5-34. 黒き死よ来たれ 4. ■界の■王
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
■界の■王――それが蟲人間の名である。
モンスター図鑑には名前だけが登録されており、その他の情報は一切ない。その名前もところどころが虫食いのようにマスクされており、正式な名前はわからないようになっている。
もしかしてヴィヴィアンの《アングルボザ》やジュリエッタの《終極異態》のような状態に誰かがなったのか、と一瞬トンコツは思ったがすぐにそれを否定する。
少なくともトンコツの知るユニットの中で、あのような姿になれる魔法の使い手は存在しない――あえて言うならアリスがマジックマテリアルで外装を蟲人間のようにするか、ジュリエッタがメタモルを使うかだが……前者はどんな魔法を使ってもモンスター図鑑に登録されるようなことはないだろうと思うし、後者は現在ラビと共にいるはずだ。であれば暴走状態になるとも到底思えない。
ならばトンコツの知らない第三者がこのクエストに参加していて……という考えもないわけではない。
”……くそっ、どうにかして逃げるぞ!”
突然の急襲に驚いたものの、トンコツたちとてそれなりの修羅場をくぐり抜けてきている。
すぐに頭を切り替えユニットたちに指示を下す。
――ダメだ、アレには多分勝てねぇ!
見た目こそ人間大――分類でいえば小型に入る部類ではあるものの、その戦闘力は大型モンスターにも引けを取らないことはわかる。
凛風の攻撃で揺らぎもしないということは、この場にいるユニットの誰であってもダメージを与えることは出来ないだろう。
そんな相手と戦っていても全滅の危険性が上がるだけで得るものはない。
トンコツたちの最優先目的は、このクエストになぜか参加してしまっているジェーンたちの確保だ。モンスターを倒すことではない。
「オラクル……」
■王が現れる前から準備はしていたのだろうフォルテが神託魔法を使ってルートを導き出そうとする。
……ただし、シャルロットの監視網の外側から一瞬で内側へと入り込んでくるほどのスピードを持つ■王から逃げ切れるかは怪しい。
そのまま走って逃げてもすぐに追いつかれるのは目に見えている。
譬えそれでもフォルテのオラクルを使わないという選択はない。
”……凛風、アンジェリカ”
「わかってるアル、師父!」
「わ、私たちが防いでいるうちに……!」
ヨームとしても苦渋の決断だ。
だがここで凛風たちが■王の足止めをしなければ、シャルロットもフォルテも使い魔を連れて逃げることは出来ないだろう。
この場でトンコツとヨームがゲームオーバーとなること。それだけは避けなければならない。
逆にそれさえ避けられれば、ユニットの損害はそこまで問題にはならない――気分としては最悪だろうが、リスポーンすることは可能なのだから。
凛風が前へと出て■王の注意を引き、後ろからアンジェリカが炎の魔法で援護する。
その間にフォルテとシャルロットがそれぞれの使い魔を抱えて逃げる……という方針を口にせずとも全員が理解していた。
問題は――
「うぐっ……!?」
「凛風さん!!」
《3rdギア》による身体強化に加え、ブロウを使って自身を加速させながら■王の周囲を移動していた凛風が呻き地に倒れる。
彼女の右足が無残に引き裂かれ今にも千切れそうになっていた。
素早い動きに全く翻弄されることなく■王は凛風へと反撃してきたのだ。
膝から生えた鋭い刃が凛風の足を裂いた。
そのままゆっくりと■王は倒れた凛風へと手を伸ばそうとするが、
「このぉっ!!」
炎を纏わせた大鎌を振るって■王を攻撃するアンジェリカ。
鎌の先端が■王の甲殻へと当たるが、凛風の攻撃と同様に通用しない。
それでもいい、一瞬でも■王の気を惹けるのであれば――そうアンジェリカは思っていたが、相手はそのような甘い相手ではなかった。
「……あ、れ……?」
自分の身に一体何が起こったのか、アンジェリカには最初わからなかった。
がくりと膝が崩れ落ちる。
凛風が驚いたような表情でアンジェリカのことを見ている。
そして■王は――狙いを凛風からアンジェリカの方へと変え、右腕をアンジェリカの腹部へと向けて掌を開いている。
掌の『穴』からは黒い棒……いや『針』が伸び……。
「あっ、ぐっ……」
理解が追い付くのとほぼ同時に堪えがたい激痛がアンジェリカを襲う。
『針』は胴体を貫通するまでは食い込まなかったが、深々と腹部へと突き刺さっている。
更に『針』からどくどくと何かが流れ込んでいるのがわかる――おそらくは『毒』だろう――瞬く間に体の自由が奪われ意識が朦朧としてくる。
「アンジェリカ!」
片足が千切れかけている凛風が叫ぶ……がその声すらもアンジェリカの耳には届かず――彼女の意識はそこで途絶えた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「くっ……アンジェリカ……!!」
倒れたアンジェリカへとゆっくりと■王は手を伸ばす。
とどめを刺そうとしている、ようには見えないが何をされるかわからない。
右足の激痛を堪えつつ凛風は立ち上がり■王をアンジェリカから引きはがそうとする。
「ブロウ……《狂風》!!」
自らの操風魔法を使い、■王を巻き込むように荒れ狂う風を吹かせる。
大木すらも引き倒しそうな強風だが、それでも■王は動きこそ止まったが全く揺らがない。
「くっ……どういう化物アルか!?」
これ以上の風を使おうとするとアンジェリカも巻き込んでしまいかねない。範囲を指定して相手を吹き飛ばせるのは、今使っている《狂風》が限界だろう。
それでも動きを止めることだけは出来た。
この隙に意識を失ったアンジェリカを抱えて、いつぞやのジュリエッタ戦の時のように《竜巻》で吹っ飛んで逃げる――凛風にはもうそれしか手がない。
足の治療は今は考えない――現在の味方に傷の治療が出来る魔法の使い手がいないため、どうするかは悩みどころだが、そんなことよりも今この場を切り抜けられなければ意味がない。
「アンジェリカ……!」
呼びかけてみるが反応がない。完全に意識を失っているようだ。
リスポーン待ちになっていないということは体力ゲージはまだ大丈夫のはずだが、もし先程の攻撃で『毒』を受けていたのだとしたら油断は出来ない。
足の痛みを堪えて這ってアンジェリカの元へと近づこうとする凛風だったが、動きを封じられたままの■王が掌だけを凛風へと向けて『穴』から針を伸ばす。
「ぎゃっ!?」
アンジェリカへと伸ばした手を針が貫く。
貫かれた瞬間、腕が激痛を訴えるよりも早く感覚がマヒしてゆく。
アンジェリカに使われた毒と同じかどうかは凛風にはわからない。しかし、このままだと凛風までも意識を失ってしまいかねない。
「アン、ジェリカ……」
せめてアンジェリカだけでも助けなければ――アンジェリカ本体の方とは会ったことはないが、言動や行動からおそらくは自分よりも年下だろうとは思っていた凛風は、必死にアンジェリカを守ろうとする。
ヨームのユニットの中では最年長であり、前面に立って戦うことの多い凛風だが、リアルの方の事情もあってなかなか自由に『ゲーム』に参加することは出来ていない。
だからその分、『ゲーム』に参加した時にはフォルテやアンジェリカに負担をかけないよう、前へと出て守ろうと心がけていた。
しかし、幾ら意識を保とうとしても■王の打ち込んだ『毒』には耐えきれそうにない。
「……ピュリファイケーション……《アンジェリカ》……――」
薄らぐ意識の中で凛風は己の魔法をアンジェリカに向けて使用する。
ピュリファイケーション――凛風の三つ目の魔法だ。その効果は、ユニットに付与されたバッドステータスを解消する、というものである。要するに『解毒』専門の魔法だ。
当然のことならが凛風の意識が残っている時でなければ使用できない。一撃で体力ゲージを消し飛ばすような猛毒や、今打ち込まれたような意識を失わせるような毒に対しては余り効果的ではない。
だから凛風は自分ではなくアンジェリカに対して使ったのだ。
――ワタシじゃ、もう逃げることもできないネ……。だから、せめてアンジェリカだけでも……。
たとえここで自身の毒を解除しても、アンジェリカに近づくことすら出来ないだろう。
ならばせめてアンジェリカ自身を動けるようにして、逃げれるだけ逃げてもらった方がいい。そう凛風は判断したのだ。
「う、ぐっ……!? 凛風さん……!?」
アンジェリカが解毒魔法によって強制的に意識を呼び起こされる。
それを確認した凛風は……。
「逃げる、アル……」
最後にそう言い残し意識を失った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
凛風の魔法によって目覚めたアンジェリカはすぐに状況を把握。
――ヨームさんたちは……良し、もう逃げ切れたみたいです。
二人が■王と対峙していた時間はそう長くはない。
だが、ユニットの足であればそれなりの距離は逃げれるだろう。後は■王に見つからないように隠れていればいい。
問題はアンジェリカと凛風の方だ。
乱暴な手段だが《竜巻》で吹っ飛んでいくという方法は凛風が気絶している以上使えない。
そしてアンジェリカの方は移動に役立つ魔法は持っていない。
自分の足で逃げるしかないのだが……。
「イグニッション――《フレイアムルジェイル》、フィクスト!!」
アンジェリカの行動は早かった。
凛風が意識を失うと同時に《狂風》の効果も消える。そうなれば■王はすぐさま動き出すだろう。
すぐに■王を取り囲むように炎の檻を生成、それをフィクストで固めて動きを拘束しようとする。
腹部の刺し傷は痛むが、それを堪えて凛風を抱えて逃げようとする――凛風の想いはともかくとして、アンジェリカも自分を助けてくれたヨームたちに感謝しているのだ。そのメンバーを置き去りにはしたくない、と思っている。
《フレイアムルジェイル》を固めたとは言え、■王のパワーは《狂風》にすら耐えるほどだ、そう長くはもたないのはわかっている。
急がなければならない――そう思うアンジェリカではあったが、■王は彼女の考えているよりも遥かに上の力を持っていた。
「くっ……もう!?」
凛風へとたどり着くまでも炎の檻はもたなかった。
強引に力で固定化された炎を砕いた■王がアンジェリカへと迫る。
「イグニッション《フレイムウォール》!」
フィクストまで使っている余裕がない。
炎の壁を発生させて視界を塞ぐ。あわよくば炎でダメージを受けてくれれば……そう願うものの、■王は炎の壁をそのまま突破して来た。
「うぐっ!」
そしてアンジェリカの首を掴み持ち上げる。
なぜ■王がアンジェリカを執拗に狙うのか、その理由は全くわからない。
だがここで動けない凛風ではなく自分を狙って来てくれたのは好都合だ、とアンジェリカは笑う。
「イグ、ニッション……《ブレイズ・オブ・グローリー》!!」
――それはアンジェリカの持つ魔法の中で最大の威力を誇る火炎魔法だった。
魔法を使うと同時に、アンジェリカ自身の身体が白炎に包まれる――いや、アンジェリカ自身が炎と化す。
自らの身体全てを炎と変える【復讐者】と並ぶアンジェリカの切り札の一つである。
相手からの攻撃は無効化し一方的に攻撃できるという魔法なのだが魔力の消費量が多く、またアンジェリカ自身に危険が及ぶため今まで使えなかった魔法なのだ。更には命の危険がある割には威力は【復讐者】には及ばないという扱いにくさもあり、今まで――ジュリエッタとの対戦でも使わなかった。
使うのであれば今しかない。【復讐者】はどうせ当たらないし、まだ■王を一撃で倒せる程のダメージ累積はないのだから。
「く、うぅ……これでもダメ、なの……!?」
持てる力の全てを■王へとぶつけたものの、全く揺らぐ様子もない。
炎は確かに相手の身体を燃やし尽くそうとしているのだが、アンジェリカの首を絞める手の力は一向に衰えることがないのだ。
首を掴む手を引きはがそうともがくアンジェリカではあるが片手で悠々と彼女の体を持ち上げ、炎にもひるまずじりじりと首を絞める力を強くする。
バタバタともがくアンジェリカの足の動きが段々と弱くなり、やがて途絶える。
「……」
まだ死んではいないが、意識を完全に失ってしまっている。
だらん、と手足が垂れ下がり体を覆っていた魔法の炎も消失する。
そのまま■王が手に力をこめればアンジェリカの首はへし折れ、体力は尽きリスポーン待ちへとなるだろう。
だが、■王は何を考えているのか、手を緩めアンジェリカの身体を地面へと落とす。
「……」
そして仰向けに倒れたアンジェリカの口を強引に開き、自分の口を近づける。
真横に大きく開かれた■王の口の中から、白い芋虫……いや『蛆』のような小型の虫があふれ出し、アンジェリカの口内へと侵入していく。
意識を失っているアンジェリカはそれを拒むことも出来ず――『蛆』の群れは次々とアンジェリカの体内へと潜り込んで行った。
「R@M?T//M/R@M/T/N?T/M/N/T/S$N@T$R@N@R@M/R@K$R@M/R@R@!~T#T/S$/K@R@T/N/T?NNR@N@K/T/NNR@N/\^」
『蛆』を体内へと送り込んだ後、横たわり痙攣するアンジェリカを見下ろし、■王が言葉らしきものを発する。
人間には聞き取ることも発音することもおそらく出来ないであろう『音』ではあるが、聞くものがいたとすればそれは『言葉』に聞こえたであろう。
アンジェリカも凛風も意識を失っているため、誰も■王の『言葉』を聞くものはいないが――
「NNR@S$R@N?R@K?/!~K@N/N/T?T/N?N/M?R@M/R@\^R@M?T//M/R@N?T/S$T/S/T/K$T/((({{{T/S$T/K@T/M/T/T$NNR@R@N@M/R@M/T//S/R@N?R@K@R@T?N/K@//S$T/K?T/S$/K@T/M/R@S/T/\^」
やがてアンジェリカの痙攣が収まり、ぴくりとも身動きしなくなる。
その様子を見て満足そうに■王は頷く素振りを見せると、アンジェリカの身体を抱え上げ――愛おしそうに気絶した彼女の頬を優しく撫ぜる。
「T?R@M/R@M?N/M/N/T?N/M/M/M/R@T$NNR@R@N@M/R@K@N/N?T/S$T/T#R@NNT/S/R@T?N@K/T/NNR@N/\^T/M/R@M/N/N?N@N?N/N/K@N@T#T/S$N/M/R@T$NNR@R@N@T#R@K$R@S$R@K?R@T?N@M/R@S/T/\^」
そして凛風の方には目もくれずに、そしてとどめを刺すこともなくアンジェリカを抱きかかえたままいずこかへと姿を消していった……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
”凛風……凛風!”
「う……? 師父……?」
「良かった……」
凛風が意識を取り戻した時、周囲にはいつの間にか避難していたはずのヨームたちが戻ってきていた。
位置は前と変わっていない。どうやら■王がいなくなったのを見計らい、隠れていた場所から戻って来たのだろう。
今はシャルロットが再び《アルゴス》を周囲に展開し直し、モンスターが近づいてこないかを監視しているようだ。
「――……あ、アンジェリカ!?」
目を覚ましてしばらくは『毒』が残っていたのかぼんやりとしていたが、すぐに覚醒、気を失う前のことを思い出す。
凛風はアンジェリカが■王に攫われたのを見ていないのだ。
ヨームもフォルテも目を伏せる。
”……今、アンジェリカがどこへ行ったのかはわからない。ステータスは表示されているから倒されてはいないことは確かだがね”
「そんな……」
「ごめんなさい、凛風さん。私の《アルゴス》で見える範囲外にどうも行ってしまったようで……」
出現した時と同様、一瞬で《アルゴス》の監視網を抜けて行ってしまったため、一体どこへ■王がアンジェリカを連れ去ったのかわからないのだ。
「……助けに行かないといけないアル!」
■王がなぜ凛風にもとどめを刺さずアンジェリカを連れ去ったのかはわからない。
理由はわからないが、少なくとも■王がヨームたちの味方であるとは考えづらい。そんなものに攫われてしまったアンジェリカの身を案じるが……。
”今は――ダメだ。あの蟲人間の戦闘力は我々の戦力を大きく凌駕している。
幸いアンジェリカは体力も魔力もまだ残っている……理由はわからないが、まだ無事ということだ”
「ええ、ヨームの言う通りです、凛風。まずは私たちは味方――ラビさんたちとの合流を目指すべきです」
「……でも……」
ヨームとフォルテの言っていることはわかる。
実際に■王と戦った凛風が一番良くわかっている。彼女たちだけで■王と再度戦ったとしても、アンジェリカを助けるどころか全滅まで追い込まれかねないということを。
それでも凛風は思う――
――アレは……ジュリエッタでも勝てないんじゃないアルか……?
果たして合流したところで何とかなるのだろうか?
アンジェリカを連れ去った目的もわからず、そしてこのクエスト自体の謎もわからないまま――暗澹たる気持ちを凛風は抱いていた……。




