プロローグ 『それ』は洞窟の奥深くに
ふうっー‥‥ふうっ‥‥
酸素供給マスクの中でゆっくりと息をする。
腰につけた酸素濃度計は12%を表示している。少なくとも『運動』には不向きと言えるだろう。
事前に聞いていたとおり、過酷な環境だ。
視界が利かない。
サバイバル用の高性能LED灯でも、僅か1m先ですら満足に見通せない暗闇だ。
足元が悪い。
ゴツゴツした不規則な岩が、行く手を阻む。
寒い。身体が芯から凍てつく。
手首に付けた温度計は、なんとマイナス25℃。冷凍倉庫でも特に冷たいとされるF3クラスに匹敵する。
もはや洞窟探検と言うよりも、真夜中のヒマラヤ登山だ。
まあ、風が無いだけマシかも知れないが‥‥
「おおーい!後方、チャンと着いて来てるかぁ‥‥?」
前方に居るメンバーから声が掛かる。
「こちら、最後方!しっかりと着いて来てるぞぉ!」
背後から声が響く。
かなり疲れているようだが、脱落はしていないようだ。
疲労が蓄積しても当然である。何しろ、もうこんな行軍を6時間も続けているのだ。
再び、前進が続く。
スピードを上げたいのは山々だが、何しろチームには老齢の学者先生も居る。無理は出来ない。
その時。
「先頭ぉ、到着しましたぁぁ!」
暗黒の洞窟に、希望の声がこだまする。
「おぉ、着いたか!よし、急ごう‥‥」
疲れてヘトヘトになっている『教授』が、力を振りぼって前に出る。
「‥‥行きましょう。足元に気をつけてください」
ポン、と教授の背中を押す。
5分ほど進んだところで、先頭に合流出来た。
寒さのレベルが一段と上がった気がする。
「はぁ‥‥はぁ‥‥此処かね‥‥?」
真っ暗な中で、教授が辺りを見渡す。
「ライト、点けます!眩しいですから、目が慣れるまで注意してください」
エンジニア達がライトのセッティングをしている。
パッ‥‥!
バッテリーライトの白い明かりが空間を照らし出す。
「おぉっ‥‥!」
「こ‥‥これは‥‥凄い‥‥!」
「何という事だ‥‥」
一斉に感嘆の声が漏れる。
その眼前には巨大な氷が。
そして、その氷の中央に『その人』は居た。
ゆっくりと、教授が氷の塊に近づく。
「凄い‥‥氷漬けの人類か‥‥」
この氷が出来たのは、少なく見積もっても8000年以上前だという。
つまり、『その人』は氷に深く閉ざされた8000年前の『人類』なのだ。
「‥‥凄いですね、まさに奇跡です。ですが『その人』は何でこんな洞窟の奥深くで氷漬けになったんでしょうね‥‥」
そこは現代の装備を以ってしても容易に近づく事が出来ない『聖域』なのだ。では、『その人』はどうやって8000年も前に此処へ‥‥?
「うむ‥‥それも確かに興味深いところではあるが‥‥」
教授が目を凝らす。
「そんな事より、見ろ。『その人』は、ほぼ完璧に原型を保っておる‥‥まるで眠っているようだ‥‥」
確かに『眠っている』という表現がピッタリ来る。
『その人』は仰向けになって、両手を腹の上で静かに組んでいた。
その身体には、動物の皮で出来ていると思われる簡素な衣装を纏っている。
そして、その全身に何かの『蔓』のような紐が幾重にも巻かれていた。更に、その途中には『玉』に似た石が繋がっているのが見て取れる。
古代の『封印』‥‥?
これがミイラなら、何千年も前の物が見つかっても不思議はない。
或いは5000年以上にアルプスの氷河に閉じ込められたという『通称・アイスマン』の例もある。
だが、『その人』はあまりに例外過ぎる。
何しろ、氷の中で何の腐敗も壊死も、ミイラ化も起こしていないのだ。まるで『たった今、死んだかのような生命感』があった。
じっと、『その人』を教授が見つめる。
「‥‥女性‥‥のようだ。そうだな‥‥このような厳重な『天然の牢』に閉じ籠もっていたのだ。
そして、彼女の発見は人類史に新たな夜明けを呼び込む事になるだろう。その意味で‥‥彼女の事を『アマテラス』と呼ぼう‥‥彼女の名は『アマテラス』だ!」
だが。
その発見が人類にもたらすのは『夜明け』ではなく災厄の闇だと。
その時は誰も知るよしがなかった。