3-45. ラグナレク 12. 真なる嵐の支配者
* * * * *
……ヴィヴィアンはよく戦ったと思う。一緒にいて見ていた私は、身内贔屓なしに心の底からそう思う。
けど、相手が悪すぎた。
倒しても倒しても延々と湧いてくるエインヘリアルたちに対してヴィヴィアンはかなり粘った。
《ペルセウス》が切り裂き、《フェニックス》が焼き払い、《ペガサス》が強靭な脚力で蹴りつぶしあるいは角で突き刺し、ヴィヴィアン自身も《サラマンダー》や《グリフォン》と言った小型召喚獣を幾つも召喚してエインヘリアルたちを蹴散らしていった。
これが普通のクエストならば……既に10回以上はクリアできている程の量のモンスターを倒しているだろう。
だというのに、エインヘリアルたちは一向に減らない。むしろ、倒せば倒すほどどんどん数を増している気がする。
「う、くっ……!」
ヴィヴィアンが苦痛に呻く。
既に私たちはエインヘリアルたちの物量の前に敗北していた……。
《ペルセウス》も《フェニックス》も既に倒され、ついには《ペガサス》もやられ、私たちは地上に落下してしまっている。
ヴィヴィアン自身にはまだそこまでダメージはいっていない。落下の衝撃――それも、私を庇ったために背中から落ちてしまったがためのダメージだけだ。
”ヴィヴィアン、回復を!”
急いで彼女を回復させる。虎の子の体力・魔力を両方とも回復させるミラクルキャンディだ。滅多に使わない――ダメージを余り食らうことがないからという理由だが――けど、今が使い時だ。
彼女の体力も魔力も最大値まで回復する。が、落下のダメージは抜けない。苦しそうに顔を歪めている。
「くっ……ご主人様、守らないと……!」
落下したこちらを見逃してくれる相手ではない。
次々とエインヘリアルもこっちへと降下してくるのが見える。
もう猶予は数秒もない……!
彼女は私を抱きかかえたまま、もはや戦うことはせずに逃げようとする。再度召喚獣を呼び出して迎撃しようとしても、もはや太刀打ちできないと悟っているのだ。
「サモン……《ペガサス》!」
逃げるために《ペガサス》を再度召喚し、それに乗っていこうとするが……。
《ジンギ――グングニル!!》
「――っ!!」
《ペガサス》に向けて上空から一筋の光が降り注ぐ。
――『グングニル』……確かにそう聞こえた!
アリスの使う《嵐捲く必滅の神槍》とは違う、鋭く、そして速い一刺しが《ペガサス》を真上から貫き、勢い止まず地上へと激突。そこで大爆発を起こしてヴィヴィアンを吹き飛ばす。
「うぐっ……こんな……っ!?」
爆発の余波で吹き飛ばされただけなのに、大きく吹き飛ばされ再び地面に叩きつけられてしまう。
そして、倒れた私たちから少し離れた位置に神獣少女が降り立つ。その周囲にはエインヘリアルたち、私たちのすぐ側にも武器を構えたエインヘリアルが降り立つ。
……ダメだ、完全に囲まれてしまった……召喚獣を呼び出しても、すぐに破壊されてしまう……!
万事休す、か……。
「……インストール……いや、《エクスカリバー》を使えば……」
よろよろと立ち上がりながら私を守るようにしっかりと抱きかかえるヴィヴィアン。小声でぶつぶつと何やら呟いているが、そのいずれの手段を取っても現状を打破できるとは考えにくい――というより、こちらが行動する前に向こうに潰されるだろう。
でも、向こうは向こうでこちらを追い詰めたというのに、攻撃を加えてくる様子がない。
”……なんだ……?”
一気に襲い掛かってこられないのはありがたいと言えばそうなんだけど、何を考えているのかわからず不気味だ。
戸惑う私、そしてふらふらになりながらもまだ戦意を失っていないヴィヴィアンの前に、ゆっくりとオーディンが歩み寄る。
《リナ・ドゥル・ガ、アドラ・ガ・マルダ・ガ?》
こちらへと槍の穂先を向け、オーディンが何かを言う。問いかけている……んだとは思うんだけど、相変わらず何を言っているのかわからない。
言語学者とかならもっといっぱい話をすればもしかしたら解読の糸口はつかめるのかもしれない。残念ながら私はそういったことには疎いし、解読なんてとてもではないけど出来そうにない。
くそっ、もし会話できるのなら戦いを避けられるかもしれないのに……! 私が出来ることは、必死に呼びかけることくらいか。
”待ってくれ! 私たちと話をしてほしい!”
話をして一体どうなるっていうんだ!? 自分で言ってて訳が分からない。ただの命乞いにもならない時間稼ぎの言葉に過ぎない。
けれど、その時ふと思ったのだ。
――もしかして、オーディンたちも私たちと同じように『ゲーム』に巻き込まれて戦わされているだけなんじゃないか、と。先に推測した『運営の予想外のクエスト』である、というのが正しいとして……彼女たちも巻き込まれた側であって、訳も分からず私たちと戦っているだけなのではないか? そんな考えが思い浮かぶ。
もしかしたらどうにか話し合う余地を見出せるかもしれない? と私は思ったが、そんな私の考えを否定するようにヴィヴィアンは強く私を抱きしめる。
”ヴィ、ヴィヴィアン……?”
「だ、ダメ……ご主人様……!」
震える声でそう言うヴィヴィアンの視線は私には向いていなかった。真っすぐにオーディンの方を見ている。
……その表情は、普段は感情を表に表さないヴィヴィアンとは思えないほど感情がむき出しになっている。その感情は……『敵意』と『恐れ』だ。
「……ごめんなさい……でも、わたくし、わかるのです……! あれは、絶対に相いれない敵なのだと……!」
じり、じり、とオーディンから逃げるように少しずつヴィヴィアンが下がろうとしている。他のエインヘリアルには目もくれない――最大の脅威がオーディンであることはわかっているのだ。
なぜヴィヴィアンがオーディンに対してそんな敵意と恐れを抱くのかわからない。これも『ゲーム』側の仕掛けた『何か』なのかもしれない。
じゃあヴィヴィアンは置いておいて、私とオーディンで対話出来ないかとも考えたが……それも無理だった。
《ワクウバ、イラムナ・アドラ・ネイ・ゴダ・アギラ!》
爛々と輝く紅い目がこちらを憎々し気に射抜き――オーディンが左手を掲げ、そして振り下ろす。
それを合図に周囲を取り囲むエインヘリアルたちが一斉にヴィヴィアンへと殺到する。
「くっ……サモ――あぐっ!?」
召喚獣を呼び出そうとするも、それを遮るように次々と切りかかるエインヘリアルたち。
ヴィヴィアンは自力で逃げ出そうとするも、相手の動きの方が圧倒的に早い。
”ヴィヴィアン!”
「だ、大丈夫、です――ぐっ!!」
大丈夫なわけがない。
私に刃が届かないように体を丸めて抱え込みながら、必死に逃げ回るヴィヴィアン。
そんな彼女に向けて、無数の刃が降り注ぐ。
腕、足、背中……辛うじて頭部だけは守っているものの、見る見るうちに体力ゲージが減っていく。
いくら体力特化とは言え、そう長くは持たない。
”……もう、いい。ヴィヴィアン! 私を離して、君だけでも逃げるんだ!”
私を庇おうとさえしなければ、まだヴィヴィアンだけなら逃げられるかもしれない。
もちろん私が死んだらそれでヴィヴィアンも、そしてアリスも『ゲーム』からは脱落してしまうのだが、それでも今目の前でなぶり殺しにされようとしているのを止めるには――さっさと私が死ぬしかないのだ。私を置いて逃げ伸びることが出来れば、これ以上苦しまないで済むはずなのだ。
だというのに、ヴィヴィアンは私を離さない。
もうまともに動くことも出来ないだろう彼女は、私を抱きしめたまま亀のように体を丸めて縮こまる。
”ヴィヴィアン!!”
「まだ……」
肉を裂き、貫く嫌な音が彼女の体を通して私に聞こえてくる。
……一体どれだけの刃をその身に受けていると言うのか。そしてそれに耐えているというのか。
口の端からも血を流しつつ、既に視線は私の方も捉えることもなく、うつろな表情でヴィヴィアンは続ける。
「……姫様が……必ず……」
――アリスが、まだいる。
彼女が――白いハートの女王がいる限り、私たちは敗北していない。ヴィヴィアンはそう言っている。
……ああ、くそったれ。だからって、今この状況をどうにか出来るというのか!
私が『イレギュラー』だというのであれば。
他のプレイヤーと違う、何か特異な存在だというのであれば。
今、この一瞬だけでもいいから……何か『特別な力』をくれないか!?
”……ちくしょう……!”
けれども、私は『イレギュラー』ではあっても何の力も持たない、ただの使い魔なのだ。
物語の主人公のように特別な力も持っていないし、秘められた力も持っていない。アリスの物語にひっついているだけの、ただの傍観者にすぎないのだ。
今目の前で殺されようとしているヴィヴィアンを助けられる、都合のいい力なんて発揮することもできない、本当にただ『いる』だけの無力なイレギュラーでしかないのだ。
――そう、いつだって、物語は『主人公』が動かすものなのだ。
《イギ・ガ、アラ・ガ!?》
オーディンが何かしゃべっている。その声に焦りと困惑があるのがわかる。
彼女の困惑が伝わるのか、ヴィヴィアンに武器を振りかざしていたエインヘリアルたちの動きが止まる。そして、彼女と同様に周囲を見回す。
抱きかかえられていて外がよく見えない。ヴィヴィアンの腕の隙間から何とか外を見ようとして――
「……姫様……!」
《バラン……!》
私とヴィヴィアン、そしてオーディンたちは見た。
『それ』を見てヴィヴィアンは歓喜の声を、オーディンたちは困惑と怒り――そして幾分かの『恐れ』を含んだ声を上げる。
”アリス……!?”
私たち全員が目にしたものは、グラーズヘイムの体内という隔絶された異界の空を、今にも食い破ろうとする九つの黒い――あらゆる光を呑み込む、暗黒の渦であった……。