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そらあい  作者: tkkosa
8/16

第7話


 その日は、一日中リビングにいた。彼の座る菜種色のソファに私も座り、彼の見る窓越

しの空色を私も見た。さっき、彼の見ていた長ったらしい雨雲は既に過ぎ去り、両端を一

つの視界に捉えきれるくらいの大きさの雨雲が後に後にと続いていた。その一つ一つが、

自分の方がたくさん雨粒を落とせるんだぞと競争してるみたいに雨を降らせてた。雨粒が

地上に打ちつける音が心地良かった。琴線に触れるように、不安でいっぱいになっていた

私の心を宥めてくれた。右隣にいる彼も私と同じだったらいいのに、と思った。雨が好き

で、雨の音が好きで、雨の匂いが好きで、そこに和みを見つけてくれていたら。

 気がつくと、空が黒くなっていた。黒雲の作り出す壁が障害になり、陽が西へといつの

まにか沈んでいたようだ。黒い空に浮かぶ黒い雲は雨成分を持ってなかった、雨はいつか

らかなくなった。それまであった雨粒の奏でる音色がなくなった。暗くて、雲々の流れて

く調子も見遣れなくなった。不変の景色、黒いリビングで黒い外界を無音の中で見続ける。

その時間が私の心を温めた、理由は分からない。黒い世界に包まれて、彼と2人 同じソフ

ァにいる。それがよかった、それだけでよかった。この時間が私の中に在り続けてくれた

ら、と心内で願った。恋人の腕に抱かれたような、羽毛布団にくるまれたような、そんな

安心感が私に及んだ。私はそこに身を委ねた、ここにいつまでもいたいと思った。

 瞼を閉じると、深海の世界が私を迎えてくれた。私は海中をなだらかな気分で歩いてい

た、海水の香りはこれでもかと私を清めてくれる。海底には彼の姿があった、彼はそこに

無作法に座っていた。このまま沈んでって彼のところに行きたいのだが、体はうまいこと

重力を加えてくれない。これが私と彼の距離なのか、彼はまだまだ私より深いところにい

た。手をかざしても気付いてくれない、手を伸ばしても届いてくれない。もどかしくてた

まらない、私より深いところにいる人に出会ったことがなかったから。私以上の場所へ沈

んでいく術を教えて、彼のところへ行きたいの。何の感情もなしに私のところから彼のと

ころへと泳いでく深海魚に妬みを知った。何が私に足りないのか、そんな思考を巡らせて

る自分自身にいらついた。


 喜色のうちに始まった夢世界は、反対の感情で私を現実世界へ押し戻した。瞼を開くと、

頭部の痛みが先にきた。どうやら、夢世界であれこれ考えすぎてしまったようだ。

 時計の針は6時過ぎをさしている。こんな早い時間に起きるなんて、行事ごとでもない

かぎり中々ない。何かの前兆を察したのだろうか、人はそういうときに不思議な力が降っ

てくるものだ。前兆・・・、嫌な予感がした。右隣を確認した、寝つく前にいた彼の姿が

そこにはなかった。どこかに移動したんだろう、そう思って探してみても誰もいなかった。

部屋中、どこを探しても人の気配すらなかった。最後に見たのが玄関だった、郵便受けを

開くと この部屋の鍵があった。彼はこの部屋を出て行き、鍵を閉めて それを郵便受けに

入れた、と考えるのが妥当だった。

 頭の中が空っぽになった、その後に身体の中も空っぽになった。何を思おうにも、私の

中の白世界がそれを邪魔した。変則的になる呼吸と自分自身を落ちつけた、事を進めるの

はそれからだ。胸に手をあてがって、何度と深呼吸を繰り返す。何かすごく大きな空洞を

隣に感じた。それは当然に彼自身であって、彼がいなくなったことでそこに穴が開いた。

それを埋めるには彼が必要だった、彼にいてもらわないといけなかった。まだ2日しか一

緒にいない彼が、私にとってそれだけの存在に拡がっていた。

”あなたが・・・あなたがいてくれないと・・・”

 気付いたら、部屋を飛び出していた。階段を駆け下りて、道という道を走り続けていた。

起きたままの服で、昨日着用してたままの服で、走っていた。


 こんなに全速力で駆けたのは高校の体育祭の徒競走以来だろう。スタミナの切れる速さ

に運動不足は否めなかった、それでも、それでもと走り続けた。自分がどんな顔をしてる

か、どんな髪型になってるか、周りの人たちの視線とか、そんな一切のことを考える余裕

はなかった。彼と繋がったはずの線を信じて、私は無我夢中になって駆けていた。昨日、

確かにあなたと紡いだその線をたやすく断ち切らせはしない。あのとき、あなたをほんの

少し分かってあげられた気がしたから。あなたの瞳に蠢く葛藤の片鱗に微小でも触れるこ

とができたから。私は卑屈な女だから、基礎的構造の組み込まれてる人たちよりもあなた

に近い場所にいたの。だから、あなたに、あなたそのものに掠る程度でもすることができ

た。ただ、それは私一人でできることじゃない。私は海中にいて、あなたは海底にいるわ

けだから。私が頑張ったところで、あなたがいる深さまではいけない。そこに壁があるみ

たいに行けないの、私はあくまで卑屈なだけだから。あなたみたいに奈落の底に突き落と

された経験がない、だから底までは沈めない。あなたが浮かんできてくれなきゃ、私たち

は近づくことはないの。私があなたに触れられたってことは、あなたも私に触れてきてく

れたってことでしょ。私が差し出した糸を、あなたがあなたの糸でもって紡いでくれた。

それが結ばれて、一つの線になった。あなたと私はそうして繋がった。

 彼を探すのは簡単なことだった、その線を辿っていけばいいだけだから。私からの糸が

通じてる方向へ進んでいけば、やがて彼に行き着く。私は走った、走って走りぬいた。


 糸のもう片方の先が通じていたのは、私の家から15分の駅だった。糸の先を見ると、

3番ホームに彼の姿を見つけることができた。彼を見つけることができ、私は顔が綻んだ。

そして、そのまま彼の乗った3番線、6時17分発の電車に飛び乗った。

 息をきらしながら彼に近寄っていく。私の姿を目にすると、彼は気持ち程度に驚いた表

情を見せた。扉付近に寄っかかってた彼は、私を見たまま何を言しようとはしない。私は

彼の近くにまたいれた喜悦感と逆作用の虚無感に苛まれていた。嬉しくて悲しい、そんな

心情。私の彼を見上げる視線にも、多分そんな心持ちが反映されていたと思う。

「・・・なんで?・・・」

 まだまばらだった周囲の乗客に配慮して小さな声で言を発する。大抵の乗客は眠りにつ

いていた、そうでない例外の乗客への配慮で。その分、会話が目立たないように彼と私の

距離は恋先同士くらいに縮まっていた。

「・・・なんで、何も言わないで行くの?・・・」

 私の身体内に今襲いかかってる逆作用の虚無感はそれによるものだった。彼が私に何の

しるしも示さず、去っていこうとしたこと。彼にとって、私の存在感がそれだけでしかな

かったということ。私の中で、あなたはもう大きなものになってしまってるのに。あなた

と私の相手への思いの円の拡がりの差、それがもどかしかった。

「・・・朝起きて、あなたがいないと身体の中がぽっかり空いたようになった・・・」

「・・・やりきれない気持ちでいっぱいになって、このままあなたと離れたくない、そん

なの無理だって思って・・・」

「・・・走ってた、思いっきり走ってた、あなたに届いてる道を・・・」

 彼は何を言うこともなく、私を見ていた。ちょっと下に落とした視線で私をその瞳にと

らえていた。話はそこで途切れた、彼の返答はないままに。それでもいい、彼からの言を

強制してるわけではないから。私は私の気持ちを告げる、そこで私の領域は終わる。その

先は彼の領域、彼による彼の世界。そこで何をしようと、どうしようと彼の勝手。私がそ

の独自地帯で何かをすることは、私の独り善がりになる。彼が話したくないなら話さない、

それでいい。


 私たちは向かい合ったまま、外界に流れていく景色を見遣っていた。建ち並ぶ家々、歩

を進める人々、ガスを排気する車たち、乱立するビル郡、あらゆる土筆坊たちが林立する

コンクリートジャングル、それらを包み込むように 纏い込むように 見守るようにいる薄

い灰色の空模様。それらが高速で流れ流れてくのを見ていた。一つ一つは粒でも、全てが

集まれば何か輝いてるようで薄汚れてるようにも見えた。何が輝いてるとか、何が汚れて

るとか、何が正解だとか、何が不正解だとか、そんなのは気にしなかった。それを知った

ところで、私には何一つ変えることはできない。輝きと汚れを変えることも、正解と不正

解を変えることも。これが人々の思う完成形の世界なのか、それなら私にはそこに絶望し

か見い出せない。こんなものが最上なのか、これ以上はもうないのか、と。絶望を目にし、

絶望の中で生きていかないといけないのか。そんな人生まっぴらごめんだ、そんなものと

はおさらばしてあげよう。私は私の紡いだ糸を信じる人生を選ぶ。その糸を手繰り寄せ、

糸先を確認し、そこにくるまれて眠る。それだけでいい、それが私の最上なのだから。今、

私の糸先にはあなたがいる。あなたの糸先に私がいるかは分からないけれど。私はあなた

と繋がる糸を手繰り寄せ、あなたを確認し、あなたにくるまれて眠りたい。あなたが望ん

でないとしても、私は望む。向かいにいる彼を見遣る、胸の内がグッと掴まれるように切

なかった。


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