6-27. ラグナレク再び
火山が噴火、その上封印を示すプラムの指輪が全て無くなった……。
これはもう考えたくもないけど、ムスペルヘイムが動き出した、そういうことなんだろう。
「殿様、ヤバいかも」
「ご主人様、わたくしの傍へ」
溶岩が噴き上げられているだけではない。
無数の火山弾やら火山灰やらがこちらまで降り注ぎ始めている。
まだ花畑までは届いていないけど、今後も届かないとは思わない方がいいだろう。
私はヴィヴィアンの懐に抱かれ、万が一に備える。
”プラム、これは……やっぱりムスペルヘイムの封印が解けたってこと?”
「……そん、な、はず……ない……のに……」
よほど自分の封印魔法に自信があったのだろう、プラムはまだ呆然としている。
でも横から見ていても確かに封印は完全に決まっていたと思う。仮にいずれ封印が解けるとしたって、こんなに早く解けるとは到底思えない。
……何だろう、何か他の要因があったのだろうか? それとも、ムスペルヘイムの力が想定以上に増してしまったがために、封印が解けるのが早まったとでもいうのだろうか。
どちらなのか、あるいはその他の原因かはこの場で考えたってわからない。
私たちにとって重要なのは、これからどうするか、だ。
私たちのとることのできる道は、大きく三つ。
プラムに再封印してもらう――その手助けをする。
後は、戦ってムスペルヘイムを倒すか、諦めて撤退するか、だ。
何度も言っている通り、今回に限っては私は別に無理してムスペルヘイムを倒そうとしないでもいいと思っている。
そもそもクエストの討伐対象でもないし、こちらもフルメンバーではないのだ。無理することもないだろう。
……無理してヴィヴィアンとジュリエッタを危険な目に晒す方が嫌だし。
”プラム……もう一回封印するのはどう?”
出来ればムスペルヘイムと正面切って戦うのは避けたい。
分身ですら封印するのがやっとの相手なのだ。まともに戦っても勝てるかどうかはわからない。
「……無理、よ……」
絞り出すようなプラムの声。
まぁ、そうだよね……仮にもう一回封印をしたとしても、またすぐに復活してくる可能性が高い。
さっきは三重に封印を掛けたというのに、一時間程度で復活してしまったのだから。たとえ何重に封印を重ねたとしてももはや無駄なんじゃないかと思える。
というわけで、残るは戦うか撤退するかなんだけど……。
――ゴォォォォォォォン…………ッ!!
と、その時一際大きく火山が火を噴く。
それと同時に私のレーダーに巨大な反応が現れた。
”ムスペルヘイム……!”
火口の中から現れた――わけではなく、火口を崩してその姿を見せるムスペルヘイム。
噴き出す溶岩と炎の雨を浴び、崩れた山から流れ出す溶岩の川の中を全く気にすることもなく、それは悠然と歩を進めていた。
全体的な姿形は、私たちが戦った分身とほぼ同じだ。というよりも、分身の横で封印されていたはずの巨体がそのまま動き出したものと思っていいだろう。
違いと言えば、冷えて黒く固まっていた全身の甲殻が、赤々と燃え上がっているというところだ。
これは……分身と同じように、ムスペルヘイムの周囲に近づくだけでダメージを受けるくらい、温度は上がっていることは容易に想像がつくな……。しかも大きさの分だけ、熱ダメージの範囲も広がっていると思われる。
驚異的なのはその巨体だろう。
まだかなり遠くのためはっきりとした大きさはわからないけれど、火山の大きさとの比較からして……高層ビル並にあると思われる。単独のモンスターの大きさとしては、超巨大ムカデほどではないものの『嵐の支配者』とほぼ同等と言ったところだろうか。
そんな巨体がどうやって自重を支えているのか全くわからないけど……そこはモンスターに突っ込みを入れたところで仕方あるまい。
一歩、一歩、火山を壊しながら……ゆっくりとムスペルヘイムが歩みを進めている。
崩れた火山がまるで血を流すかのように溶岩を吐き出している。
すぐにこちらまで来ることはないだろうが、それも時間の問題かもしれない。
「ど、どどどどどど、どーすんだよ!?」
完全にパニックに陥っているオーキッド。
その質問には答えづらい……出来れば私だって聞きたい。
果たしてアレと戦ったところで勝ち目があるのかどうか……。味方への被害が広まる前に撤退するのが一番賢い選択だと思えてくる。
『嵐の支配者』の時もそうだったけど、相手はただの巨大モンスターってわけじゃない……荒ぶる自然の力そのものなのだ。
「殿様、どうするの?」
私たちがどうすべきか、そろそろ決断しなければならない。
でも、私が答えを出そうとするよりも早く、ムスペルヘイムが動いた。
天を仰ぎ、両手――いや前脚か?――を広げ、そして……。
―――――――――ッッッッ!!!
大気が、いや、世界が震えた。
私たちの耳にもはや聞こえないほどの大きさで、ムスペルヘイムが咆哮を上げたのだろう。
聞こえはしなかったものの、ビリビリと震える大気でそれがわかる。
”こ、れは……”
拙い……私の想像を遥かに超えるバケモノだ、アレは。
咆哮の余波だけで体が震えているのがわかる。
本能的な恐怖とでも言うのだろうか、使い魔の身体にそんな生き物みたいなのが備わっているのかどうかはわからないけど、そうとしか言いようのないものが……『畏れ』が私の内に湧き上がっているのを感じる。
「は、へぁ……?」
オーキッドに至っては、ついにへなへなと腰が砕け地面にへたり込んでしまっている。
キンバリーとシオちゃんはまだ立っていられたみたいだけど、こちらも動きが硬直してしまっているみたいだ。
「……」
「……」
一方で、ジュリエッタとヴィヴィアンは無言のままだ。
もちろん恐怖で気絶したとかそういうわけではない。警戒心が最大まで引き上げられ、緊張しているのはわかる。
ただ、流石にその場に踏みとどまることは出来ず、一歩後ろに引いてしまったみたいだ。
更に悪いことに、まるでムスペルヘイムの咆哮に応えるかのように、ヤツの足元だけでなく周囲から炎の柱――地底から噴き出る溶岩の柱が見える。
更に更に……天を仰いでいたムスペルヘイムが正面を向き、大きく口を開く。
次の瞬間、強烈な閃光が私たちの目を灼く。
”……う、うわぁ……”
閃光の正体はムスペルヘイムの口から放たれた『レーザー』としか言いようのないブレスだった。
幸いにして私たちを狙ったわけではなく、適当な方向に向かって放っただけだったので当たったわけではないのだが……。
「島が……割れる……!?」
ムスペルヘイムのレーザーブレスが大地を抉り、進路上にあった全てを薙ぎ払っていた。
そしてレーザーブレスの軌跡に沿って地の底から新たに溶岩が噴き出して来る。
「……直撃を受けたら、一撃でわたくしたちは倒されるでしょうね」
「うん……」
ヴィヴィアンの言う通りだ。アレを受けたら、たとえどんな炎防御を施していたとしても無意味だろう。
《イージスの楯》ならば防げるかもしれないが――仮に防げたとしても正直アレを正面から受け止める気には到底なれない。レーザー後の溶岩噴出までは防げないだろうし。
”拙いな……このままじゃ、島ごと沈められるかもしれない……”
レーザーブレスが呼び水となってあちらこちらから溶岩が噴出してきている。
このままだと、遠からずこの島全体が海の底に沈んでしまうであろうことは想像に難くない。
……かつてプラムたちが見た大陸が海に沈んでいったのを追うように。
「……おはなばたけ、なくなっちゃうんでしゅか……?」
誰にともなく――いや、プラムのスカートの袖を摘まみつつ、シオちゃんが不安そうに尋ねる。
……残念ながら、ムスペルヘイムを放置するとなると、そうなるだろう。花畑どころかこの島自体がなくなる可能性の方が高いが。
シオちゃんの問いかけに、いつもの気だるげな表情ではなくどこか悔しそうな、唇を噛み締めた顔でプラムは沈黙する。
このままだとどういうことになるか、それが一番よくわかっているのはプラム自身だろう。
シオちゃんはプラムの様子から悟ったのか、それでも信じたくないと言った風情でタマサブローを、そして私たちへと視線を彷徨わせ――
「い、いやでしゅ……!」
その目に涙が溢れる。
花畑を作ったのはプラムだけど、そのお世話をずっとしていたのはシオちゃんだ。むしろ、花畑に対する思い入れはシオちゃんの方がずっと強いだろう――それは昨日海斗君と話した時に、海斗君本人もわかっていた。
でも……花畑を守るためにはムスペルヘイムを倒すしかない。それも、こちらにまで影響が出ないうちに……『速攻』で。
この場にアリスがいさえすれば、遠距離からの神装連発で何とかなったかもしれないけど……残念ながら、今の戦力では厳しいと言わざるをえないだろう。
「う、うぐっ、ひっく……」
プラムの様子から、もうどうにもならないのだろうと悟ったのか。ついにシオちゃんの涙腺が決壊した。
「うわぁぁぁぁぁぁん!! いやでしゅ! いやでしゅうぅぅぅっ! プラムしゃまのおはなばたけ……うわぁぁぁぁぁぁん!!」
ついに大声で泣きわめき始めてしまった。
その声で相手に気付かれるかもしれない、とは誰も思わなかった。
傲然と聳え立ち、ゆっくりと、しかし確実に歩みを進めるムスペルヘイムにとって、私たちなんて眼中にないだろう。
かといってシオちゃんを慰めることも誰も出来ず、ただ茫然としているだけだ。
”――プラム……”
ちら、とプラムの方を再度見てみると、プラムはやはり悔しそうな表情のまま黙り込んでしまっている。
……彼女にとってムスペルヘイムを倒すということは、あくまで『封印状態のムスペルヘイム』を倒すという意味だったのだ。アレが本格的に動き出したらどうにもならない、ということを一番理解していたのがプラムなのだからそれはそれでいい。
じゃあ、動き始めてしまったらどうするのか……? そのことについて、昨日は話をしたわけではなかったが……。
果たして彼女は諦めたのか、それとも……決断が出来ないだけなのか。私にはわからない。
「……はぁ……」
と、そこでため息を吐きつつ、ジュリエッタが一歩前へと出て私の方を向く。
「殿様、ジュリエッタ、戦いたい」
”ジュリエッタ……”
まぁ、そう来るよね……。
撤退も一つの手ではあるとは相変わらず私は思うんだけど――
「勝てるかどうか、わからないけど……戦わないでそれ決めるの、きっと御姫様の流儀じゃない」
”ま、そうだね。私としてはみんなの安全の方が優先なんだけどね”
「わかってる。殿様がジュリエッタたちの心配しているのも、わかってる……」
苦笑しつつ言う私に対して、ジュリエッタはいつも通りの無表情のまま返して来る。
……まぁ敏い彼女のことだ。口だけではなく本当にわかってくれてはいるのだろう。
それをわかった上で、それでもムスペルヘイムと戦いたい――それがジュリエッタの本音なのだろう。
「ふぅ……」
今度はヴィヴィアンがため息を吐く。
「ご主人様……今まで隠しておりましたが、実はわたくし――子供が苦手なのでございます」
”そうなの?”
「はい。自分よりも年下の子供限定でございますが」
またえらく唐突な告白だな……。
ありすや美々香とは仲良くしていたから気付かなかったけど――同年代はオッケーということか、きっと。
「何が苦手かと言いますと……特に甲高い泣き声が苦手でございます。
ですので――早く泣き止んでもらおうかと」
”……ヴィヴィアン、君ねぇ……”
呆れた。
要するに、今シオちゃんがギャン泣きしているのが不快なので、泣き止んでもらおうと。
彼女を泣き止ませるには、とにかくムスペルヘイムをさっさと倒して花畑は大丈夫、と安心してもらうのが一番なのだと。
もうちょっと、こう……素直に言えないものかねぇ?
「……ヴィヴィアン、回りくどい」
「そうでしょうか? あのような怪物相手に、貴女のように『戦いたいから』というだけの理由で挑む程、愚かな動機ではないと存じますが?」
なぜかこのタイミングで睨み合う二人。いや、まぁ別に険悪な雰囲気ってわけじゃないんだけど。
――私も腹を括るか。
”ヴィヴィアン”
「はい、ご主人様」
”ジュリエッタ”
「うん」
私の呼びかけに二人は睨み合いを止め、私の方へと視線を向ける。
二人への言葉は決まっていた。
”――やるよ”
戦えるか? でも、勝てるか? でもない。
問いかけではない。これは、宣告だ。
私たちはムスペルヘイムと戦う。その意思表明だ。
二人は無言で頷く。
”ちょ、ちょっとあんたたち……本当に……?”
私たちがムスペルヘイムと戦うつもりなのだと知り、タマサブローが慌てて声を掛けて来る。
まぁ彼女の場合、最悪島が無くなってしまうのであれば仕方ないと受け入れるつもりではいたのだろう。花畑が守れるのであればそれはそれで良し。ムスペルヘイムが動き出してしまったのであれば、もうどうすることも出来ないと諦めるつもりだったんじゃないかな。
別にタマサブローの判断は間違いじゃない。というか、それが普通の判断だと思う。
”うん。ちょっと行ってくるね”
まるでコンビニにでも行くかのような気軽さで私も答える。
勝算なんて全くないんだけどさ。
でもジュリエッタの言う通り、戦う前から退くってのは……確かに私たちの流儀に反する。
だって戦う前から退いたら――私たちは『ゲーム』に敗北したってことを意味すると思うんだ。
「サモン《ペガサス》。ジュリエッタ、貴女も乗りなさい」
「うん」
さて、私たちもムスペルヘイムへとそろそろ向かうとしよう。
《ペガサス》を召喚、ジュリエッタも魔力節約のため《ペガサス》の頭の上に……って、そこが定位置なのか……? 別にいいけど。
っと、行く前にこれだけは言っておかないと。
”プラム、私たちは行くよ”
「……本、気……なの……?」
”もちろん。でもさ、別に私たちはヒーロー気取りで行くわけじゃないよ”
まぁそういう面がないわけでもないんだけどさ。
”何て言うかな……さっきジュリエッタが言ったのが一番近いんだと思う。
ここで諦めるのは、私たちじゃないんだよね”
「……」
”君がどうするつもりなのかは、もうこの際問わないよ。って言うか、諦めるのが賢い選択だと私も思う”
普通に考えて、アレと戦おうというのは自殺とほぼ同義だと思うし。
それでも私たちが戦いに向かうのは――きっと、信念とか使命感とか崇高なものじゃなくて、もっと単純な……意地とかそういうものなんじゃないかな。
本当ならそんなののために危険にわざわざ近づく、なんて止めるべきなんだろうけど……。
”でもさ――”
ちょっとだけ自嘲的に……いや、苦笑いしつつ、私は本音を告げる。
”ここで退いちゃうのは……悔しいんだよね、やっぱり”
それが、私の――いや、私たちの本音なんだろう。
『ゲーム』のクリアを目指す私たちとしては、勝てそうもない相手には一旦退いてレベルアップしてから挑むというのも選択肢としては普通に『有り』だとは思う。
それでもこの場で退かない理由としては、きっとそういうことなんだと思う。
”ま、やるだけやってみるよ。やらないで諦めて後悔するよりは、きっとそっちの方がいいだろうしね”
プラムは俯いてしまい、応えない。
うん、まぁ別に彼女に戦えと言っているわけではないつもりだけど……そう聞こえてしまうのも無理はないか。
「ご主人様、そろそろ……」
”そうだね。行こう”
昨日の話を含め、私の伝えたいことは全て伝えたつもりだ。
後はプラムがどう思うか、その結果どういう選択を採るか……意思決定は彼女自身に委ねよう。
ふわりと《ペガサス》が宙に浮かぶ。
”それじゃ、行ってくるね!”
そして私たちはムスペルヘイムへと向かって突き進んで行く。
――さぁ、二度目の神への挑戦といこうか。
小野山です。
次回より第6章ラストバトル編となる4節となります。




