8-22. BAD DREAM RISING 7. 咎人は己を許さない
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ラビたちが『封印神殿』内部にて探索、およびクリアドーラとの戦いを繰り広げていたのと同じ時――
――どうしてヒルダがここにいる……!?
戦いの最中だというのにジュリエッタは自分の集中力が乱れ切っていることを自覚していた。
その原因は明らかだ。
かつて彼女自身が倒したはずのヒルダが目の前にいる。
もしこれが変装魔法のようなもので化けているだけであれば、ジュリエッタはそこまで動揺はしなかっただろう。決して冷酷というわけではないが、明らかな『偽物』だとわかっているのであれば、罪悪感など感じることはない。
だが、目の前にいるヒルダは『偽物』ではない。そうほぼ確信できる。
「くっ……」
巨体のユニット・エクレールの一撃は非常に効いた。
全身がバラバラになりそうな痛みを堪えつつ、それでもまだ体力がギリギリ残っていることを確認しながらジュリエッタはヒルダへと向かって行こうとする。
――どうしてヒルダがいるのかわからない……。
――けど、あれがジュリエッタの知ってるヒルダと同じなら、真っ先に倒さないと拙い……!
以前戦った時の経験から、ヒルダの能力の厄介さは身に染みている。
敵味方問わずにユニットに強制的に命令を下す命令魔法がとにかく強力だ。
抵抗の意志さえあれば命令に抗うことはできるのだが、それでも一瞬だけでも命令を聞いてしまうというのが厄介なところである。
先程のように『停止せよ』と命令されれば、ほんの一瞬だが動きが完全に停止させられ、回避も防御も出来なくなってしまう。
――それに加えて、あのエクレールとかいうデカいヤツ……今までで一番危険だ。
一度殴られただけだが、この場にいるユニットの中で最も『危険』な相手がエクレールであるとジュリエッタは認識した。
まだこちらに関しては『確信』には至っていない。
しかし、『予想』が当たったとしたら――そしてそれはほぼ当たるだろうとも予感している――ヒルダのオーダーと併せて、かつてない『最悪』の敵になる。ジュリエッタはそう認識している。
「そら、ボタン、貴様も働くのじゃ」
「はいはーい!」
ヒルダの号令に従いボタンも動き出す。
彼女の魔法はまだ一つしか見ていないが、おそらくは防壁魔法――その名の通りの『防御壁を生み出す』魔法だろう。
こちらも厄介だ。
ヒルダを真っ先に倒すべきということは理解していても、ボタンによる防御魔法で攻撃を妨げられたら意味がない。
当然ボタン本人を狙おうとしても防御魔法を使われるだろうし、ボタンに矛先を向けた途端にエクレールとヒルダがフリーとなって攻撃を仕掛けて来る可能性が高い。というよりもそうしない理由がない。
――人数はこちらの方が上回っている……なら!
『ウリエラ、サリエラ、皆をお願い。速攻でヒルダを落として!』
『みゅ? それはわかったけど、ジュリみぇったはどうするつもりみゃ!?』
『……ジュリエッタは、エクレールを引き付ける』
ヒルダに対して思うことは色々あるし、そのせいで集中が乱れていることは自覚しつつも、ジュリエッタはすぐさま『全体』のことを考えて行動する。
まずはヒルダを落とす、あるいは封じ込める。それは変わりはない。
だがそのための障害となるエクレールとボタン……この二人を放置することもできない。
二人のうち、直接的な脅威はエクレールの方だ。
だからエクレールについてはジュリエッタが一人で引き付け、ヒルダとボタンを残りのメンバーに任せる……それが作戦だ。
……ボタンの魔法はすぐに対処方法が思いつかない。なので、その辺りは参謀たちに丸投げするという身も蓋もない考えがないわけではないが。
『ヒルダのオーダーに気を付けて。使われたら気合で乗り切るしかない』
『みゃー、一番厄介なパターンにゃー……』
普通の攻撃魔法のように火球やらレーザーやらが飛んでくるのであれば、回避するなり対処方法はあるのだが、ヒルダのオーダーについてはそういうものが一切ない。
とにかく使われた時点でアウト。ジュリエッタの言葉通り『気合』で抵抗して早めに抜け出す以外に方法がない。
あるいは、オーダーの対処法を二人が見出してくれるかもしれないという期待もわずかにあった。
『じゃ、よろしく!』
『わかったみゃー。そっちも気を付けるみゃ!』
『こっちは任せてにゃ!』
三人は短く意思疎通をするとすぐさま行動を開始する。
「メタモル――《狂傀形態》」
最も近接格闘に優れた形態である《ルナティックドール》を使用、危険は承知でエクレールへと接近戦を挑む。
――ジュリエッタが一人でエクレールに挑んだ理由は、ヒルダたちを他のメンバーに任せるためというだけではない。
己の『予想』を確かめるためでもある。
「はぁっ!!」
真正面からエクレールへと向かい――直前で横へと飛び退り一瞬で視界から消え、回り込んだ方向から全力の拳をエクレールの脇腹へと叩き込む。
防御魔法を使っていなければ、並みのユニットであれば大幅に体力を削られ痛みで悶絶する威力の拳はしかし――
「!? 効いてない……!?」
エクレールの巨体を揺るがすことすら出来なかった。
それどころか、すぐさま咆哮を上げてエクレールが棍棒をジュリエッタへと叩き込もうとする。
――拙い……! こいつ、ジュリエッタの予想通りの性能をしているかも……!
棍棒を受け止めようとはせずに、今度はエクレールの背後へと回り込むように移動。身体強化魔法が自動でかかっている《ルナティックドール》のスピードならば到底追い付けるものではない。
……はずだった。
「■■■■ッ!!!!!」
エクレールの巨体が一瞬で消える。
「!?」
――否、消えたように見えるスピードで動いた。
ジュリエッタが背後に回ったのは見えていたのだろう、攻撃を当てられる位置にはないと判断して地面を蹴りそのまま前へ。ジュリエッタとの距離を一瞬で取りなおす。
と同時に、すぐさま振り返り今度は真正面に見据えたジュリエッタへと棍棒を振りかざしながら突進する。
――速い……!!
ジュリエッタは己の『予想』が当たってしまったことを確信した。
このエクレール……見た目の鈍重さとは裏腹のスピードを持っている。動体視力、反射神経もジュリエッタのライズ込みの速さを捉えられるほどだ。
その上で、逆に見た目通りのパワーとタフさを兼ね備えている。
――重くて、デカくて、速くて、硬くて、強い……!!
およそ考えうるうちで、ジュリエッタにとって『最悪』の相性の敵だ。
名もなき島で戦ったムスペルヘイムのユニット版と言ってもいいだろう。
これが一般的なゲームであれば、『デカい』敵というのは攻撃力や防御力、それに体力が高くとも、鈍重であるという欠点を持つのが普通だろう。
だが目の前に立つエクレール、そして『現実』ではそういうものではない。
近接戦闘――特に『格闘』において、体重差というのは絶望的な『壁』となって立ちはだかるものだ。
『重さ』の差は他の要素と異なり『技術』ではほぼ克服不可能な差となる。相手を圧倒的に上回る『技術』を持っていたとしても、そう簡単には克服できない。それは現実の格闘技の世界が証明している。
ましてやジュリエッタはユニットとしては間違いなく下から数えた方が早いくらいの小柄な体格。それに、強大なパワーを発揮できると言っても魔法を使っての時間制限付きだ。
対するエクレールは魔法を使わずともジュリエッタを身体能力で圧倒的に上回っている。いくら魔法を使ったとしても、易々と覆すことの出来ないほどの差を持っている。
――でも、やっぱりジュリエッタが何とかするしかない……!
相性最悪の敵であることを確信しつつも、それでもジュリエッタは一人でエクレールと戦おうとする。
正確には戦わざるをえないのだ。
エクレールの規格外の身体能力に対抗することは、おそらく誰にも出来ない。
あえて言うなら、エクレールの近づけない遠距離からの飽和攻撃で『嵌め』殺すという手はあるが――それが出来るのは今この場にいないアリスだけだ。
そして、アリスの魔法もエクレールに通じるとは限らない――彼女の魔法に限った話ではないが、大半の遠距離攻撃魔法は、結局のところ遠距離『物理』攻撃であるためだ。エクレールの防御を貫けるだけの、そして体力を削り切るだけの威力を発揮しなければ意味がない。
どちらにしてもこの場にいないアリスのことを期待は出来ない。
残るメンバーではエクレールの足止めは不可能だ。唯一、スピード特化のクロエラならば……と思わないでもないが、彼女にしても唯一無二のスピードがエクレールに通じるとは限らない。流石に最高速度ではクロエラの方が上回っているであろうが、それは霊装で走っている時に限った話だ。近距離格闘戦では霊装に乗ったままとはいかないだろう。
だから危険は承知でジュリエッタがやるしかない。そして、ジュリエッタ一人でも何とかある程度は食い止められるはずだ。
その間にヒルダとボタンを他のメンバーが抑えることさえ出来れば、ヴィヴィアンの召喚獣なりで援護が可能となる――それがジュリエッタの予想だった。
……ほんのわずかの攻防の合間にエクレールの性能を予想し、現状のメンバーで取りうる『最善』の方法をジュリエッタは取ったと言えるだろう。
『最善』の方法を考え付くまでの時間の短さから、ジュリエッタの戦闘――特に戦術レベルでの思考能力は『非凡』と言っても差し支えないレベルだ。
しかし、それでも尚、彼女は足りていなかった。
「オーダー《ジュリエッタ:停止せよ》」
「ガッ!?」
エクレールが離れ、しかしすぐに振り返って突進してくるのは予想していた。
だからジュリエッタも止まることなく動き、またエクレールの死角を突こうとしていた。
……その動きが『停止』した。
――ヒルダ!?
今、ヒルダとボタンに向けて残りのメンバーがウリエラたちの指示に従い総攻撃を仕掛けようとしていた。
だというのに、ヒルダは自分に向かってくる相手ではなくジュリエッタに対してオーダーを使ったのだ。
これはジュリエッタの予想外の行動だった。
エクレールの動きに対して、たとえ一瞬でも動きが止まってしまうのは致命的だ。
先程の一撃は何とか耐えることが出来たが、今度も耐えられるかどうかはわからない――《ルナティックドール》で強化されているとはいえ、体力そのものは伸びていないのだから。
――……ダメだ、やられる……!?
『停止』が解けるか解けないかのタイミングでエクレールの棍棒が迫る。
「スレッドアーツ《マルチライン》」
棍棒が叩きつけられる直前、ジュリエッタの身体に『糸』が巻き付き、急速に身体全体を引っ張り上げる。
後少しでも遅れていたらジュリエッタは受け身すら取れずに叩きのめされていただろう。
「……助かった、オルゴール」
ジュリエッタを救出したのはオルゴールであった。
彼女の魔法――糸操作魔法は、霊装より伸ばした『糸』を自在に操るものである。
『糸』を動けないジュリエッタに巻き付け、無理矢理引っ張って攻撃を回避させたのだ。
「…………」
地面を穿っただけで終わったエクレールは、今度はすぐには飛び掛かってこずにジュリエッタとオルゴールの方を注視している……ように思える。表情が全くわからないため、本当にジュリエッタのことを見ているのかどうかも不明だ。
「ジュリエッタ、やはり召喚獣をそちらに――」
「いや、いい。そっちは任せた」
既に呼び出していた《ヘラクレス》はエクレールによって破壊されている。
おそらくどの召喚獣を呼び出したとしても、エクレールのパワーの前には無意味だろう。無駄に魔力を消費することにしかならない。
ならば、ヴィヴィアンの召喚獣という『手数』はヒルダたちへと向けるべきだとジュリエッタは判断する。
「オルゴール、手伝って」
「ハイ、お任せくだサイ」
遠隔通話が出来ない(他の使い魔のユニットのため)オルゴールに対して、当初の作戦は伝えられていない。
それが幸いしたのか、オルゴールは自身の判断でジュリエッタを助けてくれた。
この状態でオルゴールをヒルダの方に差し向けても意味がない――既に五人を対ヒルダに割いているので過密もいいところだからだ。
だったら、実力は未知数だし本当に敵ではないのかはっきりしないが、対エクレールを手伝ってもらった方が良いという判断だ。
――……それに、もしオルゴールが裏切ったとしても、犠牲になるのはジュリエッタだけで済む。
もしもオルゴールが『敵』だとしても、やられるのはジュリエッタ一人だけで終わる。
そんな思いもジュリエッタは持っていた。
ラビのユニットになった当初ならばともかく、今この段階でそんなことを考えてしまうこと自体が異常である。
本人が自覚している以上に、ヒルダとの再会はジュリエッタの心をかき乱していたのだった。




