10-22. 最先にして最後の地の冒険(前編)
* * * * *
ミカエラ――そう名乗った女性に招かれ、私は(暫定)星明神社の中へとひとまず入ることとなった。
……いや、マジで状況が全く掴めない……。
私がガイアに呑み込まれたのは間違いない、というかはっきりと覚えているのだけれど……どういうわけか星明神社へとやってきているのだ。
夢を見ている、というわけではないだろう。逆に、ガイアとの戦いが夢だったわけでもないと思う。遠隔通話はつながらないけど、他の皆もクエスト内のどこかにいるのは確定しているわけだし……。
今いる場所もそうだけど、それ以上にこの『ミカエラ』の存在がわけがわからない。
”……”
「ほれほれ、遠慮するでない」
”う、うん……”
入るなりお茶を振る舞われているけど、正直どう対応したものか困っている。
じっと彼女の顔を見てしまっているのを遠慮していると思われたのか、相変わらずの無邪気な笑顔でお茶を勧めてくる。
……まぁ毒とかでも使い魔の身体ならば大丈夫だろうし、そこはあまり心配していないのだけど……。
躊躇いつつもお茶を口にしてみる。
…………うん。普通のお茶だね……ちょっと渋いけど。
「どうじゃ? 美味いか?」
…………感想を催促するってのはどうなんだろうって思うけど……
キラキラと輝く無邪気な笑顔で迫られると、無碍には出来ないって気持ちが湧いてきてしまうなぁ……。
”お、おいしいよ。ありがとう……”
「おおそうか! ふふん、流石の余じゃな! お茶を淹れるのも完璧じゃ!」
一体この人は何なんだろう……?
さっきじっと顔を見ていたのは、別に遠慮していたからというわけではない。
『スカウター』で彼女のことを見ていたためだ――流石にアストラエアの世界での経験は活きている。彼女がユニットなのかそうではないのかくらいは最初に知っておくべきだと思ったのだ。
で、結果は――全くわからない。
ユニットのようにマスクされた情報が出てくるわけでもないし、かといってピースのように名前だけがわかるということもない。
本当に何の情報も出てこないのだ。
じゃあそれが『普通の人間』を表すのかと言えば、そういうわけでもない。
なぜならば、人間だったら『ユニットにできるかできないか』が表示できるからだ――ちなみにユニット枠を限度いっぱいまで持っている私でも、ユニット化の可否はわかるようになっている。これは既に確認済みだ。
美奈子さんのような大人であってもそれは変わらない。
「熱い!?」
自分で淹れたお茶が思ったより熱かったのかそれとも猫舌なのか、必死にふーふーと冷ましているミカエラ。
……彼女は本当に何者なのだろうか?
ユニットでもピースでも、普通の人間でもない……。
ふと思い立ってモンスター図鑑を開いてもみたけど、当然そこに載っているわけでもない――『黄金竜』みたいに載っているけど何も情報が書かれていない、というのとも違う。
『ゲーム』の外側の存在――としか思えない。
……一人で考えていても何も進まない、か。
”あのさ、ミカエラ”
私に危害を加えるならばもっと早くにできただろう。だから、ひとまずは彼女が『敵ではない』と自分の感覚を信じ、意を決して疑問をぶつけてみることにした。
「うむ、申してみよ」
私が真面目に話しかけているのを理解してか、一旦お茶を冷ますのを止めて床に置くと、きりっとした表情で彼女も姿勢を正す。
……こうして真面目な顔をしていると、やっぱりガブリエラに似ているなぁと思う。着ている服とかぼさぼさ髪とかで大分印象は違うんだけど。
それはともかく……。
”……ここっていったいなんなの?”
聞くべきことは大きく2つある。
で、どっちを優先すべきかは悩んだけど……私は現状把握、すなわち今自分のいる場所のことを優先した。
とにもかくにも、まずは皆との合流が最優先だ。皆の無事は確認できているが、皆からは私の状況が不明のままだろう――これ以上心配をかけたくないという思いがある。特に、アリスに対しては……。
だから私自身が今どこにいるのかをはっきりさせ、合流のための道を探る。それが一番だと考えた。
「ここ? 余の住処じゃが?」
”……いや、それは何となくわかってるけど……”
星明神社で我が物顔でお茶淹れたりしてるし……それ自体も気にはなるけどさ。
「ジョークじゃ」
”……ジョークですか……”
「ふふん、人間流のジョークも完璧じゃろ?」
どうしてそこまで自信満々なのか理解に苦しむけど……。そしてさっきのきりっとした表情は一体なんだったのか……。
こほん、と軽く咳払いをしてから、再度ミカエラは真面目な表情に戻る。
「ま、ジョークはともかくとして――ここは『最先にして最後の地』……じゃな」
どういう意味だ……? いや、『最先』と『最後』の意味はわかるけど……。
私がその答えにピンと来ていないのは予想していたのだろう。
ミカエラは立ち上がると社殿の扉を開き、外の景色を私に見せようとする。
「見よ、ラビ」
促され、私も外を見てみる。
……ふむ? 何度か私も星明神社には来ていたし、社殿の中にも入ったことがある。
そこから見える景色と何も変わりないようには見えるが……?
”……あ、あれ?”
いつもと同じ、と思っていたけどよく見たら何か違和感がある。
その違和感が何なのか掴もうとしていたけど、先にミカエラが答えを教えてくれた。
「時が止まっておるのがわかるじゃろ?」
”――あ……”
彼女の言う通りだった。
春が近づき、境内の木々にも緑が――何本か桜の木が混じっているのがわかる――見え始めている。
だが、その木は少しも動いていない。
ほんのわずかな風でもあれば、こうした木々の中にいればざわめきが聞こえてくるものなのだが、それが全くないのだ。
それどころかよくよく見てみると、枝から落ちようとしている葉が空中で不自然に止まっているのもわかる。
”こ、これは一体……?”
まるで写真、あるいはビデオを一時停止したかのように景色が停まっている。
本当に『時間停止』としか表現できない状況だ。
……本当の本当に『時間停止』しているとしたら、呼吸もできないし大気に全身を包まれて身動き取れなくなるんじゃないかとか無粋なことは言うまい。そもそも、現実離れした状況なのには違いないのだから……。
なるほど、『時間が停まっている』と考えるとミカエラの言葉の意味がわかった。
「ここより先に時が進むことはないし、ここより前に時が戻ることもない」
”だから、最先であり最後である……”
「そういうことじゃ」
これより先に進むことはない――いや、正確にはまだ『未来』がない状態だから、ある意味では『最先』である。
そして、過去から見てみればこここそが時の果て……『最後』である。
そういうことなのだろう。
……だからと言って何一つ謎が解けていない状況には変わりないのだけど……。
”どうして私はこんなところに……? いや、それ以前にミカエラ――君は一体何者なの?”
もう一つの疑問も一緒にぶつけてみる。
答えが返ってくるかどうかは正直期待できないかなぁと思ってはいるけど。
「最初の問いについては、余にもわからん!」
”そ、そうですか……”
明るい笑顔で言い切られてしまった。
「そして余が『何者』かという問いじゃが――其方に説明しても理解できんじゃろうから、『するー』じゃ」
”えぇ……”
スルーされてしまった……。
これ以上は聞いても答えてはくれないだろうとは私も思うし、ミカエラが一体何者なのかは置いておくことにするしかないか。
……ただ、何となく想像していることはある。
ガブリエラとよく似た姿に対となるような名前。星明神社を『住処』と言っていること。
――そして、その名前は……いや、あくまで私の想像だしここまでにしておこう。
仮に私の想像が正しかったとして、だからどうなんだって話なのには変わりなさそうだし――今のところは。
”……うーん……?”
しかし困ったな……私がここに来た理由も不明だし、ここからどこかへ――皆のところへと行く手段が見当もつかないし手がかりも今のところなさそうだ。
ここは見た目上は時間が停まっているというのは事実としてそうなんだけど、だからと言って『ゲーム』の時間も同様に停まっているというわけではない。
アリスのリスポーンは受付後無事に完了しているし、他の皆も少しだけど体力・魔力の増減が見られる。
見た目に騙されてはならない。あくまでもここは『停止したフィールド』なだけであって、ガイア戦は現在進行形で続いているのだ。
「ふむ? 其方、ここから外に出たいようじゃな」
頭を抱えてしまった私の様子から、察してくれたらしい。
”出られるの!?”
入ってこれたんだから出ることだってできるはず、それは道理だ。
ただし、『なぜ』ここに来たのかが全くわからないし、『どこから』入ってきたのかもわからないので頭を抱えていたのだけど……。
「当然じゃ。そもそも、其方に限らずここに訪れることなど本来は出来ないはずなのじゃが……■■■め、適当なことを言いよってからに……」
何やらぶつぶつとまた誰かに向けて文句を言っているけど、そんなことよりここから出られるという事実の方が私にとっては大きい。
リスポーンだけはここからでも出来るがそれだけしていればいいというわけではない。
特に他ユニットとの戦いになったとしたら、危険は増すにしても一緒に戦えないとこちらが一方的に不利になるだけだろう――互いに使い魔がいない状態ならイーブンではあるが、逆にこちらが使い魔がいる状態なら有利になるという面もある。
何にしても、ガイア戦クリアのためにはいつまでもここにいるわけにはいかないのだ。
”ミカエラ、悪いけど急いでるんだ! 私を外へ連れ出してくれない?”
「おお、そうじゃな。■■■を問い詰めるのは……まぁ全部が片付いてからでもいいじゃろう。
良いぞ、ラビ。まずは其方を外へと送り出してやろう」
た、助かる……!
と思ったけど、その時ミカエラの表情が変わった。
「……!」
無邪気な表情から一変、まるで戦闘中のアリスたちのように真剣な表情となり私から視線を外し、どこか遠くの方へと向ける。
”え、え……? ミカエラ……?”
私に危害を加えるという感じはしないが、そのどこか緊張した感じに思わず私も緊張してしまう。
「――ラビよ、すまんな。其方を外へと送る前にやらねばならんことができてしもうた」
”え……?”
「なぁに、すぐに片付く。
……が、其方をこの場に置いておくのも拙いか。供をせよ」
そう言いながら私の返答を待たず、ミカエラが私を掴んで自分の肩へと乗せる。
訳が分からないが、これは――
「しかと掴まっておれよ、ラビ!」
”……っ!?”
無茶な機動をするパターンだ! と今までの経験から即断、アリスの時と同じように私はしっかりとミカエラの肩にしがみつく。
同時に強烈な浮遊感が襲ってくる。
”うわぁっ!?”
ミカエラがその場から一気に上空へと飛び上がったのだ。
星明神社境内の木々を軽く飛び越え、時の止まった桃園台を見下ろせるくらいの高さへとジャンプした……としか言いようがない。
と、とんでもない脚力だ……! スカウターでは何も見えなかったけど、こんな身体能力を見たらやはりユニットなんじゃないかと思えてくる。
「――チッ、今度は数が多いな……まぁ良い。余のやることに変わりはない」
忌々し気に舌打ちするミカエラ。
彼女の視線の先に私も目を向けると、そこには……。
”な、なに……あれ……?”
二つ、ありえないものが私の目に映った。
一つは、遥か彼方に聳え立つ『光の壁』だ。
どのくらいの距離にあるのかはわからないが、現在地よりかなり離れた位置に油膜のような輝きの『壁』としか言いようのないものが聳え立っていたのだ。
しかも、それらは地上から遥か上空――果てが見えないくらいに高く、そして隙間なくある一定範囲を覆っているように見えた。
…………おそらく『ゲーム』の範囲を示しているのではないか、そう私は直観した。
だが、問題なのはもう一つの方だ。
「段々と間隔が短くなってきておるな……」
そう呟くミカエラの背から、一対の『炎の翼』が現れる。
炎の天使――そうとしか言いようがない。
これもまたガブリエラと対になっているように思える。ならば、やはり彼女は――いや、それよりも彼女が警戒している、もう一つの『ありえないもの』が今は問題か。
”空間が……裂けている……!?”
上手く言い表せないが、時の止まった世界の空に『裂け目』が現れているように私には見えた。
距離感や立体感を全て無視した……そう、最初に抱いた感想に沿うならば、『一時停止したテレビ画面』にヒビが入ったような……現実にはありえない感じの『空間の裂け目』が現れているのだ。
方角的には、桃園台から見て南西方向――芦原沼の辺りだろうか。私は直接行ったことはないけど、大体そんな感じだったと思う。
その『空間の裂け目』から、おぞましいものが溢れ出してきていたのだ……!
「其方にも見えるじゃろう? アレを始末する――それが余の今の役割じゃ!」
どろりとした、見るだけで生理的な嫌悪感を催す……赤黒い『血膿』のようなものが裂け目の中から溢れ出してきている。
ミカエラはアレを始末するのが役割……そう言っているが、アレが何なのかもわからない。
……ただ、説明されずとも感覚でわかる。
アレは絶対に放置していてはいけない、この世界の敵だ……!
止めようもなく私の内から湧き上がってくる嫌悪感。理屈ではなく『本能』のレベルでアレが相容れない『敵』であると全力で告げているのを感じている。
”アレは一体……?”
震える声でそんな呆けた言葉しか出てこない。
ミカエラはアレから視線をそらさず、そして炎の翼をはためかせ一直線に飛び立ちながら私に告げた。
「其方も感じるか。■■■の話とちと異なるが……いや、まぁ良い。
アレこそが世界を覆う『害毒』。排除すべき『敵』――『侵略者』じゃ」