そして『アマテラス』は遺失した
「田端先生、まだ起きておられましたか。何なら代わりますけど?」
葛城がモニタールームに入って来たのは、夜も12時を廻った頃だった。
「いや‥‥結構だ。何かこう‥‥胸騒ぎがしてな。はは‥‥トシのせいだろうが、気になって寝れんのだよ」
田端はそう言って、大きく背伸びをした。
「‥‥そうですか。今晩は鴻池先生のチームが3名と、私達の講座の研究生が私を入れて2名と合計で5名も居ますし。安心してて貰って結構ですよ?」
「ああ‥‥そうだな」
生返事をする田端は、まだ何か『引っかかり』があるようだった。
「そう言えば‥‥アマテラスが居る実験室のプロテクションは、かなり強固だと聞きましたが?」
「らしいな。鴻池先生が言ってたよ。ゴリラやグリズリーのような大型哺乳類の研究を目的とした特別室とかで、壁も30センチのコンクリートだし扉も『金庫並み』だとか」
「なら‥‥万が一にもアマテラスが『敵対的存在』だったとしても、突発事故の可能性は薄いんじゃないでしょうか?それに、この建物自体も‥‥」
田端の『胸騒ぎ』は杞憂に過ぎまい、と。葛城は考えていた。
だが。
アマテラスの『脅威』とは、その身体能力では無かった。
突然。
ビーッ!ビーッ!
モニター室に警報が鳴り響く。
「な‥‥何があった!」
田端が叫ぶ。
「研究班、研究班!聞こえますかっ?!警報が出ていますっ!」
慌てて、葛城がインターホンで鴻池班のメンバーを呼ぶ。
「どうしましたっ?!」
白衣もそこそこに研究班のメンバーがモニター室に飛び込んで来る。
「あっ!見ろっ大変だ!血圧反応が極端に下がってるぞ!」
「体温、急速低下っ!」
「脳波、微弱です!」
メンバーの顔色が変わる。
「電気ショック・システムは使えるのかっ?!」
「だめです!セットしてありません!」
「くっ‥‥何てこった‥‥」
誰かがバン!と机を叩く。
「血圧、なおも低下っ!」
「体温、34℃を切ります!危険です!」
誰彼と無くメンバー同士が顔を見合わせる。
「仕方ない‥‥『やる』しかないな‥‥」
「‥‥。」
反論は無かった。
アマテラスが敵対的存在なのか、それとも友好的な存在なのかは分からないが、ともかく此処は蘇生措置が必要という判断だ。
「やむを得んな‥‥」
田端が口を開く。
「よし、私の権限で蘇生処置を認めよう。すまんが葛城君は此処にいて、モニターのチェックを頼む」
「‥‥分かりました。お気をつけて」
コクリ、と葛城が頷いた。
「いくぞ!」
残りのメンバーは一斉にモニター室を飛び出し、実験室に雪崩込んだ。
「急げっ!心臓マッサージだ!」
「電気ショックの用意を!」
「昇圧剤を直接注射しろ!」
葛城は、その様子を固唾をのんで見守っていた。
そして。
それは次の瞬間だった。
「うわぁぁぁぁ!」
悲痛な叫び声がスピーカーから流れた。
「なっ‥‥!」
何が起こったのか。その時は全く分からなかった。
目を凝らしてモニターを見ると。
「い‥‥居ない?」
実験室に飛び込んだメンバーは田端教授を含めて『5名』のハズだった。しかし、どう見てもモニターには『3人』の姿しかない。
「あ‥‥後の『2人』は何処へ行ったんだ‥‥?」
いや、と言うか。
「待て!アマテラスは?アマテラスは何処に居るんだ?!」
『瀕死』だった筈の『その姿』は、ベット上に無かった。
「う‥‥う‥た、助けてくれぇぇぇ!」
扉とは反対の方に、3人が座り込んでいるのが見える。
その視線の先に。
「‥‥居た」
アマテラスだ。
すっくと2本の足で立っている。その開かれた両眼は虚ろで、何か深い空洞を思わせる恐怖感に満ちていた。
「くっ‥‥」
助けに行くのか?
葛城の心に迷いが生じる。
だが、その足は己の意思や倫理観に反してピクリとも動かなかった。いや‥‥或いは危険から身を護るための『本能』と呼ぶべきか。
不意に、何かがフッ‥‥とモニターを横切った。
「あっ‥‥!」
叫ぶ暇も無かった。
グチャリ、という鈍い音が聞こえたような気がする。
次の瞬間には『残っていた2人』の姿も、無くなっていた。
画面の向こう側には、アマテラスのみが立っている。
「な‥‥何があったんだ‥‥」
ガタガタと震える身体で、それでも必死に外線に繋がる電話機をとる。
もう、機密とか責任とか言ってる場合などではなかった。外部に救援を求めないと‥‥!
「も、もしもしっ!警察ですか!こちらは鴻池研究所で‥‥」
そこまで言い掛けた時。
バリバリ‥‥!
モニター室の扉は実験室ほど強固に出来ているワケではない。それがまるでウェハースのようにひん曲がっていく。
「うわぁぁぁぁ!」
慌てて受話器を投げ捨て、機材の奥へと身を隠す。
「もしもし!もしもし!大丈夫ですかっ!」
垂れ下がる受話器の向こう側で警察官が怒鳴っているのが聞こえる。
しかし‥‥
葛城にとっての『当日の記憶』は其処までしかない。
そして『アマテラス』は被害者5名を出し、何処へともなく『遺失』したのだった。