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さようならは早すぎる

作者: 妹尾建大

「私さ、地球を出ようと思ってるの」


「……へー、そうなんだ」

 鈴が鳴るような、耳に涼しく響く声。

 そんなさわやかな声音と台詞の内容があまりにかけ離れていて、ヨシキは返事に多少の時間がかかってしまった。

 とりあえず、あたりさわりのない受け答えをしておく。

「すごいね、マコ」

 あまりにもそっけなかったかと思い、そうつけ加える。

 すると、ベンチに座った少女、マコは不服そうにプッとほほをふくらました。

 マコは、腰まで伸ばした黒髪に人形のように整った顔立ちをして、深窓の令嬢がドラマの世界から抜け出してきたかと思える外見の少女だ。

 しかし、コロコロと変わる表情が内面の奔放な性格を包み隠さず物語り、彼女と一緒にいると気ままな猫を相手している気分になる。

「えー、それだけなの?」

「そう言われても、4年ぶりに会った幼馴染から地球脱出宣言をされて、おれはどうすればいいのさ」

 ヨシキは答えて、マコの隣に腰を下ろす。


 ベンチからは、2人が4年前まで通っていた小学校の校庭の全体が見渡せた。

 土地の余った田舎の利点を活かした、かなり恵まれた広さの校庭で、昔は休み時間にサッカーやドッジボールに打ち込んだものだった。

 その変わり、周りに広がるのは山と畑ばかりで、その合間を縫うように細い田舎道がうねっている。8月を迎えた太陽の燃えるような日差しの中で、せわしないセミの鳴き声が途切れずに響いていた。

 夏真っ盛りにも関わらず、マコは薄手の長袖のシャツにズボンをはいている。かたわらには大きなリュックサックが置かれていた。

「ねえ、ヨシくん。この校庭ってこんなに広かったっけ? 人がいないからかな」

「まあ、夏休みだからね」

 2人の他には人影のない校庭を見回して、ヨシキは答える。

 昔は自分には山のように大きく見えたジャングルジムも、高校に通うようになった今はずいぶんとこぢんまりとして見える。そのことが、けして短くない4年という月日の重みを感じさせた。

「なんか、2人だけの校庭って雰囲気が良いよね。ね、手をつないでみちゃう?」

 ニシシと笑って、マコが片手を差し出してくる。

「いいよ、暑いし」

 額の汗をぬぐってヨシキがそっけなく断ると、マコは小さく「むー」とうなりながら手を引っ込めた。

「むー。なんか、つまらないな。あの、からかって面白かったヨシくんはどこに行っちゃったの」

 むくれた様子でズボンをはいた足をブラブラさせるマコを見ていると、ヨシキの口元は自然とゆるむ。

 昔も、気分屋のマコは無邪気ないたずらを思いついては、クラスメイトを巻き込んでいた。その主なターゲットにされていたのがヨシキで、マコの行動に振り回されたり、胸をときめかせたりしていた。

 そんな彼女が親の仕事の都合で都会に引っ越すと分かった時は、胸にポッカリと穴が開いてしまったようで、1人で涙を流したものだ。

 遠い思いにひたりつつマコの横顔を見ていたヨシキだが、彼女に口を開く様子がないので、ここに来てからずっと抱いていた疑問をぶつけることにした。

「それで、突然どうしたの? 4年も会ってなかったのに、急にこっちに帰って来たと思ったら、こんな場所に呼んだりして」

「……オヤ、ケンカシタ。アタシ、イエデタ」

「なぜ急に片言に」

 つまりは家出したということか。

 理由についてはひとまず納得したが、ヨシキにはまだ分からないことがあった。

「でも、どうしてこんな田舎に来たんだい? 友達の家にでも泊めてもらえばよかったじゃないか」

「それでも良かったんだけどさ」

 急に声のトーンを落とし、マコは思わせぶりな流し目をヨシキに送った。

「ヨシくんに会いたかった。そう言ったら、びっくりしてくれる?」

「うん。びっくり」

 のんびりと応じてヨシキがうなずくと、マコの肩がガクッと下がった。

「なんか、本当に雰囲気が変わったよね。昔なら、顔をリンゴみたいに赤くして慌ててくれたのにさ。なんか、あたしの知ってるヨシくんじゃないみたい」

「4年も経つと、人は変わるのさ。マコの中のおれは4年前に会った時から変化していないんだろうけど、現実のヨシキという個は経験や環境の移り変わりに即して、性質が変わっている」

「……日本語を使ってくれない。そういえば、ヨシくんは中学からすごく成績が良くなったって聞いたよ。もう留学の話も出てきているって」

「うーん、それは友達のおかげだよ。マコが引っ越した後、新しい友達ができたんだけど、彼らはとても博識で、色々なことを教えてくれるんだ。おかげで、以前は考えられなかったくらいに、自分の思考の世界が広がったんだ」」

「そうなんだ。いい友達だね。もしかして、女の子?」

「……どうなんだろう?」

「なんで疑問形なの。すっごい気になるんだけど。でも、そうか、ヨシくんにも昔はいなかった友達がいるんだね。当たり前だけど、不思議な気分」

 腕組みをして悩む様子のヨシキにツッコミを入れると、マコは物思いにふけるようにうつむいてしまい、口を開かなかった。

 2人の間に、穏やかな沈黙が流れる。


「ねえ」

 その沈黙を破ったのは、何かを心に決めたような横顔をしたマコだった。

「私が小学校を卒業して引っ越す時のこと、覚えてる?」

「もちろん」

 問われるまでもないことだ。ヨシキはうなずく。

「マコが両親の都合で引っ越した時だろ。クラスのみんな、泣いていたなあ」

「それでさ、その前に、私が学校の裏山で3日行方不明になったじゃない」

「ああ、あの時か」

 ヨシキは、卒業直前に起こった大事件のことを思い起こす。

 たしか2月の終わりごろだったか、学校が終わってもマコが家に戻らず、大きな騒ぎになったことがあったのだ。

 偶然、小学校の裏山に彼女が入るのを見ていた人がいた。学校の裏山はそれほど大きくはないが、全く人の手がはいっておらず、大人でも山頂まで登るのは困難だ。

 地元の警察も含めた大人数で捜索した結果、3日目に山の中で意識を失っているマコを発見した。マコの意識が戻ったのは、発見されて1週間も経過してからだった。


「あの時はクラスのみんなも心配していたよ」

「うん。なんか、私を探しに山に入って、逆に迷った子もいたんだってね。私は長いこと意識がなかったから、詳しくは聞かされてないんだけど」

 バツが悪そうに髪を小指でいじるマコに、ヨシキは当時から抱いていた疑問を尋ねたくなった。

「どうして、裏山になんて登ったのさ」

「……思い出が作りたかったんだよ」

 そうつぶやくマコの声は、寂しそうで、弱々しいものだった。

「ほら、あのころ、変な噂がクラスで流行ってたじゃない。裏山には埋蔵金が埋まっているとか、夜になると誰もいないのに変なささやき声が聞こえてくるとか」

「なつかしいな。変な噂だったね。山の中を大きなザリガニが歩き回っているのを見たとかさ」

「それでね。私、引っ越して遠くに行っちゃうのが決まってたから、最後に噂を確かめてみようと思ったの。それで、裏山に行ったんだ」

 理由を聞いて、相変わらず変なところで行動力があるものだとヨシキは感心した。

「で、山の頂上を目指して歩いていて、日が暮れたころだったかな。あんな場所に人なんてアタシ以外にいるはずがないのに、本当に誰かがささやくような声が聞こえ始めたの。それで、急に眠気が襲ってきて、そのまま寝ちゃった。それからのことは、病院のベッドで起きるまで覚えていないんだ」


 そこまでよどみなくしゃべり続けていたマコは、急に言葉を切ってうつむいた顔を上げた。

「ううん。本当は1つだけ覚えていることがあるんだよね。あの時さ、山の中でとっても不思議な夢を見たの」

「夢?」

「そう夢」

 上半身を大きくそらしたマコは、空を仰ぎ見ながら続ける。

「アタシは、それまで見たことがないような場所に立ってたの。

 うん、あそこは地球じゃなかった。なんか、空がさ、それまで見たどんな空とも違っていたの。黒い宇宙をバックにして、数えきれない星がすっごく近くで光ってたの。手を伸ばしたら、そのままつかめそうだったんだよ」

 マコは片手を上げて、手のひらを空に向けた。

 その横顔は真剣そのもので、ヨシキは、話を遮らないように口を閉ざして聞き手に徹する。

「赤茶色の地面が地平線まで広がっていてね。アタシ以外には誰もいないの。

 でも、無人ってわけじゃなかったと思う。遠くの方にね、変な形の建物がたくさんあったもの。名前の分からない金属でできてたんだけど、まるで、粘土を思いっきりひねったような奇妙な角度で建ってた。

 その建物を見てるとさ、見ているアタシの方がグニャグニャに曲がっていくみたいで気持ち悪かったよ」

「遠近感や方向感覚が狂ったんだね」

「そうかもしれない。とにかく、テレビでも見たことないような建物がたくさん建ってたの。あれは、都市だったんだね。作ったのは宇宙人だよ、絶対。人間にあんな街が作れるわけないもん。

とにかく、見えるもの全部がおかしくて、頭がどうにかなっちゃいそうだった。寂しくて、家に帰りたくて、泣いちゃいそうだった」


「でもさ」

 マコは、視線をまっすぐヨシキに向けて微笑をこぼした。声にこもる熱っぽさが、耳にとろけるようで、少女らしからぬ色気を生んでいた。

「その星をずっと見ているとね、風景が全て調和していて、まるで自分の方が歪んでいるって思うようになったの。

 絵の中に散った汚点みたいに、アタシだけが世界から浮いていて、どんなに時間が経っても溶けきれないんだよ。

 その星からアタシだけ、のけものにされてるみたいで、結局は泣いちゃいそうだったなあ」

「それで、どうなったの」

「どうにも」

 ヨシキの問いかけに、マコは薄く微笑んで首を横に振る。

「そのまま立っていたら、だんだんと風景が遠ざかって行って、最後は世界が黒一色になっちゃったんだ。次に目が覚めたら病院のベッドの上だった」

 笑みを浮かべたまま話を締めくくったマコだったが、その瞳は熱っぽくうるんでいた。それが夏の日差しによるものか、夢に見たという景色へはせる思いによるものか、ヨシキには分からない。


「笑わないんだね」

「ん?」

「親にこの話をしたら、大笑いされて、ただの夢だって言われたの。向こうの友達に言っても、みんな本気で聞いてくれなかった。こんなに真面目に受けとめてくれたのはヨシくんが初めてだよ」

「ああ」

 それはそうだろう。マコの口から語られるのは、あまりにも現実からかけ離れた話だった。全ては少女の想像力が生み出したただの夢と捉えるのが一番容易だ。

 しかし、夢の風景を聞いているうちに、ヨシキの頭の中にはある1つの単語が浮き上がっていた。

 それを、ヨシキはポツリと口にする。

「ユゴス……」

「ユゴス? 何それ」

 聞き慣れない単語を耳にして、マコは小首をかしげた。

「そういう名前の星があるって友達が言っていたんだよ。その星は、赤茶けた土の荒野が広がって、奇妙な角度で構成された建築物が建っているらしい。その星の住人は、大昔から地球に来ていて、目撃された記録もあるんだってさ」

「本当!?」

 大声を上げて身を乗り出すマコ。その顔が触れそうなほどの目の前まで近づいたのを、ヨシキは彼女の肩に手をやって「ドウドウ」と押し戻した。

「落ち着いて、マコ。目撃された記録というのは、アメリカのある州で洪水が起こった時に正体不明の生物の死体が見つかった、ってだけさ。その死体も、ちゃんと調査をする前にドロドロに溶けちゃったらしいしね。あやふやで、確実性に欠ける情報なんだ」

「ふーん、そうなんだ」

「まあ、よくある宇宙人やUFOの目撃談みたいなものさ。ユゴスの住人は地球を調査していて、気に入った人間を自分たちの星に連れて行くなんて話もあるよ」

「じゃあ、もし会えたら頼んでみようかな。あなたたちの星に連れて行ってください、って」

 良いことを思いついたとでもいうように、瞳を輝かせたマコはグッと拳を握った。


 マコの嬉しそうな様子を見て、わざわざこんな田舎までやって来た理由がヨシキには分かったような気がした。

「まさか、そのためにこっちに戻って来たのかい?」

「せーいかい。賞品は何がいい。ん?」

「じゃあ、暑いから飲み物を買ってきて」

 唇に指をあてて問いかけるマコに、ヨシキはズボンのポケットから財布を取り出し硬貨を彼女に渡す。すると、彼女は大げさなため息を吐いた。

「はああ。ねえ、きみ本当にヨシくん? まさか、双子の弟さんじゃないよね」

「ううん。違うよ」

「うそ。昔のヨシくんなら、もっと思春期男子にふさわしい妄想をして、顔をゆでだこみたいにして慌てていたのに」

「たしかに、異性への興味が最も高まる時期だからね。昔のおれなら、そうしていたろうね。でも、今のおれにとっては、それは複数ある欲求の1つに過ぎないんだよ」

「ううん、もういいや。はい、これあげるね」

 硬貨を受け取ったマコは、自分のリュックサックから水のペットボトルを取り出してベンチに置いた。

「ありがとう」

 それを受け取るために視線を下げたヨシキは、その時、初めて彼女がしっかりとした造りの登山用の靴をはいているのに気づいた。

「これから、山登り?」

「うん。いいでしょ、これ。リュックの中にも、飲料水に缶詰、ライトに包帯。今なら、アタシはヒマラヤの頂上も目指せるよ」

 マコは得意げに控えめな胸をはった。

 この時のために念入りな準備をしてきた様子に、ヨシキは改めて彼女の行動力に感心させられた。

「大げさだなあ。そんなに、夢の中で見ただけの星を探したいの? 何がきみをそこまでさせるんだい」

「自分でも、どうかしてると思うんだけどさ」

 苦笑しながらも、マコは真剣な瞳でヨシキを見返す。

「あたしね、引っ越した後も、最初のうちは眠るたびにあの星の風景を夢に見たの。でも、時間が過ぎるうちに、だんだんと風景がかすんでいって、今じゃほとんど思い出せなくなっちゃった。

 別に、今の生活が嫌なわけじゃないよ。アタシにも新しい友達ができたし、塾や習い事も楽しんでるしね」

 どこか誇らしげに語るマコだったが、不意にその顔の寂し気な影が差した。

「でも、時々考えちゃうんだ。このままだと、いつの日かあの夢に見た星のことを忘れてしまって、2度と思い出すこともないまま大人になっちゃうかもしれないって。そんなことを考えるとさ、なんだか宝物を失くしちゃうような、すごく寂しい感じがするんだよ。

 それでこの前、つまらないことで親とケンカして家を出てきちゃったんだよね。そうしたら、自然とここに足が向いてたの。いい機会だから、もう1度あの星を探してくるね」

 沈んだ空気を振り払うように陽気に言い放ち、マコは立ち上がった。リュックサックを背負い、こぼれるような笑顔で親指を立てる。その姿に、幼いころ、野原や川辺で一緒に遊んだ少女の面影を見たようで、ヨシキは今日初めて心を少し揺り動かされた気がした。

「ついて行こうか?」

 とっさに、口からそんな言葉が飛び出たが、マコは「ふふん」とからかうような笑みを顔にはりつけて白い歯をのぞかせる。

「いいよ。また、私を探しに山に入って、迷子になられたら困るし。ね、ヨシくん」

 その言葉に、ヨシキは思わず目を見開いた。

「迷子について、よく知らなかったんじゃ……」

「さすがに、私を探して山に入ってくれた人のことは、気になるよ。ああ、でも良かった。最後に、ヨシくんの不意をつけて。やっぱり、かわいい顔をしてくれるよね」

「かなわないなあ」

「ふふふ、アタシに勝とうなんて100年早いぞ」

 そして、マコはきびすを返し、学校の裏山へと歩き始めた。

「……さようなら」

 辛うじて聞き取れるような小さい声。それだけを校庭の片隅に残して、マコは裏山へと入って行った。その後ろ姿は、まるで誰かのアルバムに収められた1枚の写真のようで、ヨシキはずっと座って彼女を見送っていた。

 その姿が山の木々に遮られて、完全に見えなくなったころ、ヨシキはポツリとつぶやいた。

「さようならには、早すぎるよマコ」


 数日後、地方新聞の片隅に次のような見出しが載った。

『――町の山で、行方不明の少女の遺体を発見。警察は他殺と発表』

 その記事に目を通すと、その少女が1週間前に家出をした高校生であることと、過去に――町にいて、発見された山で迷子になったことがあるとも書かれている。

 しかし、その死因と、警察が他殺と断定して捜査をする理由についてはあいまいで、ぼかした表現がされているのみ。それは、テレビのニュースでも同じことだった。


「ずいぶんと騒ぎになっているよ、マコのこと」

 ヨシキは、今では誰も住んでいない古い民家の中で、夜だけに会う約束をしている友人に語りかけた。

 友人は、黙ったままだ。彼らには、人間でいう口に該当する器官がないことはヨシキも知っているので、彼らが背中の羽をこすり合わせて発する音からその意思を読み取る。

 かすかな抑揚がつけられ、人の低いささやき声のようにも聞こえる羽音に、ヨシキはゆっくりうなずいた。

「まあ、しかたないよね。なにせ、頭が切り開かれて、脳がそっくり取り除かれていたんだからさ」

 その言葉に対する返事のように、友人は、カニのはさみのような手を起用に動かして、かたわらの机の上に金属製の缶を置いた。

 ちょうど大人の頭ほどの大きさの缶には、ヨシキにはまだ用途が理解できない機器やプラグがついている。


「これが、マコ?」

 ヨシキは、繊細なガラス細工を扱うように、その缶に手を置いた。

「へー、専用の機械に接続したら、会話もできるんだ。ちょっと、彼女の感想を聞いてみたいな。人間の体を捨てて、缶の中に収められるのってどんな感じなのかな」

 そう言ってはみたものの、警察の捜査が行われている山に入ることができず、やむなく会合の場所に選んだ民家にそんな設備はない。そのことがヨシキには残念だった。

 友人たちの優れた医療技術によって、マコの脳髄は生きたまま取り出され、缶に収められている。声を出すことはできなくても、会話は聞こえているはずだ。

 缶から手を放し、ヨシキは友人に穏やかな笑みを向けた。

「ほとぼりが冷めたら、彼女を君たちの星に連れて行ってくれるんだよね。おれからも頼むよ。彼女、きみたちが昔見せた星の風景をとても気に入っていたから。もう1度見るために、戻ってきてくれたんだから」

 ヨシキは再びマコの脳が入った缶に視線を落とす。手のひらから伝わる感触は、硬質で冷たい金属のものだが、その内側からかすかな脈動が伝わるような気がした。

 そして、友人たちと初めて会った日のことを思い出す。

 行方不明になったマコを探しに裏山に入り、自分も迷子となってしまったヨシキは、どこからか聞こえてきたささやき声に導かれ、彼らと出会った。

 昆虫に似た体にハサミのついた両腕。目も口もついておらず、キノコを思わせる頭部は、常に様々な色の光を放っている。

 そんな、人間とは似ても似つかない異形の姿でありながら、その内部に宿る深い知性を感じさせる存在。

一目見た瞬間から、ヨシキは彼らに魅了された。


 裏山にひっそりと隠れていた彼らは、ヨシキに害を与えるようなことをせず、それどころか夢のように美しい風景をテレパシーによってヨシキに見せてくれた。

 マコが夢の中の光景と信じていた、彼らの故郷の惑星の眺めを。

 彼らとの最初の交流はわずか一晩で終わり、ヨシキは翌朝には大人たちに見つけられて、家に送ってもらった。

 だが、彼らはヨシキに約束してくれたのだ。友人として、その後も会ってくれることを。

 人目を忍んで山に登るたびに、彼らは常人の理解を超えた様々な知識を彼に授けてくれた。

 それと同時に、地球において彼らが行っている活動についても教えてくれた。彼らは地質的な調査を行うかたわら、人類の文明を研究していること。そして、高度な知性を持った人間や彼らの気に入った人間の脳髄を摘出し、生命活動を保たせたまま故郷へ移送すること。

「マコ、うらやましいなあ。おれはまだ彼らに連れて行ってもらえないんだ。時期じゃない、って言われてさ。でも、いつかきっと、おれも同じ場所に行くことになるよ。彼らにとって原始的な体を抜け出して、エーテルの風に乗って星の間を運んでもらうんだ」

 ほこりっぽい室内に羽音が響く。もう、時間らしい。

 友人が缶をはさみでつかみ、部屋を立ち去るのをヨシキは静かに見送った。


「行ってらっしゃい、マコ。さようならは言わないでおくよ」

 1人残された室内で、ヨシキは別れを告げた。これからマコを待つ旅路と、その終着点について思いをはせながら。


読んでいただいてありがとうございます。

今回は、クトゥルフ神話よりミ=ゴを登場させました。

脳缶を書くのは、やはり楽しいですね。



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