洞窟の奥深くにて8000年の眠りにつく
病室のドアが閉じた後に。
葛城はじっと、そのドアを見つめていた。
背後ではテレビが続報を続けている。
「‥‥。」
柏木が言い残した「お前の気持ちも分からんでもないが」というセリフが心に残っていた。
そうか、あれから3年になるんだな‥‥
-3年前。
葛城は当時、大学生4年生だった。
専攻は人類文化学科で、田端教授の講座に所属していたのだ。
この頃、古代人類史は大きな変革期に来ていたと言って良かったと思う。
現生人類のホモサピエンスに『つながる』とされる前時代の人類が、世界各地で見つかり始めていたのだ。
俗に人類文化学の世界は、研究対象となる『人類の骨』よりも研究者の数の方が多いと揶揄されるほど資料に乏しい世界だ。
故に、生涯をかけて発掘を続けても『新発見を1体も見つけられない』ケースも決して珍しくないと言われていた。
しかし近年、旧世代の人類の生態が徐々に明らかになるにつれ『ポイント』が絞りやすくなって来ており、特に『奥の深い洞窟』の類には発見例が多く、人類の祖先が獣などを避けて隠れ住んでいたと推測されている。
「‥‥それにしても教授、よく文科省の許可が降りたものですね。『アマノイワト洞窟』発掘の」
葛城は、洞窟の入り口をしげしげと眺めていた。
入り口前には幾つものテントが張られ、大勢の大学関係者が忙しなく出入りをしている。
「まぁね。文科省は問題ないよ。何しろ、彼らとしても『実績』が欲しいところだからね。『日本からも新しい人類が見つかった』というね‥‥それよりも葛城君、問題なのは『地元』だよ」
田端教授は古人類学の世界では、日本の第一人者と呼ばれた人物である。
「地元ですか?」
「ああ、アマノイワト洞窟は古くから神聖視されていて、注連縄まで掛かっている『聖域』だからね。『そこ』の調査となると、簡単な事では『うん』とは言ってもらえん」
そう言って、田端教授がニヤリと笑う。
「‥‥何か、『地元に利益があれば』という話ですか?」
葛城は、その含み笑いの意図を汲んだ。
「ああ、そうだ。今はあちこちの神社仏閣が、テレビ等の取材や文化財保護を目的とした調査に好意的だからね。『土壌』はあるんだよ。後は、観光客を誘致できる大義名分があれば、それが一番いいのさ」
念願叶っての調査が余程に嬉しいのか、教授は殊の外にご機嫌のようだった。
洞窟には、先程からフル装備に身を固めた山岳部のメンバーと、洞窟探検の専門家達が出入りを繰り返している。
奥の状況を確認して危険な箇所を洗い出したり、照明設備や移動のためのロープ張りなどを行っているのだ。
当初は、もっと簡単に全貌が確認出来ると思われていたのだが。
こうした事前作業はもう、2ヶ月近くも掛かっている。これは意外過ぎる長さだった。
何しろ、いざ実際に調査を初めてみると、その総延長がとてつもない長さである事が判明してきたのだ。
と、同時にその前例が無いほどの『寒さ』と『酸素濃度の低さ』が行く手を阻み、調査は難航を極めたのである。
それでも、山岳部と洞窟専門家メンバーの努力によって、ようやく『先が見えた』という報告を受け取っていた。
そして‥‥
「田端先生、ちょっと宜しいですかな?」
同行していた生物学の鴻池教授がテントにやって来た。
「どうしましたかな?鴻池先生」
「今、最深部調査チームが帰って来ました。片道6時間を要したようですが‥‥実は、『最深部で有り得ない物を見た』と報告が入ってます」
心なしか鴻池教授の眼が、やや泳いでいるようにも見える。
「‥‥有り得ない物?」
田端教授も自然と、小声になる。
「‥‥はい。何でも『氷漬けの人間』が居ると」
「何‥‥ですと!」
思わず大声が出そうになり、慌てて声を抑える。
「そ、それは本当なのですか!」
もし『それ』が本当だとすれば、有り得ないを通り越して『世紀の大発見』と言って良いだろう。
「チームのメンバーが『間違いなく見た』と言って‥‥震えています」
「震える?」
「ええ‥‥『怖かった』と。『とてつもない恐怖を感じた』とか」
何しろ、誰も到達したことの無い筈の『洞窟最深部』だ。そんなところに『冷凍された人間』があれば、誰でも不気味には思うだろうが‥‥
田端教授が辺りを伺う。
「‥‥『最近』の‥‥物ではありますまいな?」
定義として言うならば、だ。
100年以上前の『人骨』は『発掘』として歴史的価値を持つが、それ以降の人骨は『事件』として警察の管轄になる。
もしも『最近の物』だとすると、この発掘調査はかなりの足止めを食うことになるだろう。
「それは無い、と思います。さっき地質学の山中教授にも意見を伺いましたが、最深部に氷が出来たのは、かなり以前‥‥そう、少なくとも8000年は前だろうと。まぁ‥‥警察の出番ではありますまい」
だとすれば、この発掘は最早『大成功』を約束されたも同然と言えよう。
「で‥‥どうします?田端先生。『現物』を見に行かれますか?‥‥最深部ですから、相当な難所をくぐる覚悟をしなくてはなりませんが」
ひとりの研究者として。
もしも『その問い』に「No」と臆する者が居るとすれば、それはモグリというものだろう。
「聞かれるまでも無い話でしょう」
田端は、身震いがするのを止められなかった。
そして。
特別編成されたチームが、最深部へと向かったのだった。