5-32. 黒き死よ来たれ 2. 復讐者、再び
――速い!?
アンジェリカの動きは今までの彼女に比べて明らかに速い。
地面を蹴り一足飛びにジュリエッタの方へと向かってくる。
「メタモル!」
アンジェリカがふざけてこんなことをしているわけではない、ということはすぐにわかったのだろうジュリエッタがメタモルで両腕を大型化させて鎌を受け止めようとする。
「ぐっ……!?」
ライズを使わなかったのが仇となってしまった。
アンジェリカの鎌が深々とジュリエッタの腕へと突き刺さり、今にも切断しようとする。
右腕が半ば千切れかけてしまったものの、無事だった左で大鎌を押さえて動きをとめる。
”え? ちょっと、あんたたちの知り合いじゃないの!?”
”知り合いなんだけど、わかんない!
アンジェリカ、どうしちゃったの!? ヨームたちは!?”
私の呼びかけにアンジェリカはまるで獣のような唸り声を上げて応える。
これは……一体……? まるでモンスターみたいだ。
まさかと思ってモンスター図鑑を見てみるが――良かった、ジュリエッタの時みたいにアンジェリカがモンスター図鑑に登録はされていなかった。
でもそうなるとますますアンジェリカの状態がわからない。
「メルティ!!」
”拙い!? ジュリエッタ、下がって!”
私に言われるまでもなくジュリエッタが後ろへと下がる。
が、間に合わなかった。アンジェリカの魔法を受け、鎌が突き刺さった右腕がどろりとまるでアイスのように溶け落ちる。
――アンジェリカの三つ目の魔法、それがこのメルティだ。その効果は、フィクストの真逆――つまり、魔法を『溶かす』というもの。
溶かされた魔法は威力や効果は変わらないのだが、形状がごらんの通りドロドロになってしまう。炎や風なんかの形のないものを作り出す魔法であっても、このメルティを使うとドロドロの粘液と化す。フィクストと合わせて色々とテクニックを要求されるが幅広い使い道のある魔法だ。
ところがこの魔法、ジュリエッタにとってはなかなか凶悪な効果を発揮する。
今メタモルで変化させた腕を溶かしたように、メタモルで変化させた部位については物凄く有効なのだ。尤も、あくまで形状が変わるだけでダメージは入らないのだが……。
厄介なのはジュリエッタがメタモルで防御しようとしても、アンジェリカがメルティで溶かして無効化してくるという点だ。
「ジュリエッタァァァァァァッ!!」
右腕を溶かしたアンジェリカがそのままジュリエッタへと接近、大鎌を振ろうとする。
が、既に後ろへと下がったジュリエッタには当たらず宙を薙ぐ。
……まぁ、これも【復讐者】同様、ジュリエッタには中々当てることが出来ない、という欠点があるんだけどね……。
「アンジェリカ、何を……?」
自分が復讐される立場であるとジュリエッタも忘れたわけではないが、ここ最近はそれなりにいい関係を築けたと思っている。彼女も戸惑っているようだ。
私だって戸惑っている。
まさかとは思うが、アリスたちがいない間にジュリエッタへと復讐をしようとしている、とか……? いや、でも今までだってアリスたちがいない時もあったし、チャンスは他にもあったはず……。
「ねぇ! どうなってるの!? 攻撃していいの、ダメなの!?」
”ちょ、ちょっと待って!”
アビゲイルが銃を構えようとするが、それは制止する。
流石に状況がわからないし、アンジェリカを撃っていいものかどうか判断が付けられない。
「……殿様、反撃する!」
だがこのままアンジェリカの暴れるに任せるわけにもいかない。
早々にジュリエッタは反撃の決意を固める。
「大丈夫、手加減はする」
このままアンジェリカを退場させるわけにもいかないことはわかっているのだろう、ジュリエッタはそう補足する。
とりあえずアンジェリカの動きを止めて話くらいしないと……。
こういう時に話が通じそうなヨームたちもいないし、足止めに最適な能力を持っているシャルロットもいなし……。
落ち着いて戦えばまだまだアンジェリカはジュリエッタの敵ではない。
振るわれる大鎌をかわし、あるいはいなし、その場にアンジェリカを留めおく。
「くっ……前より強い……」
このまま戦っていても倒されるということはないだろうが、ジュリエッタが捌くのがやっとでカウンターを入れることが出来ないでいる。
決してアンジェリカの戦闘能力――近接戦能力が以前よりも格段に上昇している、というわけではない。単純にステータスが物凄く上がっているため迂闊に身体で止めるという手が使えないでいるのだ。
大鎌にしても振るわれる速度が速く、明らかに攻撃力が増している。
昨日までとはまるで別人だ……ヨームがポイントを貯めておいて一気にステータスを上げた、とかなのだろうか? このチャンスを狙って、というのであれば考えられなくもないが……少なくともヨームがこういう手段を取るとは考えにくい。これでは『彼の目的』が達成されないはずなのだ。
……それとも、ヨームは最初からこうするつもりで……? いやいや、だったらこの場に凛風とフォルテもつれてこないとおかしい。アンジェリカのステータスを上げただけでジュリエッタに勝てるとは流石に見込みが甘すぎる。
ええい! 考えてもわからん! とにかく今のアンジェリカは何か普通じゃない、そしてこの場にヨームたちがいないので事情もわからない。
じゃあ今うじうじ思い悩んでも意味がない。
”ジュリエッタ、とにかくアンジェリカを抑え込んで!”
「わかってる」
突然の急襲と予想以上にアンジェリカの力が上がっていることには驚かされたが、一度冷静に立ち直ればまだジュリエッタの方が強いだろう。
大鎌と火炎の連撃を少しずつ後ろに下がりながら捌き、ジュリエッタは反撃の機会を窺う。
……やっぱりアンジェリカは少しおかしい。今の状況のままが続いても、勝ち目なんてないだろうことは彼女にだって想像はつくだろうに……。
確かにステータスが上がって油断は出来ない強敵にはなっているようだが、闇雲に力を振るうだけで落ち着いて見ればそれほどの脅威は感じられない。
これなら押さえつけられる、かな? それで話を聞いてくれるとは限らないけど……。
「……よくわからないけど、その子を倒さずに抑え込めばいいわけね」
何か離れたところでアビゲイルが言っているが……。
「それじゃ、こういうのでどう!?」
”あ、ちょっ、アビー!?”
言うなり銃を構え、バトーの制止も間に合わず銃弾を放つ。
弾丸は的確に横からアンジェリカの足を貫き、彼女が膝をつく。
「……ナイス、アビゲイル」
アビゲイルの方をちらりとも見ずにそう言うと、ジュリエッタが一気にアンジェリカの懐まで飛び込み鳩尾へと《インパルス》を付与した拳を叩き込む。
――手加減するって言ったじゃん!?
吹っ飛んでいったアンジェリカはそのまま地面に仰向けに倒れ動けなく……なってない!?
”あれでもダメなの……?”
「むぅ……何か、変……」
下手をすれば今の一撃でアンジェリカは倒れたと思うのだが、苦しむ様子もなく平然と立ち上がってくる。
いくらなんでもノーダメージってことはないだろうが、ちょっと今までとは比べ物にならない頑丈さだ。
ジュリエッタはと言うと、《インパルス》を付与したパンチを食らって平然としているアンジェリカに対して、というよりも自分の拳を見て首を傾げる。
「手応えが、何かおかしい……?」
”どういうこと?”
「……何か、アンジェリカの中にいる」
詳しい説明をする余裕もない。
アンジェリカは再度大鎌を振りかざしてこちらへと突進してくる――アビゲイルに撃たれた足も、もう修復されている。
グミを使った様子は見えなかったし、仮に使っても傷そのものは回復しないはずなんだけど……どういうことなんだろう?
ともあれ、まだアンジェリカは止まらない。さっきの一撃で昏倒させられなかったことから、抑え込むのも難しいかもしれない。
それでもやるしかない……。
いざとなったらアンジェリカから逃走する必要もあるか……。
そんなことを考えながら、アンジェリカと再び向き合った私たちだったが、その時異変が起こった。
「な、なに!?」
「……っ!」
私たちのいた地面――『床』が大きく震動した。
地震、に似ているけど……。
「殿様、バトー! 気を付けて!」
いち早くジュリエッタが何かに気付き警告を発すると同時に、私をさっきアビゲイルから守った時のように伸ばした髪で包み込んでその場から離れる。
アンジェリカは揺れなど気にせず、ひたすら真っすぐジュリエッタに迫ろうとするが――
先程よりもひときわ大きな揺れが私たちを襲う。
そして、それと同時に『床』下から――
”……嘘でしょ……?”
床を突き破って下の階層から現れたもの――それが床を破った衝撃が先程の震動の正体だろう。
下の階層からモンスターがやってきた。それはまぁいい。
問題なのは現れたものだ。
”な、な……!?”
「こんな化物が……!?」
バトーたちもその威容を見て言葉を失う。
ジュリエッタでさえも、驚いているようだ。
出現したのは、巨大な……多分ムカデ型のモンスターだ。
全身が真っ黒の甲殻に覆われ、無数の体節に分かれている。各体節からは左右に足が生えている……そこから見てムカデ型だろう、と思ったのだけど……。
多分、と付けたのは――その大きさがあり得ないくらいのものだったからだ。
私たちから見えている胴体部分、一個の体節の太さだけで……おそらく数10メートル……その巨大な体節が『百足』なんてくらいじゃ生温いくらいの数連なっており、全長は想像もつかない。
昔話に存在するであろう、山を巻くほどの大ムカデ――としか言いようのないモンスターが現れたのだ。
「……これは、無理」
ポツリとジュリエッタが呟く。
無理もない。大きさだけなら、この大ムカデ、間違いなく過去最大級だ。単独の巨大さなら『嵐の支配者』やサンドウォーム、あるいはテスカトリポカ本体等が今までで見た最大のモンスターなのだが、この大ムカデはそれら以上だ。全長何キロメートルレベルだろう。
ギチギチ、と大ムカデが口を動かす度に気持ち悪い音が響く。
一飲みで人間なんて飲み込まれてしまう巨大な口にはずらりと槍のような牙が並ぶ――本物のムカデの口がどうなってるかなんて知らないけど――だけでなく、頭に近い体節から生えている足は巨大な『鎌』となっている。人間どころか、高層ビルですら真っ二つにしてしまいそうだ。
「うぅぅぅぅぅっ!!!」
アンジェリカも突如現れた大ムカデに対して唸り声を上げるが、すぐにジュリエッタへと視線を戻し突進してくる。
――これは本格的にアンジェリカは何かおかしくなっている。原因はさっぱりわからないけど、モンスターなり誰かの魔法なりで操られている……とかかもしれない。
「……殿様、逃げる」
”う、うん!”
アンジェリカのことは気になるが、今はとにかく自分たちの身の安全ですら危うい。
こちらの方へと大ムカデも視線を向け、頭から飛び掛かって来ようとしていた。
”ひゃあぁぁぁぁ!?”
「くっ、ミオ!!」
大ムカデの飛び込み攻撃自体はかわしたが、飛び込みの勢いで床が崩落――私たちは下の階層へと落下していく。
他のモンスターやアンジェリカも全て巻き添えにして。見境なしか、あの大ムカデ!?
ジュリエッタはメタモルで羽を生やして堪えようとするが、空中に浮かび上がっている状態でまた大ムカデやアンジェリカの攻撃に身を晒すのは拙い。
ああ、かといってバトーたちを放置しておけないし……って、もう姿が見えない!?
「バトーたち、落っこちていった……」
”助けてあげ――るのは無理か!?”
大ムカデは完全にこっちをロックオンしたらしい。床やらビルの残骸やらを破壊しながら、空中の私たちに向けて再度向かって来ようとする。
更にアンジェリカまでもが炎をこちらに伸ばし、更にそれをフィクストで固定して足場として向かってくる。
”……くそっ! ジュリエッタ、一旦逃げよう!”
「うん……流石にあのムカデとアンジェリカを同時は無理」
アンジェリカを倒してしまって構わないのであれば、竜巻触手なりヴォルガノフの触手なり強力なメタモルを使えば何とかなるかもしれない。
でも出来れば倒さずに無力化して何がどうなっているのかを調べたい。
その上で大ムカデの相手は無理だ。ジュリエッタの魔法では超大型のモンスターに対して有効なものがない――それこそアリスの得意分野なのだ。
ここで延々と戦い続けていては消耗するだけではなく最悪やられてしまうかもしれない。
そう私もジュリエッタも判断し、その場からとにかく逃げるしかなかった……。




