DNA一致率 50%以下
『アマテラスの意識を取り戻す』
それが、チームの次なる目標だった。
いや、そう表現して許されるのであれば『野望』と言い換えても良かった。
何しろ『8000年前の人類』である。
もしも『これ』が本格的に蘇生して意識を取り戻すことになれば、彼女の口から当時の生活や風俗が生々しく語られることだろう。
それが実現できれば、まさに人類史における大偉業だ。
「‥‥で、『彼女』はまだ『お目覚め』ではないかね?」
完全隔離されたベットに横たわる『アマテラス』をモニターで見ながら、田端が呟く。
「まだですね。『蘇生した』とは言うものの、バイタル・サインはあまり高くありません。体温も低いですし。一応それでも自発呼吸はしていますが‥‥」
鴻池も腕組みをしながら、様子を伺っている。
「脳に異常がある‥‥とかでは?」
心配そうにする田端に、鴻池は首を横に振った。
「いや‥‥それも『確認』してあります。CTとMRIでチェックした結果、脳の機能に影響は無いとの結論です」
「そうですか‥‥」
田端が天井を見上げる。
「では、後は『待つ』しかない‥‥と」
「そうですな‥‥」
何かしら、鴻池の歯切れが悪い。
しかしだ。
『待つ』としても限界はあるだろう。
仮にこのまま何年も植物状態を続けるのであれば、その始末は厄介な話になる。
世間の眼からも何時までも隠し通せるものでもないし、『その場合』には相当の批判・懲罰を覚悟しなくてはなるまい。
それが何かの刑罰に触れるワケではないだろうが、それでも倫理的・道義的責任は逃れられないからだ。
「‥‥それはそうとして」
鴻池が声を落とす。
「ひとつ、気になる事があります」
「ほう、何か?」
「アマテラスのDNAを‥‥採取して解析したのですが。担当員が『理解できない配列だ』と」
ピクッ‥‥と、田端の眉が動く。
「理解できない?」
「ええ。我々としては『彼女』が南方系なのか、それとも渡来系なのかの特定をしたかったのですが‥‥それどころか、解析の結果は『ほとんど一致しない』だったのです」
「‥‥え?」
田端は話が理解出来ずにいた。
「一致しない、とは?いったい、何と『一致しない』のですか?」
鴻池は眼をモニターに注がれたままだ。
「『人類』と、です。現世人類たるホモ=サピエンスとだけではなく、その近似種であるネアンデルタール人や、ホモ=エレクトス等とも‥‥いや、もっと言うならチンパンジーや猿などの哺乳類全般とも‥‥一致を見い出せないのです」
「いや‥‥意味が分かりません。だって『人間』と『チンパンジー』ですら、DNAは『99%が一致する』って言うじゃないですか。まして、これだけ『見た目』が一致するのに‥‥そんな事があるのですか?」
混乱する田端に、鴻池が首を振る。
「そもそも『人間とチンパンジーのDNA差はほとんど無い』というのは、少々恣意的な見解ですな。実際には人間とチンパンジーでは『染色体の数』からして違います。人間は23対で、チンパンジーは24対‥‥根本的にまったく違う種なのです」
かつてダーウィンは『人間は猿から進化した』と語ったが、現実には共通の祖先から600~800万年前に分岐した『別種の生き物』だと分かってきている。
「実は『99%の一致』とは、単に両者におけるDNA配列の『比較可能な部分』だけを比べた結果にすぎません。実際には人間のDNAのうち『約1/4』はチンパンジーと配列や組み合わせなどが異なっていて『比較できない』のです。ですから‥‥もしもそれらを仮に『相違点』とみなすなら、一致率は『75%程度』になりますな」
「う‥‥では、『アマテラス』の場合は?」
田端が聞き返す。
「‥‥難しい質問です。何せ、アマテラスはDNAの数からして約6万‥‥人間の『2倍以上』ある(※人間が約2.7万)のですから。確かに『人間のDNA配列』と相似している部分もありますが‥‥『その他の部分』が多すぎて、単純な比較が難しいのです」
「に‥‥2倍以上‥‥」
絶句する田端の方を、鴻池がゆっくりと振り返る。
「ですから単に『私の見解』として言わせて頂くなら、一致率は『50%以下』‥‥でしょうか」
ふーっ‥‥と田端が溜息をつく。
「もしも‥‥もしも、その結果が事実だとすれば‥‥」
額から汗が吹き出てくる。
「ええ。『人類文化学』どころか『人類史』の‥‥いや、『生物界全体』における『歴史的大発見』という事になります‥‥が‥‥」
よく見ると、鴻池も手先が微かに震えている様に見える。
いや、もしも『そう』なのだとしたら。
眼の前にいる『アマテラス』は‥‥?
人の形こそしてはいるが、とりあえず『人間』ではない事は確かだ。
では『それ』が人間の形をしている意味は何なのか?
例えば『鷹』や『サメ』のシルエットに『その形』をしている確固たる理由があるように、生物の形の全てに意味があるとしたらだ。
何故、アマテラスは人の形をしている必要があったのか。
『人の世界に紛れ込む』ため‥‥?
それが、最も考えられる合理的な解と言えるだろう。
では『何のため』にそんな真似をする必要があるのだ?
その問に対する最も簡単な答は‥‥
『捕食』だ。
人の世に紛れて、『人を喰う』。
そのための『擬態』と考えるべきであろう。
だとすれば、その危険度は‥‥?
狼レベル?熊と同等?それとも‥‥?
残念なことにDNA情報が違い過ぎて、それらの戦闘力を推測することは困難を極める。
田端は、血の気が引く思いがした。
「と‥‥とりあえず‥‥あまり刺激するのは避けるべきで‥‥」
「ええ‥‥更に『万が一』を想定して、実験室のドアも常時ロック状態にしてあります。幸い、栄養などの補給は外部から可能ですし‥‥」
その『恐怖』は鴻池も共有しているようだ。
「田端さん。私は今晩にでも大学に戻って『然るべき筋』と話しを付けてこようと思っています。『これ』をどう処置してよいのか‥‥その判断はもはや、我々の手に負える範疇を超えています」
田端は、大きく頷いた。
そして。
『事件』は、その晩に起こったのだ。