1話「始まりの朝」
現実世界の代用品として造られた、だだっ広いVR空間の一角。
都市部からは微妙に離れ、山林が隣接する、俗に言う『田舎区画』に平安時代の寝殿造に勝るとも劣らない和風建築の屋敷があった。
葉の色が濃く背の低い木々が一般住宅の数倍は下らない敷地を囲っている。
中に目を向ければ、味わいある山の一部を切り取ったような庭がある。
その先には、決して派手ではないが、上質な柱や意匠に凝った木細工の引き戸を持つ、趣深く雅的な屋敷が立っていた。
山の陰から陽が顔を出す。爽やかな朝日だった。屋敷の正面に登り始めた朝日は、門を抜ける形で緋色の光によって屋敷内を照らしていく。
白んでゆく空に合わせ、虫が鳴き始め、小鳥がさえずる。植物たちが日光を受け、その緑葉を鮮やかに主張した。まさに活気溢れる夏の朝だった。
もちろん、その気持ちのいい朝は屋敷の中にも入り込み、庭へと開け放たれた寝室で睡眠をとっていた少年を目覚めさせた。
眩い朝日が顔にかかる。瞼越しでも光が見えて、彼は「うぅ.....やぁぁ...」と顔を顰めて布団に潜り込んだ。
だが、睡眠状態から脱して覚醒に向かい始めた思考ではもう一度眠りに落ちることはできず、彼はタオルケットを退け、のそりと身体を起こした。
起き上がった少年は、まるで少女のようだった。
所謂ボブに整えられた白髪は雪のようで、わずかに混ざる金髪が朝日に透けて煌めいた。
着崩れた浴衣から覗く焼けた小麦色の肌は、見事に白髪と対比し、映えていた。
顔立ちも体型も、細く華奢で儚い。
半目でぼんやりとしながら寝癖のついた髪をいじる姿など、まさに少女だった。
唯一快活な目が彼を少年だと主張していた。
彼は『ソレミニア・サンテンス』。この屋敷に父母と三人で住んでいる14歳の少年だった。
「あぁぁぁー、んんー」と唸るような声を上げ、ソレミニアは顔を起こすため頰を手でむにゅむにゅと揺らす。
十分に意識のはっきりした所で、布団から完全なる這い出し、慣れた手つきで青色の布団を畳んで押し入れに押し込んだ。
壁にかけてあった味のある、振り子時計型電子時計を横目で見やって時間を確認する。
いつもより早い時間に起床したらしいことを知ると、学校へ行くため家を出るまで余裕があるので、ソレミニアは朝風呂にでも入ることにした。
VR空間で朝風呂って、いやそもそも風呂って意味あるの?と思う人もいるだろう。
その疑問は一理あるが、箱舟のVR空間は現実世界の代用品なのだ。だから、何処まででも現実世界に忠実なVR空間では寝汗も掻くのだ。
夏場、蒸し暑い夜を冷房器具なしで過ごしたせいでソレミニアの身体は微妙にべたついていた。
そのまま学校に行くのは、清潔好きなソレミニアには耐えきれなかった。
それに湯船に浸かるというのはVR空間でしかできない贅沢だ。昨晩は現実世界でシャワーと言う名の霧全身洗濯機で済ませていたので、ちょっと湯船が恋しくなっていたというのもあった。
ソレミニアが木の香りがする縦長の廊下を風呂場へ向かってとぼとぼと歩いていると、見知った男性に出会った。
年は30代前半。身長はソレミニアが見上げるほどある。180センチは確実だ。東洋系の人物で、体格は中肉中背。キリッとした目元に、黒髪をワックスでオールバックにし、スーツを着る姿はまさにできるサラリーマンといったところだろう。
『ヒノワ・サンテンス』、ソレミニアの父親だった。
「父さんおはよう。家にいるなんて珍しいね、お仕事は?」
声をかけられ、ソレミニアに気づいたヒノワは、ソレミニアの格好を見て驚いた後ため息を吐いた。
「仕事は今から出るところだよ。もう少しで山場を超えるんだ。そしたら休暇が貰えるよ。それとは別なんだが、ミニア。あぁ、なんだ、もう少し格好に気をつけた方がいいぞ。母さん譲りの容姿なのはいいが、その、お前はこう言われるのは嫌かもしれないが、はしたないぞ..?」
ヒノワは目頭を摘んで、俯きながら首を振った。
その様子を見てソレミニアは改めて自分の格好を眺めてみた。
浴衣は寝ている間に着崩れ、肩から大きくずれ落ちている。帯も緩んでだらりと垂れ引きずられ、浴衣自体今にも肌蹴そうだった。
確かにこれは、自分で言うのもなんだが。
「.....きわどいね」
「まぁそういうことだ。無頓着なのは父さんしても心配になるからな。昔お前は誘拐されそうにもなったしな」
「親バカ発言やめてよ。VR空間で、というか箱舟じゃあ誘拐なんてできるわけないし」
「いや本当だ」
「えっ」と着崩れた浴衣を直しながら、ソレミニアは父親の発言に驚き、訝しげにヒノワの顔を見た。
至って真面目な顔をしていたヒノワは腕時計を確認すると、出勤の時間が近づいたのか、玄関に向かっていった。
最後にーー
「そうそうミニア。お前の端末が壊れてるってことで、学校からのメールがうちに来てたぞ。先行探索隊の説明会が今日やるからいつもより早く学校に来いだと。朝風呂入るならさっさとな。余裕あんまないぞ」
と爆弾を落としていった。
「それ最初に言ってよぉおっっ!?」とソレミニアはヒノワに怒りながら泣き、慌ただしい朝が始まった。
◇
父が予め沸かしてくれていた朝風呂に急いで浸かって上がりーーこの時ほど父に感謝したことはないーー学校のブレザー型の制服に着替え、肩掛け鞄に教科書タブレットやあれこれの用具を詰め込むと、ソレミニアは家を飛び出した。
ソレミニアの家は悲しいことに、『田舎区画』と呼ばれる学校がある都会からは離れたところにあった。
学校に行くには幾許か走った上で電車に1時間揺られなければならない。
VR空間なのに、現実じゃないのに!と悪態も吐きたくなるがそれがこの世界の法則なのだ。
唯一救いがあるとするならソレミニアが乗る電車は通勤ラッシュに巻き込まれないことだったのだがーー
ーー今日は何時もでは想像つかないほど混んでいた。
ああ、僕はこのまま人混みの中で押しつぶされて溺れ死ぬんだなぁ、と満員電車を初めて体験したソレミニアは、電車のドアのガラス部分に頰を押し付けながら、ぼんやりと思う。
頰に触れるガラス部分の冷たさが、暑い人混みに揉まれるソレミニアを嘲笑っているようだった。
電車が揺れ、人混みもそれに連動する。その影響でソレミニアは何度もドアに押し付けられ、「ひげぇっ!ふぎぃっ!あぅっ!」とコントじみた悲鳴を上げ続けけた。
ソレミニアの身体は小柄だ。150センチほどしかなく、体格もがっしりしているとは言えない。むしろ華奢で細い。
そんなソレミニアが満員電車で無事に過ごすことは至難の技だった。
例えそれが、大半が15から20前後のソレミニアと同じ学校の制服を着た若い男女で構成される、本場の満員電車よりは辛くないものだったとしても。
人圧に耐えきれずドアに細い身体が押し付けられ、息が詰まりそうになる。涙目をキュッと閉じ、先立つ不孝をお許しくださいと、思わず両親への遺書を考えそうになった。
ただし、どさくさに紛れて僕のお尻を触りまくってた奴、お前は死んでも許さない。
もうだめぇ....とソレミニアが崩れかけた頃、「すいません、ちょっといいですか。ごめんなさーい」と声が聞こえて、急にソレミニアの周りに空間ができた。それによってソレミニアはやっと壁際から解放された。
人圧が消え、まともに呼吸ができるようになる。ぷはぁっと肺に溜め込んだ息を吐き出すと、ソレミニアは疲れたようにへたりと座り込みそうになり、先ほどの声の主に身体を持ち上げられた。
「大丈夫かい、ミニア。ミニアだとこの人混みはつらいよね。周りが頭一個大きいし」
持ち上げられ立ち直ったソレミニアが後ろを振り向くと、実に爽やかな青年が壁となってソレミニアを人混みから守っていた。
「んだよ、んだよ!えへへ、助けてくれてありがと、シャルル。あのままだと僕きっと死んでたよ」
ソレミニアはその青年のことを知っていた。もう10年近い付き合いになる人物だった。
西洋系の青年で15歳にしては大人びている印象を受ける。身長は185ほどで引き締まった男子らしい身体つきだ。
艶やかなブロンドヘアと蒼い宝石のような瞳を備えた紳士的な笑顔は多くの女子を射止めたと言われている。俗に言うイケメン、美青年と呼ばれる人種だ。
そんな容姿に加え、学校の成績も抜群、性格も正義感が強くリーダー性も高かった。
そんな人物がソレミニアの親友『シャルル・オブリージュ』だった。
もし神がいるならば、天はシャルルに二物も三物も与えすぎだと、ソレミニアは思わずには言われなかった。
本人にそう言うと、「そんなことはないよ。僕は欠陥だらけさ。そんな優れた人間じゃない」と謙遜するし、元々性格の抜群にいいので、憎むに憎めなかった。
「ねぇなんで今日はこんなに人が多いのか、シャルルは知ってる?いつもはこんなに人居ないと思うんだけど」
シャルルのおかげで余裕の出てきたソレミニアは、シャルルの腕の中から見上げるようにして質問した。
「あれ、ミニアは読んでないのかい。学校からのメール。てっきりいつもより早い電車に乗っているから、メールを読んだのかと思ってたよ」
「僕、昨日自分の携帯端末を壊しちゃってメール自体は読んでないんだよ。今朝父さんから今日学校早く行けって言われたからこの電車に乗ってるんだ」
たはは...と乾いた笑いをして、ソレミニアは残念そうに首を竦める。「なるほど」とシャルルは納得したように頷いた。
電車が大きく揺れて、人混みがこちらに重圧をかけてくる。シャルルはドアに手をついてそれに耐え、ソレミニアが潰れないようにしていた。
ソレミニアが「ごめんね」というと、シャルルはなんでもないような顔で「これぐらい当然だよ」と笑うのだからずるいと思う。
「多分だけど、今日満員電車なのは学校で先行探索隊の説明会があって、それに参加するために今までコールドスリープされていた人たちがこの電車に乗ってきたからだと思うよ」
「じゃあここにいる人たちは全員歴代の探索科のエリートなの!?」
ソレミニアがわっと口を開けて驚くと、シャルルがふふっと笑って「だいたいが、だろうけど」とソレミニアの言葉を訂正した。
「ミニアがこの電車に乗ってるってことは、ミニアも探索隊に選ばれたのかな?」
「そぉーなんですよ!僕がだよ!あの僕が!夢みたいだよね!....あっごめんなさい」
自分が探索隊に選ばれたことを再確認して、思ったより大きな声ではしゃいでしまったソレミニアは、周囲の人に睨まれて、ペコペコと頭を周囲に下げた。
「ミニアは選ばれても変わんないね。昔から元気いっぱいだ」
「あんまり褒められてる気しないよ。むしろバカのしてるでしょ、シャルル?というかシャルルもこの電車に乗ってるってことは...?」
「うん、そうだよ。僕も探索隊の選ばれたんだ。選ばれるか結構心配だったんだけど選ばれて一安心だよ」
ははぁん、と心底納得したようにソレミニアは深く頷いた。
シャルルはソレミニアと同じ探索科を受講する学生だ。成績は常にトップを争うようなもので、歴代の成績を見ても、勝るとも劣らないレベルだった。
シャルルは選ばれて一安心と謙遜しているが、シャルルが選ばれなかったら他には誰も選ばれないよ、とソレミニアは常日頃から思っていた。
シャルルはそういった天才的な人間なのだ。
「まぁた、そういうこと言う。ほんと、シャルルの場合本心だから尚たちが悪いよ。はぁー。他に同学年で誰が選ばれたか知ってたりする?」
「全員は知らないけど、知り合いは確認してきたよ。エヴィにガレンにゾリアにシュタン....の4人だったかな?結構選ばれてたね」
「ほぇーすごい、知り合いから5人も先行探索隊員が出てるなんて、周りに自慢できるね!でもエヴィとゾリアは納得だけどシュタンも選ばれたのかぁ」
「ミニアも隊員なのに、変な感想だね。でも確かにシュタンは意外だよね。性格適性ダメだったはずだけど、裏技でも使ったのかな?」
「かもねー」とソレミニアはシャルルの冗談に賛成した。
「あ、ミニア、目的の駅に着いたみたいだ。ドア開くみたいだから離れたほうがいいみたいだよ」
シャルルはそう言ってソレミニアを電車の内側へと引き寄せた。
ソレミニアは意外と長い時間人混みに揉まれていたらしい。すでに電車に揺られ初めて1時間も経っているとは思ってもみなかった。
電車のドアが開き、車内に詰められた人が弾けるように、ドアから溢れ出した。
ドア付近にいたソレミニアは後ろから濁流のように流れ出した人に飲まれそうになり、再度苦笑したシャルルに助けられた。
人混みに攫われ逸れないようソレミニアがシャルルに手を引かれていると、駅を出たところで、人混みの中から見知った顔が近づいて来て声をかけてきた。
「おっはー、お熱いですねお二人さん。この後一体ドコでナニをするか知りたいなァ?」
「変なこと言ってるとぶっ飛ばすよ、シュタン。おはようガレン」
「おはよう、シャルルにミニア。シュタンは冗談を言ってないと死ぬ体質なんだ。すまん」
「俺は構わないよ。おはようシュタン、ガレン。ガレンも大変だね。シュタンに朝から付き合うのも楽じゃないだろうね」
声をかけてきたのは、先ほど話に出ていた友人の『シュタン・シュールレン』と『ガレン・ウォークロック』だった。
『シュタン・シュールレン』は15になる人間の男子だ。身長は170ほど、体格はひょろひょろしていて、芯がないようにも見えた。
癖っ毛の赤毛は彼の性格をよく表していた。常にニヤニヤしており、悪戯好き。
悪戯のためならシステムの合間を縫ったり、不正プログラムを用意することも厭わない程で、何度かキツイ罰則を食らっている悪ガキだ。
機転が利く事においては彼の右に出るものはいないので、そういう分野では成績がずば抜けてよかった。
ソレミニア自身シュタンと友人ではあったが、小さい頃に何度も馬鹿にされたので、あまりシュタンの事は好きではなかった。
喧嘩するほど仲がいいというので、実際は最も仲がいい人物なのかもしれ....ない。
『ガレン・ウォークロック』はその名の通り歩く巌のような人物だった。
歳は18。「力強く大柄」を家訓とした機人の血筋のため、身長は230センチ体重350キロという人型戦車とも言える体格の持ち主だった。
顔も未成年とは思えないほど皺を深く刻んだ渋い顔で、性格も冷静沈着だ。
正直、ソレミニアはガレンは年齢を詐称しているんじゃないかと、本気で疑っていた。
ストイックな一面も持つが、人付き合いはよく、面倒見もいいので、周囲からは頼れるお父さんとしてよく慕われている。教官からも頼られているから尋常でない慕われ方だった。
小話だが、ブラウンの髪を褒めると赤くなって恥ずかしがるのが印象的だ。
シュタンとは探索科で知り合ったらしく、家の方向も同じであって、とても仲がいい。シュタンの代わりに誤っていることが多く、周囲からはシュタンとコンビで受け入れられていた。
「エヴィとゾリアは人混みを避けるために先の電車に乗ったらしい。もう説明会場に着いたとのことだ。我々も行こう」
「そうだね。ほら、シュタン、ミニア、そんないがみ合ってないでいくよ」
ソレミニアが「ちび」だの「ひ弱」だのおちょくってくるシュタンと睨み合っていると、ガレンとシャルルはそう言ってすたすたと歩き出した。
ソレミニアはべぇーっとシュタンに舌を出して、ガレンたちの後を追った。シュタンも満足したのか、定位置のガレンの右隣に移動して、くだらない話をしながら歩いていた。
4人が並んで、学校内にある説明会場に向かう。
ガレンとシャルルが真面目な話をし、その周囲を回りながら啀み合うソレミニアとシュタンの姿は、もはや学校の風物詩だった。
書きだめもないのに書き上がった瞬間投稿する作者のクズ _( ´ ω `_)⌒)_
なんだ、ソレミニアがラブコメしているように見えるぞ...!?
ソレミニアは性別不明、ソレミニアは性別不明....男の娘でも僕っ子でもどっちでも取れるように意識しなければ....
というかソレミニアのポジションって普通ヒロインをやるところなんじゃ.....。ライバル役のシャルルが主人公ポジションにいる気がする......