5-35. Intermezzo -2-
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
時は更に遡り、まだラビたちが異変に気付くよりも前のこと――
「うにゃあぁぁぁぁ……誰かいないのぉ……?」
疲れ果てた様子で暗い道を一人進むジェーンの姿があった。
アリスたちの予想通り、ジェーンもまた妖蟲の闊歩する謎のクエストへと送り込まれていたのだ。
ただし彼女はアリスともヴィヴィアンとも離れた位置におり、合流は出来ていない。
反面妖蟲の襲撃はまばらで然程消耗はしておらず――逆にこのクエストの危険性をあまり実感できていないともいえる。
「うーん……アリスたちいないのかなぁ……?」
美々香は馬鹿ではない――どころかラビの知り合いの中ではおそらく最も賢い娘だろう、自分の今いる場所がクエストの中であると気づくと共に、現れるモンスターの傾向から『幽霊団地』の件と無関係ではないことを推測していた。
であれば共に現場にいたありすと桃香もどこかにいるはずだろうと見当はつけているのだが、かなり長い時間あちこちを彷徨っているにも関わらず合流することが出来ていない。
自分の推測が間違っているのかもしれない、と心の隅で疑念を持つものの黙ってモンスターに倒されるわけにもいかず、何の手がかりもない状態でうろうろと歩き回っているだけだ。
――ここがクエストで師匠もいない状態なら、モンスターにやられればクエスト失敗で戻れるかも?
アリスは『冗談』と言っていた方法だが、『悪手』というほどでもない、とジェーンは考える。
だがジェーンはそれは最後の手段としてとりあえず保留としておく。
根拠はないが、このクエストで復帰不能な状態になるのはとても拙い予感がするのだ。
彼女の持つ固有魔法――稀少な自動発動魔法である『ユーバーセンス』の効果だろうか、本来なら知りえないことでも『何となく』感じられるようになっているのだ。
ねっとりとした……否、どろりとした粘性の液体に包まれているような、気持ちの悪い空気が辺りに立ち込めている。
まるで海の中で足を掴まれて水底へと引き込まれるような……罠を張った蜘蛛が獲物がかかるのを待ち構えているような……そんな気味の悪さをずっと感じている。
――ダメだ、ここで戦闘不能になったらかなりマズいことになりそう……。
もう何度目になるだろうか、一人の心細さに耐えかねていっそモンスターにやられてしまえばいいか、と考えてすぐさまそれは拙いと思いなおす……という思考の堂々巡りを繰り返している。
モンスターの攻撃そのものは散発的であるため体力にも魔力にも余裕はあるが、精神的にはかなり追い詰められかけている。
だからだろうか、普段のジェーンならば絶対にかからないであろう稚拙な罠にかかってしまったのは。
「……にゃ?」
ぴくり、と彼女の耳が動く。
どこかから『声』が聞こえてきている――蟲の蠢く音でも羽音でも、草木が風に揺れる音でもなく、明確に『意味のある言葉』らしきものが聞こえてくる。
<――たすけてー>
<――たすけてー>
<――ゆるしてーゆるしてー>
<――もうやめてー>
徐々に近づいてくる『声』。
はっきりと聞こえてくるに従って、それが聞き間違いなどではないことを確信する。
「……誰か、いる……?」
聞き覚えのある声ではない。アリスでもヴィヴィアンでもないし、もちろんシャルロットでもない。少なくともジェーンの知り合いではないことは確かだ。
しかしここがクエストの中であるなら、他のユニットがいても不自然ではない。
助けを求める声からしてモンスターに追われているのか。だとしたら彼女たちと合流できれば心強い――自分よりも戦闘力がない場合であっても、一人でこのわけのわからないクエストを彷徨うよりは千倍はマシだろう。
そう考えたジェーンは、現状を打開するためにも『声』の主と合流することを決めた。
「おーい! 誰かいるのー!?」
――この時、ジェーンがもっと注意深く自分の勘……具体的にはギフト【狩猟者】によるモンスターの気配探知を頼れば、恐ろしい目に遭わずに済んだはずだった。
『声』の聞こえる方へと走る。
段々と『声』の主たちが近づいているのか、よりはっきりと『声』が聞こえてくる。
……それと同時に、ブンブンという羽音も聞こえてくる。
蜂型のモンスターにでも追われているのだろうか? 疑問には思うものの、一人でいる心細さの方が勝ったジェーンは足を止めることなく『声』の主たちに近づいていく。
朽ち果てたビルの陰に隠れて見えないが、そこに『声』の主がいる。ジェーンは突然モンスターに襲われても大丈夫なように自らの霊装『牙神』を手に角を曲がる。
「大丈……夫……?」
角を曲がってモンスターがいれば攻撃しつつ『声』の主たちを助ける。そう思っていたジェーンの言葉が途切れる。
そこにいたのは――
<たすけてーたすけてーたすけてー>
「な、な、なに、これ……!?」
それは、ジェーンが期待したものとは程遠いものであった。
一見すると人型に見える……が当然人間でもユニットでもない。
まるでヴィヴィアンのようなエプロンドレスを着ているように見えるが、それはただの見せかけだ。甲虫の外皮がまるで服のような形状をしているに過ぎない。
顔に当たる部分は『幽霊団地』で見た『白い女』と同じように人間を模してはいる――があちらと違うのは顔の全体的な形状は人間のようなのだが、目や口等のパーツが『蟲』そのものであることか。
背中からは羽音の発信源である薄い二枚一対の翅があわただしく羽ばたいている。
両腕は先端がサソリのハサミのようになっており、足もよく見ると先端が鋭い鉤状になっている。蜂型がベースなのか、臀部が大きく膨れ上がり、先端から紫色の汁を滴らせる『針』が覗く。
大きさは2メートル程か、今まで現れた蟲型モンスターの中では比較的小柄な部類ではある。
それが合計で3匹――まるで踊るように円を描くように飛んでいる。
「ん、な……」
人間を模した狂気の造形を目にし、ジェーンが絶句していると――
<<<……みぃつけた>>>
三匹の『蜂』が揃ってジェーンの方へと向き直る。
かちかち、と牙を鳴らしながら蟲の口から流暢な人間の言葉が紡がれる。
「……ひぃっ!?」
相手の正体は全く不明だが、少なくともこれらがジェーンにとって味方であるとは到底思えない。
そのまますぐさま回れ右してジェーンは全力で走って逃げようとする。
<ほほほほほ、かかりましたわ中姉様!>
<あはははは、久しぶりのお肉ですわ大姉様!>
<うふふふふ、芋虫にばかり獲物を取られてたんですもの、逃がしてはダメよ小姉様!>
<たすけてーたすけてー>
<ゆるしてーゆるしてー>
<もうやめてーもうやめてー>
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!!」
ここに至り、ようやくジェーンは悍ましい真実に思い至った。
この三匹の『蜂』は人間の悲鳴を真似して獲物をおびき寄せていたのだ――さっきのジェーンのように誰かが襲われていると思って助けに来ようとした人間を罠に嵌めるために。
……更に恐ろしいことに気が付く――気が付いてしまう。
『蜂』たちが真似ている悲鳴……それは一体どこで覚えたのか。久しぶりのお肉が意味するものとは――
「うわぁぁぁぁぁぁん! もうやだー!! アリス、ヴィヴィアンーー!!」
あの『蜂』に掴まったら一体どんな目に遭わされるかはわからないが、命はない。それだけは確信できる。
恐怖に駆られ、必死にジェーンは『蜂』たちから逃げ続ける。
……そのせいで、遠くから響くアリスの魔法が原因であろう爆発音に気付くことは出来なかった……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
”……何とか逃げ切れた、かな……?”
「多分……」
突如現れ襲い掛かって来たアンジェリカと、周辺の足場すらも崩しながら暴れ回る超巨大ムカデから撤退してきたラビとジュリエッタ。
一緒にいたバトーたち一行とははぐれてしまったものの、探しに行けるほどの余裕もなかったので仕方ないと諦める。
アンジェリカはしつこく追いかけてきていたのだが、流石に大ムカデが暴れ回る中では追跡は出来なかったのだろう、今は近くにいる気配はない。
”参ったなぁ……アンジェリカはともかく、あんな化物がいるなんて……”
困った、というようにため息をつくラビ。
アンジェリカについてはなぜ襲い掛かって来たのか不明ではあるが、まだジュリエッタが何とか出来る範囲の相手ではあった。
問題なのはもう一方の超巨大ムカデの方である。
”……『XS-01GB』……ねぇ……?”
落ち着いたところでモンスター図鑑を開いてみてみると、超巨大ムカデは一応載っていることは載っていた。
ただし、バトーたちから聞いたダイヤキャタピラ同様、まるで型番のような名称しか登録されておらず、ほとんど情報がないようなものではあったが。
「殿様、これからどうするの?」
撤退したことなど気にすることもなく、いつもの調子でジュリエッタは尋ねる。
問いかけられてラビはしばし『うーん……』と考え込むが……。
”……方針に変更はなしで。アリスたちを探しながら、やっぱりあの『巻貝』を目指そう”
そう結論を出した。
アリスたちの魔力は未だに乱高下している。ということは戦闘中であることは間違いない――魔法を使って魔力が減少し、キャンディを使って回復しているというところだろう。リコレクトで魔力を回復できるヴィヴィアンの方はわからないが、アリスについてはそろそろキャンディの量的に考えて危険水域だ。
向かう先にも変更はない。バトーたちが無事ならば、もしかしたら同じことを考えて向かってくるかもしれないという期待もある。
「わかった」
ジュリエッタは反対せずに素直に頷く。
超巨大ムカデやアンジェリカの登場によって事態は悪化しているのは間違いないが、かといって方針の変更を余儀なくされるような話でもない。
あれこれと方針が変わるよりは先の見えない現状、当初の方針を貫く方がよいだろう、とジュリエッタも思っていたところだった。
「……でも、アンジェリカとあのムカデが出てきたら、逃げた方がいい?」
他にも危険なモンスターはいるだろうが、ジュリエッタたちが目にした脅威はこの二つだ。
そうだね、とラビは頷く。
”アンジェリカだけだったら動きを止めて話を聞きたいところだけど……何か様子がおかしかったし、ヨームたちに先に会いたいかな。
あのムカデは……どうしようかねぇ……”
「うん……あれは、ジュリエッタじゃ多分無理」
素直に自分では勝てないとジュリエッタは認める――他に優先すべき事項がなく幾らでも時間をかけていいのであれば、勝つことは不可能ではない相手だとも思っているが。
基本的にジュリエッタの戦闘力は今までにギフトで取り込んだモンスターの能力に大部分が依存している。そして、その能力は余り大規模な攻撃には向いていない。
とにかく巨大で生命力の高いモンスターとはあまり相性が良くないのだ。その手のモンスターは、むしろアリスが最も得意とする相手である。
”あれだけ大きくても、階層が変わっちゃうとレーダーに映らないってのはねぇ……。見つからないようにするしかない、かなぁ”
ラビも対処法が思いつかないらしく、困っているようだ。
幸いと言っていいのか不明だが、感覚が鈍いのか縄張りが決まっているのか、しつこくこちらを追いかけて来ることはないようなので逃げに徹すれば大丈夫かもしれない、とあやふやなことに期待するしかないのが現状だ。
”――あ、マズい!?”
「どうしたの?」
”アリスとヴィヴィアンの魔力がどんどん減っていってる!”
増減を繰り返していた二人の魔力ゲージが減少する一方になっていることにラビは気づいた。
これが意味することは、ついに二人のキャンディが切れた――あるいは回復する暇もない状態に陥ったかを意味する。
一刻の猶予もないか、とラビの指示を待たずにジュリエッタが走り出そうとしたところで――
”……アリスとヴィヴィアンの魔力が……ゼロになった……”
呆然と、ラビが呟いた――
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「――『XC-07』か」
薄暗い大広間の中、一人の女性が呟く。
年は20代前半か中頃だろうか。顔立ち自体は整っているものの、伸びるに任せただけの全く整えられていないボサボサの黒髪、眠れていないのかそれとも眠いのか、半分閉じかけた目の下には色濃く隈が出来ているため非常に不健康そうに見える女性だ。
柔らかそうなクリーム色のセーターに黒のタイトスカート、黒のタイツ、暗い赤のハイヒール――そして『白衣』を羽織っているという何とも場違いな格好をしている。
ラビが見たならば『悪の科学者……いや、悪の科学者のコスプレをしている化学教師?』と評価に困るコメントをしたであろう女性――ユニット名『ドクター・フー』の呟きに応え、床下からずるり、と大きな影が這い出てくる。
無数の枝(のようなもの)と謎の糸と粘膜で作られた床は崩れることなく、その隙間を這って上がって来たもの――それは巨大な芋虫の姿をしていた。
色は鮮やかな『緑』。サイズさえ除けば『芋虫』と聞いて普通に想像するような芋虫だろう。ただし、芋虫が自身を守るために表面に描く目玉のような模様は一切なく、むしろ自分の存在を誇示するかのようなエメラルドの輝きを放っている。
「……ふむ、二匹捕らえたか」
緑の巨大芋虫――エメラルドキャタピラを気味悪がるわけでもなく、女医は頭部に手を当てると再度呟く。
いかなる魔法を用いているのか、エメラルドキャタピラと意思疎通をしているようだ。
しばし手を当てて報告を聞いていたようだが、やがて手を離すと懐から『タバコ』――銘柄は何も書かれていないが、誰がどう見ても人間世界にあるタバコの箱だ――を取り出して一本口に咥え火を点ける。
「……」
紫煙――比喩ではなく本当に紫色の煙を吐き、ドクター・フーは独り言を呟くように言葉を吐く。
「捕らえた二匹についてはキミたちの好きにするといい。
……ま、私から言うまでもなくキミたちは『女王』のためになることをするだろうけどね。XBシリーズと違って」
あっちは食欲にばかり頭がいっててどうにも使いづらい、と小さくぼやく。
「ただ、もう一匹の方は逃がすな。確実に捕らえて、私のところへと連れてくるように――わかっているとは思うけど、一応ね」
ドクター・フーの言葉を理解したのか、エメラルドキャタピラがまるで頷くかのように身を震わせる。
「よし、行け」
彼女の言葉に従い現れた時と同様に床へとエメラルドキャタピラは潜り込んでいく。
一人残ったドクター・フーはタバコ(のようなもの)を吸いながら、興味なさげに広間の天井を見上げる。
そこには――巨大な『繭』があった。
広間の天井にへばりつくような繭は、大きさは20メートル程はあるだろうか。一体如何なる存在がその繭の中に入っているのか、外側からはうかがい知れない。
「……まぁ、我が使い魔がやろうとしていることとは若干ズレてはいるが――これはこれで面白い」
言葉とは裏腹の興味なさげな表情のまま、ドクター・フーは繭を見上げそう呟いた。




