5-18. 幽霊団地の怪 3. JS調査団の冒険(後編)
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千夏君から『幽霊団地』の噂について報告を受けた翌日、土曜日。
今日は全員が揃って何かしらの用事があるため揃っての『ゲーム』への参加はなし――まぁ夜に時間が合えば、っていう感じかな。
ありすと桃香は学校から帰って来た後に美々香と遊びに行くと言って出て行ってしまった。
千夏君は今日は午後に部活動がある日である。部活は夕方前には終わるが、今日は塾のある日なので『ゲーム』に参加できるのはわずかな時間しかない。そのわずかな時間をどうにかやりくりしてヨームと合流するのだが。
で、私はと言うと……。
「お待たせしました、ラビ様」
場所は桜邸――と廊下で続いている隣の建物、鷹月家である。
あやめは桃香のお世話係ということもあって特別に桜邸の方に部屋があるが、当然と言えば当然だが鷹月の家の方にもちゃんと部屋が用意されている。
ただ、こちらの部屋はあまり使っていないのだという。
あやめ曰く、休日にたまに使ったり、テスト勉強等に集中したい時くらいにしか使っていないようだ。
”よし、それじゃ始めようか”
「はい。よろしくお願いいたします」
必要以上に畏まって見えるのは気のせいではあるまい。緊張も含んでいるのは想像に難くない。
これから私たちが何をするかというと、鷹月家の台所をお借りしてちょっとやることがあるのだ。
幸いと言っていいのか、あやめのご両親はどちらも桃香の両親に付いているためこちらの家の台所はほとんど使われることはない。使用許可は快くいただけたらしい。
”後……一週間くらいしか時間がないしね。頑張ろう!”
「は、はい!」
何をするかと言えば、まぁ台所でやることなんてそう多くはないだろう。
ずばり、『料理』である。
意外なようなそうでもないようなだが、実はあやめは料理はそこまで得意ではないらしい。
桜家での料理はあやめのご両親が主に行っているようだ。あやめも多少は手伝いはするくらいで、彼女一人でメインの料理を担当したことはないとか。
まぁ、単に経験不足というのもあるだろう。他のこまごまとした家事は結構上手にやれているし不器用ではないはずだから、経験を積んでいけば普通に料理を作ることくらいは出来るようになると思う。
……ただ、今回に限って言えば時間がないのだ。
”材料は?”
「はい、全て揃えております」
”ん、よし。じゃあ私は横で見ているから、あやめは手を動かしてね”
「はい。心得ております」
残念ながら私自身は動かしたくても手を動かすことは出来ない。
……だってねぇ、頑張れば包丁で切ったりとかは出来るけど、やっぱり何だかんだでこの身体は『小動物』なわけだし、動物に触れた手で作ったご飯を口に入れるのはちょっとね……と私は思う。
そんなわけで、私は料理は出来るけどこの体で作ることは出来ない。
対してあやめは料理を作れる身体だけどあんまり得意じゃない。
加えて、私とあやめには共通の目的がある。
――これで互いに協力しない理由はない。
「……本当にありがとうございます、ラビ様」
”ん? いや、私としてもあやめが手伝ってくれるってのは助かるから、お互い様だよ”
「いえ、ラビ様の方でも別の用意があるのでしょう? そちらに掛ける時間を削ってまで指南してくださっているのは……」
ああ、そういうこと。
……そう、実は私は私で独力でちょっとやっていることがあるのだ。
幸い私には暇な時間がたっぷりとある。
ありすにバレないように、夜中にこっそりと部屋を抜け出したり、学校に行っている間にやったりとコツコツと進めてきた甲斐あって大分目途は立ってきている。
”私の方は大丈夫だよ。後一週間あれば十分間に合う見込みはたってるし。
……それよりも、あやめの協力がなかったらどうしようって思ってたくらいなんだから。本当に助かったよ”
「……恐縮です。この鷹月あやめ、不肖ながら全身全霊を尽くさせていただく所存にございます。どうか、ラビ様のお好きなように使ってくださいませ」
そ、そこまで畏まられるほどのことじゃないと思うんだけど……。
でもまぁ彼女の気持ちもわからないでもない。
後一週間と時間は短いけど、これが上手く行けば私にとってもあやめにとっても嬉しいことになるし、あやめに至ってはついでに料理の勉強が出来る。
うん、よし、WIN-WINだと思っておこう。
”よーし、それじゃビシビシ行くよ!”
「はい!」
何はともあれまずは期日までにしっかりと料理を作れるようにならなければ話にならない。
今日も私がここにいることがバレると面倒なので、ありすと桃香が帰ってくる前には退散しなければならないから……そんなに時間があるわけでもない。夕方にはそのまま未来ちゃんの家まで行ってヨームと対戦するだろうし。
……ふと思ったけど、今って私がこっちの世界に生まれ変わってから一番の忙しさかもしれない。前世では忙しいのなんて嫌で仕方なかったけど……。
これはこれで悪くないかもしれない。そんなことを思うのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
時刻は午後15時を少し過ぎた辺り。
一度帰宅したありすたちはそれぞれ家で昼食を摂り、その後外出して桃園台南小の正門前で合流した。
そこから『幽霊団地』へは徒歩で10分もかからない。
桃香が自転車に乗れないというので、三人は徒歩で向かうこととした。
もう後一時間もすれば一気に暗くなるが、まだまだ明るい時間帯――幽霊などを信じていないありすだけでなく、桃香も美々香も何も危険なことはないと思っていた。
ちょっとした季節外れの肝試し――そんな風に思っていたのだ。
だが――
「はっ、はっ……はぁっ……」
「こ、恋墨ちゃん、桃香……無事に逃げ切れた……?」
「はひぃ……ひぃ……わ、わたくし、もう、走れません、わ……」
三人はそれぞれが肩で荒い息を吐きつつ、地面へとへたり込む。
場所は問題の『幽霊団地』から少し離れたところにある桃園台記念公園。その西の端にある区画である。
「ん……大丈夫、追いかけてきてない……と思う」
「お、思うじゃ……困り、ますわ……はぁっ……」
今まで走って来た道を振り返ってみるが、特に何かが迫っている気配はない。
小学生女児が三人、血相を変えて走ってきているのを何事か、と気にかけている通行人等はいるが。彼女たちを追いかけてくるような変質者でもいるのかと訝るものの、特に声を掛けたりする様子はない。
そのまましばらく無言で息を整えていた――真っ先に立ち直ったのは美々香、次にありす。その後しばらくは桃香がなかなか立ち直れなかったが――が、やがて息も整い、興奮かそれとも恐怖か、今までの分を取り返すように姦しく喋り出す。
「な、何だったんだろ、アレ!?」
「ん……わかんない……」
「蜘蛛だけじゃなかったですわ!! き、気持ち悪い……!」
『幽霊団地』で見たものを思い出したのか、桃香がぶるぶると震える。
桃香の気持ちもわかる、とありすと美々香も体を震わせる。決して寒さのためだけではない。
それだけ、『幽霊団地』で目撃したものが悍ましかったのだ。
十数分前に目撃したものを、今でもありありと思い返せる程、インパクトが強すぎた。
「うん……気持ち悪かった……蜘蛛っぽいモンスターがうじゃうじゃいたし……」
「それだけではありませんわ。い、芋虫っぽいモンスターも沢山……」
彼女たちが目撃したものは、前日に千夏が話を聞いたという『蜘蛛の化物』だけではなかった。
人間の身体よりもはるかに大きい『芋虫の化物』も群れをなしていたのを見たのだ。
以前ありすが戦ったことのある鋼鉄の芋虫――リビングメイルと似てはいるが、あれよりも更に巨体で狂暴そうなモンスターが、まるで蛆がわくかのように『幽霊団地』の建物のあちこちから這い出てくる光景は、彼女たちでなくても気持ち悪いと思えるものであった。
だが、それらはまだマシな方だと三人は揃って思う。
常識ではありえないモンスターではあるものの、『ゲーム』に出てくるモンスターとして考えれば特に異常はない。至って普通の虫系モンスターの一種と言えよう――そう、三人は今や『幽霊団地』に現れた化物=『ゲーム』のモンスターであると確信していた。
「……あ、あの、あの……気味の悪い女……? ほんっとうに気持ち悪い……!」
「……ん」
「お、思い出させないでくださいまし……」
蜘蛛や芋虫のモンスターの大群よりも、もっと悍ましい化物を三人は目撃していた。
おそらくはあれこそが凛子が最初にありすと桃香に向かって話した『巫女の幽霊』と思われるものの正体なのだろう。
一見すると確かに巫女のようには見える。頭部は黒く長い髪のようなものが、上半身は白くまるで白衣を着ているように見え、下半身は緋袴を履いているように見えた。
だが、それが『巫女』ではないことに三人はすぐに気が付いた。
『幽霊団地』を金網越しに見ていた三人だったが、ふと建物の一つを見てみると――誰もいないはずのベランダにそれがいつのまに佇んでいることに気が付いた。
黒い頭部、白い胴体、赤い下半身――まさか本当に『巫女の幽霊』が? と思ったのも束の間――
「……ひっ!?」
最初に気付いて悲鳴を上げたのは桃香だった。
その後すぐに美々香、ありすも気が付く。
それは人間ではない。
まるで虫――それも複数の目を持つ『蜘蛛』のように、それの顔に当たる部分には六つの眼球が存在したのだ。
だというのに、顔つきや目、鼻、口などの各部のパーツ自体は人間そのものという悍ましさである。
それは自分の存在に三人が気づいたことを知ると、口に当たる部分を大きく歪める――おそらく嗤ったのだろう。
「……トーカ、ミドー、走って!」
それが合図だったかのように、『幽霊団地』のあちこちから大量の虫がわき出し、三人の方へと押し寄せる。
ありすの言葉を引き金に、三人は走ってその場から逃げ出した――
以上が『幽霊団地』で起こったことの全てである。
『巫女の幽霊』の正体と思しきものの姿を思い出し、三人は悍ましさに身震いする。
「……でも、これで多分はっきりした……」
気味悪さを振り切るように、ありすが決然と二人に向けて言う。
「――あの化物たちは、モンスター……『幽霊団地』のお化けは、『ゲーム』が関わっている……」
ありすがそう思ったのには理由がある。
リビングアーマーに似た芋虫と共に現れた蜘蛛――それに見覚えがあったからだ。
忘れるわけがない。かつての相棒である美鈴と出会ったきっかけとなったクエスト……それに現れたモンスターなのだから。
アラクニド――蜘蛛の名を持つ、現実世界を侵蝕する『蟲』の大群が『幽霊団地』から現れてくるのを三人は目撃したのだ。




