日を過ごせていた。

「馬車なんか使って物々しいねぇ。そんな手に引っかかると思ってるから、あいつは使えないんだよ」

 軟派な見た目を裏切らない口の軽さで際どい台詞を吐き、返す言葉に悩まされるが。

「グレイドさん、行きましょう」

 書庫に飾られたままの置物を片付けてしまおうと、グレイドを荷物持ちに倉庫まで往復していたところである。

「まだ運ぶもの、あったよね?」

 軽口にも乗らず魅力にも誘惑されないシュリアをどう思っているのか、グレイドは飄々とした雰囲気を崩さない。

「はい。でも、とりあえずは十分です」

 大陸のどこかの国で崇められている女神の像が残っているが、人に物理的な痛みを加えられる鈍器を一つくらい置いておこうと思っている。

 それが女神様なら、荒い使い道でも許してもらえる…だろうか。

「カイナルが留守に気づく前に戻らないとね」

 書庫に籠もれと言った護衛騎士は、言葉どおり書庫から出るなと言いたかったようだが、それでは仕事にならない。

 倉庫に行きたいと恐る恐る申し出ると、二つ返事でグレイドが了承してくれたものだからシュリアは拍子抜けした。

 薄々感じていたが、カイナルは過保護だ。

 かと思えば、機密めいた情報を隠すことなく流して、素人のシュリアが後に引けない状況を作り出す。

 知識は宝と言うが。

 知り過ぎるのも危険だと、分かっているのだろうか。

(分かった上で、やっていらっしゃるのだわ) 

 そうさせてしまったのは自分の不甲斐なさだから、文句は言えない。

 そのカイナルだが、近衛が去ると早々に様子を見に来るだろうと、グレイドは予想している。

「本当にいらっしゃいますかね」

「来るよ! 絶対来るから間違いなく!」

 そう言って、何を思い出したか笑い始めたグレイドである。

「例の夜会の日、君があいつと消えた後、伯爵が使用人に何て言い訳したか聞いた?」

 首を横に振ると、待ってましたとばかりに話が続く。

 身を乗り出されて、深い森の香りが誘うように鼻先を掠めた。

(お、大人の香りが…)

 本人曰く、夜はもっと怪しい香水をつけるそうだが、これで十分刺激的だ。

「あの時点では犯人のことが何も分からなかったんで、伯爵は全員を騙さないといけなかった訳。だからね、「カイナルがちょっと…」と言うしかなくてさ」

 香りにぼうっとしている間に、話は続く。

 置いていかれないよう頭を降った。

「ちょっと…ですか?」

 その空白に続くのは何だ。

「ご自由にお考えくださいってこと。深刻な素振りもできないから、苦笑いで告げたらしいよ。想像してごらん、君がその場にいたらどう解釈する?」

 カイナルがミルデハルト伯爵の甥ということは、屋敷の人間は皆知っている。そこに、うちの甥にも困ったもんだと説明されたら。

「使用人たちは、堅物にもやっと春が来たと沸き立ったそうだ。この話を教えた時のカイナルの顔が! 顔がさあ!」

 グレイドは、ミルデハルト伯爵本人から聞き出したそうだ。伯爵の気さくさに驚くが、人との距離を詰めるのが上手なグレイドなら納得である。

 話しながらも歩みを止めなかった二人は、書庫に通じる直線廊下に入った。

 ただでさえ光が少ない廊下の突き当たり、鍵が閉まった扉の前で、腕を組み、制帽を深く被った騎士が闇に沈むように立っている。

(グレイドさん、大当たりです…)

 きっと、グレイドの笑い声が届いていただろう。腹を抱える姿も見えていただろう。

 シュリアが気まずさに顔を逸らしたとき、漆黒の騎士は口を開いた。

「楽しそうですね、グレイド先輩」

 声の低さに、思わず背筋が伸びる。

 カイナルのみならず、肖像画の動かぬ当主たちにも睨まれているような気配に、シュリアは身をすくめた。

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