8-86. Requiem for a Bad Dream 4. "死を齎す者"ベララベラム
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
アストラエアの世界――その住人たちが『竜』の要素を持っていることからわかるように、この世界において『竜』とは特別な生物として扱われている。
世界の創造神『アストラエア』の御使い、いわゆる天使として神聖視されていることもある。
世界の守護者たる結晶竜たちが『竜』の姿であることからもそれはわかる。
しかし、それ以上に『竜』が神聖視されるのには理由がある。
それは『竜』とは既に絶滅した過去の生き物であるということだ。
アストラエアの世界における人類の文明圏――南北大陸においては絶滅し、伝承の中のみの存在となっている。人類未踏の地、例えば北極大陸等においてはまだ『竜』と呼ばれる種は存在しているが……。
ともあれ『竜』は過去の存在である。
重要なのは過去の存在であって架空の存在ではない、ということだ。
エル・アストラエアが僅かに揺れる――
地上にいるラビたちも気付かないほどの僅かな揺れだが、確かに揺れている。
その揺れは僅かではあるが着実に、少しずつ大きくなっている。
地震とも違う。
それはまるで昨夜の巨大ミミズが現れた時のような――
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ラビたちがウリエラたちの方へと向かった後……。
「な、なにこいつ……!?」
「ゾンビそのもの……!!」
地上に落ちた襲撃者を追って、クロエラとジュリエッタの二人も地上へと降りる。
そこでバイクに張り付いていた襲撃者の姿を始めて目の当たりにした。
地面にそこそこ高い位置から落ちて叩きつけられたにも関わらず、平然とそいつは起き上がる。
ゾンビ――言葉通りの存在だった。
「うぇっ……!? こいつが臭いの元……」
真っ白なワンピースを身に纏った清楚な少女――のゾンビだ。
服もボロボロ、身体は腐り落ち腐肉からは悪臭が放たれている。
「うぅぅぅ……」
まるで理性のない獣のような唸り声をあげ、ぽっかりと開いた眼窩の奥に青白い燐光を瞬かせるその姿は、ゾンビであるとも言えるし『怨霊』とも言える。
彼女の名はベララベラム――後にラビが思い出したように、かつてトンコツたちがとあるクエストで遭遇したピースである。
もっとも、この時点ではラビは思い出しておらず、話を伝え聞いただけのジュリエッタたちも同様だが――それでも相手が敵でありピースの一員であるということだけはすぐさま理解できた。
敵ならば倒す――ジュリエッタの切り替えは早かった。
「クロエラ、ジュリエッタが斬り込む。援護と他にピースがいないか警戒を」
「……あ、う、うん……」
「……?」
この期に及んでどこかぼーっとしているようなクロエラの態度に違和感を覚えるも、目の前に敵がいる状況でそれ以上意識を割くことはできない。
ジュリエッタはすぐに目の前の敵に集中する。
「うぅぅ……おぉぉぁぁぁぁぁ……」
「! 来る……!」
目玉がないようでもしっかりと姿を認識できているようだ、唸り声を上げながらベララベラムが近づこうとしてくる。
しかしその動きはゾンビの見た目通りのろのろとしており、身体強化を使わずとも余裕でかわせるし攻撃も当て放題だろう。
……だからこそ気味が悪い。
この街の異常――腐臭だけでなく妖蟲の進撃もこのピースの仕業であるのは間違いない。
空中を走るクロエラに追いつき、ウリエラたちを墜落させたのもこのピースだろう。
だから見た目とその動きに惑わされたら拙い――ピースでなくても戦闘で油断するわけがない。
「ライズ《アクセラレーション》、メタモル!」
油断せず、初撃で決めるつもりで全力でベララベラムへと向かう。
得意の加速からのメタモルでの一撃を放つ。
ゆっくりとしたベララベラムはその動きを全く捉えることも出来ず、あっさりと背後へと回り込み巨大化した腕を横殴りに叩きつけることが出来た。
「ぅぅ……」
殴り飛ばされ、近くの建物の壁に激しくぶつけられたものの少し呻くだけでベララベラムはのろのろとした動きで立ち上がろうとしていた。
「見た目の割には頑丈……でも」
――これなら何とかなるか。
油断はせずともジュリエッタはそう思えていた。
相手の魔法には要注意だが、少なくとも動きは鈍いし真正面から迂闊に攻撃をせずに常に背後や側面から攻撃を仕掛け続ければ、ほぼ一方的に勝てるのではないかと思える。
他のピースや広場にいた妖蟲も姿はない。不意打ちさえされなければ、ベララベラム一人を倒すことはこのまま可能だろう。
「時間はかけない。一気に潰す」
壁を背に立ち上がったベララベラムへと追撃を仕掛けようとするジュリエッタ。
近くの家も破壊してしまうかもしれないが、気遣って戦っている余裕もない。
横から更に壁に叩きつけ――どころか腐った身体を叩き潰す勢いで腕を振るおうとしたジュリエッタだったが、
「!? なに、これ……!?」
振り上げた腕に違和感があったことにすぐ気付く。
腕のあちこちに赤黒い肉片が纏わりついており、それが徐々に腕を侵蝕しているのだ。
「め、メタモル!」
すぐさま腕をメタモルで切り離しそれ以上の侵蝕は防いだものの、切り離した腕はそのまま侵蝕されあっというまに腐肉の塊に変わってしまっていた。
――ヤツに触れること自体が拙い!?
反撃も魔法も使われた形跡はない。
ベララベラムに触れた箇所から侵蝕が進んでいたように見えたため、そう判断する。
一度腕を切り離すために止まった隙に、ベララベラムは立ち上がりジュリエッタの方へと向き直り両手を前へと伸ばして近づこうとしてくる。
「……触れないなら、触らず倒すだけ」
すぐさま気を取り直し切り離した腕を再生、火龍の口にして触れずに攻撃を仕掛けようとする。
もちろん近づかれないようにライズは切らさずに距離を保ったままだ。
「こういうの、御姫様の方が得意なんだけどな……」
遠距離からの高火力を叩き込むのはアリスの得意分野であろうことは間違いない。
とはいえジュリエッタが諦めるわけもない。
火龍の炎を浴びせかけてゾンビらしく火葬にしてやろうとする。
「ぉぉぉぉ……おぉぉぉぉ……」
「ほ、ほんとにホラーみたい……」
火だるまになりながらもベララベラムは止まらず前進を続ける。
焼き尽くすにしても火力が足りないのか、と炎属性強化をかけようとした時だった。
「……ろ、とぅん……」
「!?」
黒い霧がベララベラムの伸ばした両手からジュリエッタに向けて噴き出した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
少し離れた位置から援護と周囲の警戒を任されていたクロエラには一つ気がかりなことがあった。
前日のジュウベェとの一件は彼女の心に暗い影を落としていたものの、かといって目の前の戦いを疎かにするような性格でもない。
気がかりなのはそこではない。ベララベラムのことである。
――……あんなノロノロしてるのに、どうやってボクのバイクに飛び乗ってきたんだ……?
最初の襲撃で、空中を走っていたはずなのにいきなりベララベラムに追い付かれたのだ。
ゾンビの見た目通りの緩慢な動作で、どう考えても飛行中のクロエラに追い付けるわけがない。
けれども事実どういうわけかバイクにしがみついてきたのだから、方法は不明だが『高速移動が出来る』ということだけは確実だろう。
それと反するような動きの鈍さがフェイクなのか、それとも……。
ベララベラムの謎の高速移動の正体はわからずとも、空中のバイクに追い付いてきたということはジュリエッタも知っている。
その辺りの警戒はクロエラが言わずともジュリエッタは理解しているだろう。
そう思いつつ横で二人の戦いを見ていたクロエラだが、感想としては『このまま勝てるだろう』というものだった。その点はジュリエッタとほぼ一致している。
触れるだけで身体が『腐る』という特殊能力は不気味だが、それでも対処法はいくらでもある。事実、ジュリエッタは火龍にメタモルして離れた位置から炎で攻撃をしているし、それが全く効いていないとも思えない――そこまで有効とも思えないのは確かだが……。
「……ろ、とぅん……」
「!?」
そこで、初めてベララベラムが唸り声以外の言葉を発生する。
それと同時に黒い霧が両腕から噴き出し、ジュリエッタへと襲い掛かる。
「くっ……!?」
正体不明の魔法――おそらく『ロトゥン』を警戒し、ジュリエッタは突っ込むのを止めてすぐさまそのまま後ろへと跳んで避けようとする。
本人の動き同様にゆっくりとした動きの黒い霧だが、火龍の炎を呑み込みながらそれは全く止まることなくジュリエッタへと迫ろうとする。
――……アレは拙い……!?
おそらくジュリエッタ側の視点からは見えていないだろう。
炎をも呑み込む黒い霧――それが迫っており、このままだとジュリエッタにまで届いてしまう。
「ジュリエッタ!」
警戒を、と言われていたがそれよりもジュリエッタの安全の方が優先だ。
咄嗟に駆けだしたクロエラがジュリエッタを抱きかかえ、そのまま壁を蹴ってその場から大きく距離を取る。
「クロエラ!? ……危なかったみたい……」
いきなり自分を抱えて逃げようとしたことに驚くものの、すぐにクロエラの判断の方が正しかったことをジュリエッタは理解する。
黒い霧が先程までジュリエッタのいた位置まで広がり、地面も壁もすべてが黒ずんでボロボロになって崩れていく。
もしも浴びていたら全身が腐り落ちてしまっていただろう――即死でなければ、メタモルで再生可能なジュリエッタなら耐えきれるかもしれないが。
ロトゥン――名前からして『腐敗』させる魔法とジュリエッタは判断する。
地面や壁がボロボロに腐り落ちている様子からしても間違いないだろう。
「助かった、ありがとう」
「う、うん……ごめんね、こんなことしかできなくて……」
二人はベララベラムと少し距離を取って対峙しなおす。
直接触れても危ないし、腐敗魔法は生物にとっては致命的な威力を持つものだ。
動きの鈍さだけが唯一の隙……と言いたいところだが、謎の瞬間移動のような能力もある。
「こいつ、かなりヤバい相手……」
元より油断はしていなかったが、更にジュリエッタは気を引き締め直す。
ゾンビのような見た目の割には打撃も炎もそこまで有効というわけではなさそうだ――モンスターではなくピースなのだからそこまで不利になるような弱点属性はないのだろう。
遠距離魔法にしても、ロトゥンで迎撃されるのは確実だろう。
……動きの鈍いクリアドーラ、とも言える性能だ。
――こいつが昨夜現れてたら、かなり拙かった……。
対抗手段が限られる上に、有効な手段が更に少ない。
ヴィヴィアンの召喚獣でもロトゥンは危険だ。火龍の炎を上回る腐食である、同じ魔法同士であれば酸化無効の能力でもない限りは耐えることは難しいだろう。
昨夜の襲撃でどこかに現れたら苦戦は免れなかっただろう――昨夜の目的が『ピッピの動きを封じる』だけだったことはもうわかっているが、もしも現れたとしたら街の防衛線は崩れていたかもしれない。
いずれにしろ目の前に『強敵』が現れたのだ、いかな強敵であろうとも倒す方法を考えるのみだ。
「ぅぅぅ……うぅぅぅぅぅ……!!」
ボロボロになっているため表情がわかりにくいが、どこか憎々し気に歪めつつ唸り声を上げて二人へと視線を向けるベララベラム。
それなりの距離は離れた状態とは言え、ロトゥンの射程がどこまであるかわからない。
相手が引くわけもないので二人は気を引き締め迎撃、あるいはこちらから攻撃をどう仕掛けるかを考える。
「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぉぉぉぉぉぉぉぉ……っ!!」
「!?」
今まで唸り声を上げるだけだったベララベラムが、突如天を仰ぎ咆哮をあげる。
街中に響き渡るのではないかと思えるほどの音量の咆哮に、近くにいた二人は思わずすくみあがるが――それで怯むほど経験は浅くない、すぐさま立ち直る。
……が、それがただの咆哮ではないことにもすぐに気づいた。
「!? 地震……!?」
「ま、まさかまたエル・メルヴィンの時みたいな……!?」
ルールームゥたちがどこへ行ったかはジュリエッタたちは把握していない。
まさか先回りしてエル・アストラエア地下へと潜り、そこからまた《バエル-1》が浮上してくるのではないか、と最近の記憶から思ったがそれとの違いを理解するよりも早く他の異変が起こる。
「うぅぅ……」
「おぉぉ……」
ベララベラムの叫びに呼応するように、周囲の建物内からゾンビが現れて来る。
――彼女たちが知る由もないが、別の場所のラビたちもゾンビに囲まれたのだった。
「ぞ、ゾンビの群れ……!?」
「建物の中にいるのはわかってたけど、これは……!?」
あらかじめ音響探査で建物の中に『何か』がいるのはジュリエッタはわかっていたが、それがまさかゾンビの群れとは予想もしていなかった。
てっきり住人が隠れているのかと思っていたが――それだとしても妙な点があるのは否めないが……。
二人もゾンビの正体がエル・アストラエアの住人だと気づき、ベララベラムの姿と結び付け――敵の能力について嫌な想像が浮かんできてしまう。
「ジュリエッタ、こいつまさか……!?」
「うん、かなり拙い能力……!」
他者をゾンビ化させる能力――そうとしか思えない。
触れるだけで拙い、と自分の腕を見るジュリエッタだったが、先程メタモルで切り落としたために幸いゾンビ化が進んでいる様子はない。
……本格的に対処法が限られてきてしまった。
しかも、街の住人までもが敵に回っている状況だ。昨夜よりもピースの数は減っているものの脅威度は遥かに増していると言える。
『”ジュリエッタ、クロエラ! そいつに触られないように気を付けて!!”』
丁度その時、ラビから遠隔通話がやってくる。
その様子から向こうにもゾンビが現れているのだろうと予想したジュリエッタたちは、一旦ベララベラムを放置してラビたちを助けに行くか迷う。
返事をしようとした瞬間、二人の足元が爆発する。
「なっ……!?」
「地下からモンスター!?」
「ぅぅ……うおぉぉぉぉぉぉ……」
爆発――と思ったのは地下から巨大なものが勢いよく飛び出してきたことが原因だった。
それは巨大な『腕』だった。
ぐちゃぐちゃに腐った肉とボロボロの骨で形作られた魔物の腕が、地面から伸びると共に二人を握りつぶす勢いで掴む。
腕だけではない、巨体がゾンビのように地下から這い上がってきた。
――ドラゴンのゾンビ……!?
黒晶竜たちのような人型に近いドラゴン、そのゾンビが地下から湧いて出てきたのだ。
それも一体だけではない。
少なくとも周囲に見える範囲で三体。
「くっ、殿様たちに――」
遠隔通話で危険を報せようとしたジュリエッタたちだったが、
「ふわぁっ!?」
「うわぁぁっ!?」
ドラゴンゾンビは手に持った二人をそのまま地面へと腕ごと叩きつける。
「……っ!?」
脱出よりも遠隔通話を優先しようとしたことが仇となった。
二人は悲鳴を上げる間もなく、地面へと叩きつけられ意識がブラックアウトするのであった……。




