3.5-10. 闇に蠢く
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――いずことも知れぬ場所。
見渡す限りの荒野……ラビたちのいる桃園台はおろか、その国にはおよそ存在しないであろう荒れ果てた大地。
その場に向き合う者たち――人ではない、異形の姿があった。
一つは『虎』。黒地に白の縞模様という、現実にはありえない姿の猛獣。
もう一つは――
”いよぅ、クラウザーの旦那! 調子はどうだい?”
”……”
まるで『闇』を人型にしたようなものがそこにあった。
表情もまるで見えない。ただ、辛うじて人の形をしているというのがわかる程度だ。ただし、その大きさは人間のものではない。大人の膝くらいまでの大きさであろう、『人間型のぬいぐるみ』といったサイズだ。
陽気な調子で『虎』――虎型の使い魔であるクラウザーへと語り掛ける。
クラウザーの方はと言うと、相手のそのような調子には合わせたくないのか、それともこの調子が苦手なのか、苦々しい表情で黙っている。
”……相変わらず煩ぇヤツだ……”
”うはっ、そっちも相変わらず愛想がねぇやな”
”チッ……”
不機嫌そうに舌打ちをするものの、相手は全く堪えない。
”おい、愛想も挨拶もどうでもいい。
てめぇとの『取引』だ――”
”あー、はいはい。お仕事の話しますかー”
お道化るように肩をすくめる黒い影。
”えー、さてさて……お前さんのご依頼の品、きっちりかっちり完成させてるぜぇ”
”……ふん”
そう言って影はパチン、と指を鳴らす。
すると影の横に、音もなく大きな物体――大人がすっぽりと収まるような真っ黒い箱、ラビたちが目にすれば『棺桶』と表現するであろうものが現れた。
”『ガワ』はこれで完成だ。『中身』については……俺っちには手を出せない部分が多いからなぁ。ま、リュウセイ辺りに頼むんだな”
ぽんぽんと黒い棺桶の蓋を叩きながら影は言う。
”ああ。そっちはてめぇが気にする必要はねぇ”
”……ふーん? ま、いいさ”
わざとらしく肩を竦める動作をする影。
そして次には、これまたわざとらしく揉み手をしてみせる。
”さてさて……お次はお代についてなんでげすが……”
”……すっとぼけてんじゃねぇぞ、てめぇ”
フザケた態度の影に対して、ついにクラウザーが我慢の限界を迎えたといったように声に殺気を滲ませる。
気の弱い者ならばその声だけで震えあがるであろう迫力ではあるが、
”ちぇー、つまんねぇのー”
影は一向に気にする様子はない。
クラウザーに危害を加えられることはないと確信しているのか、それとも――
”ま、冗談はこれくらいにして――
お前さんからのお代、きっちりかっちり受け取ったぜぇ”
”チッ……最初からそう言っておけばいいんだ”
ふふん、と影は鼻で笑って返す。
”笑いは人生を豊かにするんだぜぇ? 楽しく、愉快に遊ぼうじゃねぇか。なぁ、クラウザーの旦那?”
”……くだらん”
自身の言葉通り、愉快に笑う影に対してクラウザーは心底くだらないと言ったように吐き捨てる。
全く以て噛み合わない二人だ。尤も、そのことはお互いに承知していることでもあるのだが。
”それにしても、一時『借金』背負ったと聞いちゃいたが……よくもまぁ俺っちのリクエストに応えられたもんだな。しかも、予想より短い期間と来ている。
なんだ? 一体どんな魔法を使ったんだい?”
”……だからうるせぇな。一々詮索するんじゃねぇ”
”いやぁ、こっちとしては要望通り、最低10体のユニットの抜け殻を揃えてくれたのは感謝しちゃいるけどさ? ほら、気になるじゃん?
旦那のことだから対戦でガンガン倒していくのかと思ったけどよ、ほら、『借金』背負っちまったとなったら……ねぇ?”
――奇妙な話である。
ユニットの抜け殻……それの意味するところは――
”……あっ、なるほどなるほど。察し察し。
つまりは、俺っちと同じ方法、あるいは似たようなことをしたってわけね”
”……”
クラウザーは沈黙を以て答えとする。
それを正解と受け取った影はうんうんと頷き、勝手に納得したようだ。
”けけけっ、まぁいいさ。こっちは要望通りでありゃ、手段は問わねーさ”
”チッ、だったら詮索するんじゃねぇ……”
”まぁまぁ。詫びと言っちゃなんだが――旦那に一個『忠告』しておいてやるよ”
そう言うと今までの陽気さを引っ込め、わずかにクラウザーの方へと体を乗り出すようにして影は言う。
”冥界には絶対に近づくな”
今までと雰囲気の異なる影の言葉にクラウザーも一瞬言葉を失う。
冗談ではない。ある意味、脅しにも近い影の言葉であったが、それに対して怒りを覚えることもない。
これは、本当に『忠告』――否、警告なのだ。そうクラウザーは理解した。
”……ふん。なら、てめぇにも俺から一個『忠告』しておいてやるよ。
これから先、俺とは関わらねぇことだな”
”うへへ、わかってらい。ま、あんたも知っての通り――俺っちはクエストにもそもそも行かねーけどな”
”相変わらずわからない野郎だぜ……ヘパイストス。てめぇ、一体何が狙いだ?”
クラウザーは影――ヘパイストスのことを信用してはいない。
それはお互い様だろうとも思っているが。
明確に『敵』であれば潰すだけだが、そうとも言い切れない……その点は『リュウセイ』とも同じではある。
ただ互いに利用価値があるから一時的に取引をしただけだ。
”おっと、お互い詮索はなしだぜぇ……って、俺っちが言っても説得力ないか、うへっ”
”チッ……”
これ以上は話しても無駄か、そうクラウザーは判断しこの場から去ろうとするが……。
”まぁ、狙いそのものについては話せねーけどさ。
俺っちとしては『ゲーム』の勝者が誰でも別に構わねーのさ。旦那でももちろんいいし、リュウセイの野郎でも別にいい。何だったら、特に裏事情のない……えーっと、プレイヤー名の方はわからねーけど、メルクリウス辺りだって構わねーんだぜ?
――ただ、この俺の邪魔さえしなきゃ、な”
最後だけふざけたノリを潜め、影はそう言い残した――
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
”ふーん、驚いた……まさか君一人でレベル5のモンスターを倒せるなんてね……”
荒れ果てた不毛の大地――荒野フィールドにて、彼は驚いたように自らのユニットに向けて声をかける。
彼の名はリュウセイ――小さな龍の姿をした使い魔である。
「そう? 別にそこまで強いモンスターではなかったわよ?」
レベル5モンスター、荒野に巣くう暴食の帝王『テュランスネイル』……その死骸を前に、一人の少女が答える。
まるで鮮血のように紅い髪に、同じく紅い瞳。真っ白なブラウスに髪色と同じ紅いスカートを履いた姿だ。
ただ、その手に持つやはり紅い槍――それが異様だ。少女の身長をはるかに超える2メートル近い長さの柄に、まるで茨のように無数の棘を生やした穂先を持つ、およそ普通に槍として扱うには無理のある形状である。
”まぁ、倒せたんなら別に文句はないけどね。
……それじゃ、美味しくいただこうか”
「うぇー、これもやんなきゃダメなのー……? ま、仕方ないか……」
嫌そうな顔をしつつテュランスネイルの死骸を見上げる少女だったが、やがて諦めたようにため息をつくと――
「それじゃ――『吸血者』」
呟くと共に、テュランスネイルの触腕へと噛り付く。
「う゛ぇっ、不味い!?」
涙目になりつつも再度噛り付き、じゅるじゅると音を立てて死骸から『血液』を啜っていく。
――これが彼女のギフト『吸血者』である。その効果は未だ不明ではあるが……。
――別に本当に噛みつかなくても血は吸えるはずなんだけどなぁ。
吐き気を堪えながら血を啜る少女を横目に、リュウセイは思う。思うだけで実際に言わないのは……おそらく特に深い意味はないだろう。
”ふふっ、それにしても、将来有望だね、君は”
「お゛ぇっ!?」
この時点でレベル5であるテュランスネイルを倒したのは、彼女だけではない。単独とは言いづらいが、アリスもテュランスネイルを倒しているし、その後単独で同格である雷精竜ヴォルガノフを倒している。
ただし、彼女の場合はアリスとは異なり、かなり余裕をもって倒しているのだ。
戦う相手との相性もあり簡単には比較できないものの、彼女の戦闘力はアリスと匹敵するかあるいは凌駕していると言えるだろう。
……その後も吐き気と戦いつつ血を啜る少女。
やがて、テュランスネイルの巨体から全ての血液、そして体液が奪い取られたのだろう、ミイラのように干上がり元の巨体が縮んだ死骸だけが残る。
少女の華奢な身体に到底収まるはずのない量だったが……その点については少女本人ももう気にすることはない。所詮、『ゲーム』なのだ、考えるだけ無駄であろう、と。
「あー……不味かった……」
”ふふっ、お疲れ様、フランシーヌ”
少女――フランシーヌへとそう声をかけるリュウセイ。
フランシーヌはまだ涙の残る眼で恨めしそうに自らの使い魔を睨みつける。
「……次はもっと美味しいモンスターにしてもらいたいものね……!」
”う、うーん……そりゃ無理じゃないかなぁ。善処はするけど、モンスターの美味しさなんてボクにはわからないしね……”
「くぅぅ……だったら、せめてもう少し血を呑むのに抵抗のないモンスターにして欲しいわね!?」
”……虫とか?”
「……あんた、虫食べたいの?」
冗談で言ったリュウセイだったが、予想以上に冷え切ったフランシーヌの眼差しが返ってくる。
”ごめんごめん、冗談だよ”
「……はぁ。まぁいいわ。でも、ならせめてもう少し手応えのある相手がいいわね。
――この間のレベル9の時は貴方がいなかったから挑めなかったし」
フランシーヌはそうぼやく。
テュランスネイルをさして苦戦することもなく倒せる彼女だ、それ以上の相手でなければロクに相手にもならないのだろう。
……味についてはリュウセイの言う通り、事前にわかるわけもないのだから。それならばせめて『ゲーム』本来の楽しさ――つまり、『強敵とのバトル』を楽しみたいところである。
”ふふっ、ごめんよ。次の機会があれば、埋め合わせはするからさ”
――まだ君を他の人に見せたくないんだよね。
そう心の中で付け加える。
『この間のレベル9』が指し示しているのは、当然あの『嵐の支配者』のことだ。フランシーヌはリュウセイに止められ、クエストには参加しなかったことを根に持っている。
なぜ彼女をクエストに参加させなかったのか……そこにリュウセイの思惑があるのだが、そんなことはフランシーヌは知る由もない。
『計画』は順調に進んでいる。
リュウセイとは無関係に色々と策をめぐらせている動きも察してはいるが、それが特に障害となることもない――今のところは。
ただ、二つ彼の計算外が存在した。
――イレギュラー……さて、彼? 彼女? は今後どう動くのかな……? クラウザーがこのまま黙っているわけはないし……。
一つはラビの存在だ。
『ゲーム』そのものの知識について、リュウセイは自分以上に知るものはいないと自負している。他にも何人かは警戒すべきプレイヤーはいるが、いずれもリュウセイを上回る知識を持っていることはないはずだ。
そんな彼でも、ラビの存在だけはわからない。
一体どこから現れたのか、そして『正体』が誰なのか……候補としては何人かが頭に思い浮かぶのだが、『ゲーム』に関する知識の無さは振りとも思えず、いずれにも該当しない。
今のところラビがリュウセイの障害とはならない。むしろ、計画外ではあったものの、ラビの存在は彼にとって『プラス』に働くのだが……。
――警戒するに越したことはないか。それよりも、ボクの知らないところで退場されないように気を配らないと、ね。
本来ならば、不確定要素であるイレギュラーには早々に退場をしてもらいたい、と思うはずだがリュウセイは全く逆のことを考えていた。
彼の『計画』にとって、ラビが退場するのは困るのである。
その理由こそ、もう一つの計算外に起因するものなのだ。
――『死霊使い』とでも言えばいいのかな。誰かはわからないけど、悪趣味なことを考えるもんだ……。
ラビの存在はむしろプラスとなる計算外であったが、もう一方の仮称『死霊使い』については話は別だ。
その存在に気付けたのはただの偶然だった。もし気づけずに放置していたとしたら、彼の『計画』は大きく狂わされていたことだろう。
「ちょっと、リュウセイ? 聞いてるの!?」
”あぁ、ごめんよ。ちょっと考え事してた”
苛立つでもなく、むしろ心配そうに声をかけてくるフランシーヌにリュウセイは笑って答える。
――ま、フランシーヌの『強さ』も計算外と言えばそうなんだけどね。
『計画』のための『繋ぎ』として自らのユニットとして選んだフランシーヌだったが、想像以上の実力を発揮している。
もしかしたら、『計画』を根本から変える程――そして、他のプレイヤーが何をしようとも揺るがない、彼の『計画』を完璧にするかもしれないほどの強さ。
それを有するユニットを偶然手に入れられたのは幸運ではあった。
今のところ『計画』を変更する必要はない。
だが――
――イレギュラー次第では、もしかしたら……フランシーヌこそが、■■に相応しいかもしれない。
自らのユニットにも真意は伝えず、リュウセイの『計画』は進んで行く――
小野山です。
第4章『魔獣少女』編は、一週間お休みして2/18から更新いたします。
更新ペースは今までと変わらず、毎週月~金の18:00となります。