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「「歴の書」って何ですか?」
しばらく無言で歩いていたが、セジュール川を渡ったところで意を決した。
正体不明の暴漢にいつ狙われるかも知れない身の上で、国家機密ならばやむを得ないが、尋ねるくらいは許されるだろう。
幸い、こんな夏日の真昼に外を歩く物好きもいない。
(誰も聞いていないから大丈夫よ)
同じ結論に至ったカイナルは、何をどのように説明するか躊躇った。
「簡単に言うと、古代魔術語で書かれた魔術に関する書のことです。シュリアさんは、我らがライナルシア王国が興る前、この島に三つの国があったことをご存知ですか?」
「百年戦争の前ですよね? もちろん知っていますよ」
国の縁起は基礎学校で最初に教えられるし、寝物語にも好んで聞かせられる。
百年間も続いた三つ巴の領土争いは、勢力が拮抗したまま膠着していた。そこに突然現れたのがライナルシア王家の始祖たる救世主で、たちまちに争いを終結させたのだとか。
それは、この島に存在しなかった、救世主だけが持つ魔力の奇跡。
「そうです。この辺りにはザファールという名の国がありました」
王都ザファルの由来となった国名も、本好きのシュリアは知っていた。
だから、その続きを自ら口にした。
「ザファールにはいたんですよね、魔力を持つ民が」
「…ご存知でしたか」
救世主の生まれ育ちや、魔力を持っていた理由が歴史で語られることはない。その謎を追及することは不敬で、そういうものだと教育されていた。
だが、厳しい情報統制から零れ落ちた古い書物を漁れば、自然と答えに辿り着く。
「おっしゃるとおり、ザファールは、魔力を持つ民と持たぬ民が共存する君主を持たぬ国でした。ですが、持つ民は迫害され、いつしか姿を消したそうです」
持たぬ民が迫害さえしなければ、歴史は大きく変わっていただろう。
「魔力を持つ民がザファールの言葉で記した書を「歴の書」と呼び、集めようとしている連中がいます」
「でも、そういう書物は既に回収されたと…」
「そうです。王族しか魔力を持たないという建前を守るため、建国時点で全て回収したとの噂です。ですから、連中が狙うのは、建国後に記された「歴の書」なのです」
(建国後?)
魔力を持つ民は表舞台から姿を消し、長い時を経て、救世主が現れた。
この史実が示すこと。
(生き残りが?)
はっと口元を手で覆ったところに、カイナルがゆっくりと頷いた。その視線は、言葉にしてはいけないと語っている。
「連中は、大陸で流行している民主国家を築くなどと理想を掲げ、「闇の光」と自称して王家の転覆を謀ろうとしています。「歴の書」は、王家が唯一無二の存在ではないと証明する材料なのでしょう。建国後に「本物」がいたと思れる場所に現れては騎士団と衝突していますが、懲りもせず何度も現れます。今まであの家に現れなかったのが不思議なくらいだ」
そんな怪しい組織を見たことも聞いたこともないシュリアは、素直に説明してくれたカイナルに驚いて、聞くんじゃなかったと後悔した。
(これは、私が聞いて許される話…じゃないわよね)
たかが平民の分際で。
(王家転覆なんて恐ろしいこと、絶対に国家機密でしょ!)
一体、カイナルはどういう整理なのだ。
「ただ、一度たりとも人死には出ていませんから」
事件に巻き込まれたばかりで何の気休めにもならない一言を付け加えて、胡乱気に向けられた視線にも気付かず、カイナルは安心させるように微笑んだのである。