3-52. ラグナレク 19. ケイオス・ロア
黒い『靄』が晴れていく。
そこから現れたのは、やはり一人の少女――ユニットの姿であった。
「貴女は……?」
警戒するようにヴィヴィアンが私を抱きかかえたまま一歩前に出て、ありすと彼女の間に立ち塞がる。
乱入対戦がないのだから襲い掛かってくるということはないだろうが、それでも警戒する気持ちもわからなくはない。
なぜならば、現れた彼女の姿は――どう転んでも『邪悪』としか言いようのない印象を抱かせるものだったからだ。
年のころは十代半ば……前半くらいか、やや小柄な幼い少女の姿をしている。
足元まで届くほどの長い黒髪をツーテールに括っている。髪はところどころが赤や紫になっているようだ。
「衣服」と呼べるようなものは、これまた漆黒のレオタードのようなもののみ。他には目立ったものと言えば、大きな『首輪』を身に着けているくらいで、靴すら履いていない。
……何よりも異様なのは、全身の至る箇所に『包帯』を巻いていることだ。腕や足に巻かれている包帯が、まるで服替わりだと言わんばかりに、全身に包帯が巻かれている。顔に至っては、目を塞ぐように巻かれている。視界が塞がれているんじゃないかと思うが、それは聞いてみないとわからない――いや、聞かないけど。
とにかく、受ける印象は『邪悪』――まるで『闇落ちした魔法少女』だ。
「あたしは、ケイオス・ロア」
ヴィヴィアンの問いかけに、彼女――ケイオス・ロアが応える。
その声にはやはり聞き覚えがあった。
”……美鈴、いや、ホーリー・ベル……なのか……?”
そう、姿こそ違えど、声はホーリー・ベルそのままだったのだ。
彼女の声を聴き違うはずがない。私たちと何度も一緒に戦った、あのホーリー・ベルと同じ声をしている。
よく見れば、ケイオス・ロアの姿はホーリー・ベルが『闇落ち』した姿と言えなくもない。
だが、私の言葉にケイオス・ロアは首を横に振って否定する。
「……違う。
あたしは――闇夜に響く、混沌からの喚び声……ケイオス・ロア」
――やっぱり美鈴じゃないか!
まぁ、追求したところで否定されるだけだろうけど……。
そうか……前に偶然会った時に私は疑念を抱いていたんだけど、やっぱり美鈴は再びユニットとなっていたのか……。
”……わかった。これ以上は追求しないでおくよ。
ケイオス・ロア、君がありすを助けてくれたんだね。ありがとう”
今ケイオス・ロアの正体について話している余裕も、美鈴の現状についても話している余裕もない。答えてもくれないだろう。
とりあえずどうも彼女がありすを助けてくれたようだし礼を言っておく。
が、私の言葉に彼女は首を横に振る。
「……あたしだけじゃない。それに、その子が頑張ったから、あたしたちでも何とかなっただけ……」
”そうか……”
きっとジェーンや他のユニットも協力して戦ってくれていたのだろう。
モンスターのレベル、というか格について今回初めて私は知ったが、他のユニットたちは知っていたのだろう。それによれば、今回の相手は到底敵うはずのない相手だったのだ。風竜ですら他のユニットにとってはなかなかの強敵なのだ。それが大群で現れるどころか、更に上回るモンスターが相手なのだ。普通なら到底勝ち目のない戦いだ。
それでもここまで善戦出来たのは、アリスが散々暴れ回ったからなのだろう。彼女の戦いぶりに励まされたのか、それとも助けてもらったのか、具体的にケイオス・ロアたちにどういう影響を与えたのかまではわからないけど……。
「その子は力を使い果たして眠っているだけ……すぐに目を覚ますと思う」
そう言うと、ケイオス・ロアは私たちに背を向ける。
”ケイオス・ロア?”
一緒には戦ってくれないのか? そう聞こうと思ったが、
「ここから先は、あなたたちの戦い――でしょ?」
そう言いつつ、上空を見上げる。
釣られて私も見上げると……そこには、苦しみもがいていたグラーズヘイムが徐々に大人しくなってきている姿があった。
大人しくなったと言っても死んだわけではない。むしろ、周囲の風竜たちを取り込んで傷を回復させているように見える。
……流石にまだ終わらないか。今度こそ、グラーズヘイムを斃さなければならない。
「……それに」
更に彼女は言葉を続ける。
「……いずれ、あたしたちは敵対することになる。必要以上に馴れ合わない方が、いい」
”……戦わないといけないのか……? どうして……?”
彼女の事情はわからない。けど、彼女と戦うことは出来ればしたくない――
だが彼女は振り返ると皮肉げに、でも少しだけ悲しそうに笑みを浮かべて言う。
「だって、これはそういうゲームだから」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
これ以上は一緒にはいられない。
ケイオス・ロアは後ろ髪をひかれる思いではあったが、ラビたちの元から離れる。
やらなければならないことはまだあるが、これでほぼ終わったと思っていいだろう。
上空に居座る『嵐の支配者』も弱ってはいるもののまだ健在だ。ラビたちの代わりに倒しに行こうという気は起きない――流石に今の力量では玉砕覚悟で挑んでも、傷ついているとはいえ勝ち目はないだろう。
残ったやることは、数は減ったものの未だあちこちに散らばっている風竜の掃除だ。
「……ジュリエッタ?」
ラビたちから離れ、彼女たちの方へと向かおうとする風竜を始末している間に、小さな人影を見つける。
先程まで一緒に戦っていた狐面の魔法少女、ジュリエッタだ。
「ありがとう。あなたがヴォルガノフを倒してくれたおかげで、今が随分楽になったわ」
ケイオス・ロアがヴォルガノフをジュリエッタとジェーンに倒すことを依頼したのは、この局面のためだ。
グラーズヘイムへと一撃を食らわせラビたちを救出するのはアリスの役目だ。彼女の力ならばそれは充分できるだろうと読んでいた。
問題は、それをした後にアリスがおそらくは動けなくなってしまうだろうということである。
それを見越してケイオス・ロアはアリスを守りに行ってたのだが、その時にヴォルガノフのような大物が現れてしまうと守り切るのは難しくなる。
だから、ジェーンたちにヴォルガノフを予め排除しておいてもらいたかったのだ。
「……ジュリエッタ? あなた、まだクエストに残る?」
ジュリエッタは首を横に振る。
「そろそろ、時間……それに、他人の獲物を奪う程、落ちぶれてない」
言われてケイオス・ロアも納得する。
現実世界の方ではいまだに大嵐が猛威を奮っているのだ。いつまでもクエストにいたら、いざ避難となった時や他の家族に心配をかけてしまうことになる。
その辺の事情はケイオス・ロアも同じなのだが……。
それに加えて、あのグラーズヘイムを倒すのは、あそこまで追い込んだアリスたちの役目だ。彼女たちが負けるのであれば仕方ないが、ハイエナのように獲物を狙う気はジュリエッタにはないらしい。尤も、アリスたちで勝てないのであれば他の誰が挑んでも結末は同じだろうが、とも思う。
「わかったわ。それじゃ、ゲートへと向かいがてら、風竜を出来るだけ倒して欲しい」
「……別に、いいけど」
何で命令するの? と言わんばかりの態度だ。表情が変わらないためわかりづらいものの、そう思っているだろうことはケイオス・ロアにもわかる。
断られてたら断られたで、自分一人でも戦うつもりではあったのでダメ元ではあった。幸い、ジュリエッタは風竜の残りを片づけながら帰ることを了承してくれた。
そこでふと気になったことをケイオス・ロアは尋ねる。
「そういえば、ジェーンは?」
「……知らない」
そっけなくジュリエッタは返す。
一緒にヴォルガノフと戦った仲間ではあるが、あくまで一時的なもの。無事の確認などする必要もない、とジュリエッタは思ったのだろう。
彼女にも世話になった。感謝の言葉の一つも述べたかったが、今この場に現れないということは――ヴォルガノフと相打ちになったのかもしれない、とケイオス・ロアは思い直す。
「……そっか。
それじゃね、ジュリエッタ」
そう言い残し、ケイオス・ロアはラビたちの周辺に近づく敵を倒しに行こうとする。
「待って」
そんなケイオス・ロアをジュリエッタが呼び止める。
「ん? 何?」
「……何で、あいつらを助けるの? ジュリエッタ、わからない」
ジュリエッタの問いかけはもっともなものだった。
先程ケイオス・ロアがラビたちに言ったように、別々の使い魔のユニット同士なのだ。いずれ敵対関係になるのは明白である。
グラーズヘイムを斃せるだけの戦闘力を持っているのがラビたちだけ……という考えもありうるが、それにしてもクエストをクリアしなくても現実世界がどうにもならなくなる、というわけではない。もちろん爆弾低気圧による被害は出るだろうが、それでも絶望的な被害を受けるというわけではないだろう――彼女たちの本体が住んでいる地域では今まで史上最大と称される台風でもそこまでの被害を受けたことがないためそう思うだけなのだが。
「……それは――」
ジュリエッタの問いかけに答えようとしてケイオス・ロアの言葉が詰まる。
少しだけ考えた末に、色々と理由はあるが『これ』が一番の理由だな、とケイオス・ロアは結論を出し答えた。
「こんなナリだけど――あたし、『魔法少女』だからね」
小野山です。
ケイオス・ロア…一体、何之内美鈴なんだ…?