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「それで? 他に言うことは?」
「…別に」
「じゃ、まあ、俺は調書作ってるから、大人しく待っとけよ」
怒れる厳冬の吹雪が来るまで。
ライザフは、意地悪く口角を上げ、椅子の上でふんぞり返った。
そんな騎士らしからぬ態度の兄は、外で任務に当たっている第一隊副隊長を呼び戻すよう空いた団員に頼むと、シュリアの怪我の状態を確認し、こんな怪我は自分で治せとあっさり言い放った。
薬草には覚えがあるから安心しろと、自信満々で言われたのは気のせいか。
変わり身の速さに呆れたが、口ではそう言いながらも鏡や櫛を揃えたり、水や布巾を用意したりと細々と世話を焼き、上着も着せかけたままにしてくれている。事件についてざっくり聴取したのも、顔に恐怖が残っていないことを確認した後だった。
冷めてしまったお茶を飲みながら何度目かの溜息をこぼすシュリアを、真意を巧みに隠したライザフが注意深く見ている。
「お前、いくらルミエフが嫌でも逃げようとはするなよ。俺が殺されるからな」
「…する訳ないでしょ」
一緒にしてくれるなと、背けた横顔には書かれている。その様子に、ライザフはくくっと笑った。
ライザフとて、末の妹が第一隊管轄の事件に巻き込まれ、護衛が付けられたことは知っていた。
だからこそ、通報を受けて駆け付けた裏路地、どう見ても禄でもない連中に囲まれた被害者がシュリアと知って、心底驚くと共に怒りを覚えたのだ。
護衛はどこに行った。
ルミエフを呼び戻したのもそのせいだ。
だが、第一隊は、隊長以下全員で港湾の立ち入り調査に出かけている。抜ける手筈を整えた副隊長が実際にザファル支部へ到着するのは、どう見積もっても夕刻の鐘が鳴るぎりぎり前になるだろう。
ライザフは、執務室へ事情説明に戻ったついでに調書の準備を携え、シュリアと共に応接室に籠もることにしたのである。
ペンが紙の上を走る音の間に、ちょこちょこと短い問答を繰り返していたとき。
荒い足音が部屋に近付いたと思いきや、突然、派手な音を立てて扉が開け放たれた。
「シュリアさんっ!」
ライザフがペンを取り落とし、シュリアは椅子の上で跳ね上がる。
壁にぶつかって返る扉を上手くかわしたカイナル=ザックハルトは、一直線にシュリアの元へ走り、跪いた。
「ご無事ですか! お怪我は!」
「おい、心臓止まったらどうしてくれる!」
「シュリアさん!」
「俺の話を聞けや!」
よほど頑丈な作りなのだろう、壊れもせずゆっくり閉まる扉の音を聞き届けたシュリアは、唾を飛ばすライザフと血相を変えたカイナルを交互に見た。
守ってくれたのに申し訳ないと、最後に思い浮かべた人がいる。
ただし、すごい形相で。
「カイナル様は、遠くで任務中だと聞いて…」
「そうだ! お前、こんなに早く戻れる訳ないだろ! 副隊長はどうした!」
呼んだのはお前じゃないとライザフが苦情を言うが、カイナルは見事に受け流し、膝の上で重ねていたシュリアの両手を取った。
「お怪我は? 大丈夫ですか?」
「何気に触るな! ていうか、先輩を敬えや!」
兄を視界から追い出したシュリアは、骨ばった大きな掌の冷たさに泣きそうになった。
「勝手をしてすみませんでした」
零れ落ちた小さな声に、二人の騎士は押し黙る。
「大丈夫だと思って、ご連絡もせず一人で歩いて、こんなことになって」
今日あった何もかもが、悪い夢なら良いと思っていた。初歩的な失敗も、叱責も、不用心が招いた事件も。
今までの自信は、ただの過信だったのでは。私は大丈夫と思い込んでいただけでは。
何を信じて良いかも見失ってしまった。
「いつも守ってくださったのに、本当にすみませんでした」
下げられた頭を見て、カイナルは、握りしめた手に力を込めた。
あなたがと言いかけて、続く言葉を一度は飲んで。
「…あなたが無事なら、謝る必要はありませんが」
一方でシュリアは、何を言われるのかと食い入るように見つめる。
「もう二度と危険なことをしないように、気を付けてください」
ありきたりな台詞と共に、作った微笑。
衝動を全て押し殺したカイナルの配慮を、ライザフは察していた。
「お前、紳士だなぁ…」
感嘆の声を上げたライザフだったが。
背後に忍び寄る不自然な冷気に、その冷気の源を察して、身を守るように壁際へと飛び退いた。
そして。
「…支部に戻ると突然言い出し、飛び乗った馬で市中を爆走した技術は本当に見事だった。上官の制止を振り切る度胸も、怪我人を出さないところも、さすが、紳士だな」
第一隊副隊長その人が、ゆったりと扉をくぐって現れる。
「魔王様の降臨だぜ」
いつもなら窘める弟の軽口にも、今日のルミエフは見向きもしない。触れれば切れる氷の眼差しは、命令違反を犯した部下にしっかりと固定されていた。
らしくもなく饒舌なところが、怒りの度合いを物語る。
ライザフが言うこところの怒れる厳冬の吹雪は、怒られる覚悟を決めていたカイナルのみならず、心の準備が間に合わないシュリアをも巻き込んで、雪が枯れるまで延々と吹雪き続けたのだった。