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そらあい  作者: tkkosa
12/16

第11話


 彼の家は私の家から5kmほど離れた住宅街にあった。50代の両親、3歳上の兄と住

んでおり、父親は大きくないながら医療所の経営と医者をしていた。簡単に会社に置き換

えるなら、社長のポストである。母親は以前は看護婦だったらしい、父親が病院務めをし

ているときに出会ったそうだ。両親は結婚し、2人の子供を授かる。出来のいい弟、もっ

と出来のいい兄、兄弟を言い表すならこれがしっくりくるらしい。彼の兄は医大の大学院

生だった。将来的に父親の医療所に務め、そこを継ぐというエスカレーター式の未来が用

意されていた。彼も医大生で、継ぐことはないにしろ、父親の医療所に務める未来が自動

的にあった。

「・・・俺はそれが嫌に思うときがあった、敷かれたレールに乗るだけの人生が・・・」

「・・・父親のことは尊敬していたよ、数えきれないほどの人たちの傷口を治してきたん

だから・・・」

「・・・それに俺も子供の頃から事あるごとに父親の御世話になってたから、その凄さは

身をもって体感していた・・・」

 私は彼の話を真剣に聞いていた。彼の私を見る瞳は素っ気ないものだったが、私は彼の

瞳を真っ直ぐに見ていた。

「・・・じゃあ、両親が亡くなったときの悲しさったらないよね・・・」

 それは彼の淋しそうな瞳を見てれば分かる、私でなくとも誰でも。自分の親が何者かに

よって殺されるなんて考えもしたことがない。そんなこと、考えることが親不孝のような

気がするし、そんな一片の期待も要しない考えなんてするだけ無駄だと思う。しかし、彼

にはそれが例外でなく降り起こった。きっと、抑えきれない衝動、大波を打つ鼓動、行き

場もなくさまよう思考に駆られ、どうしようもなくやりきれない怒りを身に沁みさせてい

たことだろう。彼は何も返さなかった、そのまま己の話を進める。


「・・・兄貴はよくできた人間だった、苛立ちを覚えるくらいに・・・」

 彼の兄は子供の頃から両親の慈愛をたっぷりに受けて育った。父親が個人として医療所

を立ち上げようと動き始めた頃の出来事だったので、早くも跡取りができたと両親は手を

上げて喜んだ。彼が生まれたときも同じだった、このときはまだ。兄は両親から注がれる

愛情に応え、感受性豊かに育ち、幼少から勉学に面白味を覚えて励み、その歩いていく道

が周囲の期待と同化しているのは誰の目にも明らかだった。優しく真面目、成績優秀で運

動能力も長けて、周りからの人気も高い、非の打ち所のない人物だった。ただ彼は違った、

彼は兄のように要領よく物事をこなせる人間じゃなかった。優しく真面目、成績優秀で運

動能力も長けて、周りからの人気も高い、彼もそう育った。周囲からの信頼を一心に受け、

それに応える兄を尊敬し、自分もそうありたいと頑張った。でも、彼はどれを取っても兄

に及ばなかった。性格も、成績も、運動も、人気も、彼より兄の方が勝っていた。年齢の

差といってしまえば終わりだが、そうは思えなかった。

「・・・周りがこぞったように言うんだ、まだまだ兄貴には及ばないって、兄貴のように

なれって・・・」

 彼はそれが悔しかった。彼はクラスで1番の優等生だった。なのに、その頑張りを褒め

てくれる人はいなかった。こんなに頑張ってるのに、兄に及ばない、兄になれない、そん

な否定的な言葉を掛けられるのが嫌で仕方なかった。小学生の純粋な子供だ、褒められれ

ば嬉しいし、そうでなければ悔しい。彼を取り巻く環境は次第に、淀みはじめる。


 彼は苛立ちを覚えるようになった、両親に、兄に、周囲に。中学受験をし、兄と同じ私

立の名門中学に入学し、彼はそこでもひたすら勉学に励んだ。結果は、学年で2位という

見事なものだった。それでも、彼は認められなかった。

「・・・兄貴が学年で1位だったから、もっと頑張れって言われたよ・・・」

 彼の兄からは慰めの言葉をいつも掛けられていたが、心的にひねくれていた彼はそれを

素直に受け入れることができなかった。うっとうしい、周りの人間をそう思い始めた。親

の敷いたレールを歩き、兄と同じ勉学に勤しみ、自分だけ評価を受けない、そんな日々に

嫌気がさした。

 このころから、彼は定期的に盗みをするようになった。彼の盗みはバレなかった、彼も

十分以上に頭がよかったから。高校では県下トップの進学校に進むが、成績は学年の15

番あたりに落ち着くようになる。それでも私からすれば手の届かない秀才だ、しかし彼の

環境では違う。彼の兄は同じ高校で学年3位以内を守り、医大に合格して単身上京した。

兄がいなくなって僅かでも呪縛が解けたような心持ちがあったが、父親から掛けられる言

葉は毎度勉学に関するものだった。勉強してるのか、もうすぐ試験だろ、大学はどうする

んだ、とか。

「・・・もう、うんざりだった・・・自分の耳を潰したくなったこともある・・・」

 彼も兄とは違う医大に合格して、上京をした。そこには、彼に纏わりつくものない、彼

には天国のような世界があった。彼はそこで明るさを取り戻した、友人たちと何気ないこ

とで喜び合える感覚が何より嬉しかった。


 そんな折だった、思いもよらなかった訃報が届いたのは。それは彼の兄の交通事故死を

報せる電話だった。大学院の飲み会に出席し、友人の車で家に送ってもらう際、対向車線

に進んだ車は反対から来た小型トラックと正面衝突、彼の兄の車に乗っていた3人が全員

かえらぬ人となった。

「・・・飲酒運転、それも浴びるほど飲み明かした後で・・・ある意味、自業自得と思え

た・・・」

 両親は泣きくれて、親族の誰もが彼の兄の死を悲しんだ。彼自身も悲しみはあった、ど

こに出しても誇れる兄ではあったから。

 それから1週間、彼は実家で過ごした。兄の死によって、これまで他人事と思っていた

跡取りが自分になる。兄の代わりにはなれないが、自分なりに目を向けていかないといけ

なかった。

「・・・それも無理になった、全て崩れていった・・・」

 彼はその日に盗みをした、兄の死でいろいろ蠢いていた感情の捌け口として。街角の古

ぼけた書店で一冊の文庫本を盗った。久方ぶりで勘が鈍っていたらしい、店員に見つかっ

て警察に突き出されてしまうことになった。彼の母親は泣いた、父親は怒号といえるほど

の説教を受けた。兄の死による悲しみをぶつけるように、彼にあらゆる言葉を送りつけた。

お前なんか息子じゃない、お前は最低な人間だ、お前に跡継ぎなどしてほしくない、と。

「・・・その中でも1番許せない言葉がきた、俺は兄貴の代わりになんかなれないって・・・」

「・・・俺は兄貴の代わりなんかじゃない、兄貴の代役をするために生きてくわけじゃな

い・・・」

 彼の言葉は少しずつ荒げていく、その先にある信じがたい結末へ向けて。


 彼の感情は振り切れた、父親からの吐き捨てるような台詞に。

「・・・俺は父親に詰め寄った、俺をいつも兄貴の二番煎じとしか見てなかっただろ、俺

は俺で 兄貴じゃない、と・・・」

「・・・父親はひるまないで怒号を続けた、そんなもの俺にはもう入ってこなくなるまで・・・」

 私はずっと黙ったまま聞いていた、知らぬうちに涙が溢れるくらい流れてた。一つ、二

つ、流れ落ちる雫が私の膝のあたりに沁みていた。

「・・・そこから感情のバロメーターが振り切れて、記憶がなくなった・・・」

「・・・気がついたら、血だらけで倒れてる父親と母親がいた・・・」

「えっ?」

 思わず声が出て、心臓が一瞬止まった。そこから急速に脈を打ちだして、過去にない速

度で伸縮をしていた。止まらない涙を流し続けながら彼を見る、何かを恐れるような瞳で

彼も私を見ていた。

「・・・真っ赤に染まってたんんだ・・・俺の両手と握っていた包丁が・・・」

 鳥肌が立って、寒気が全身を覆いこむ。唇を噛んで、その先は聞きたくない本心を抑え

こんで訊ねた。

「・・・じゃあ・・・あなたが?・・・」

 3秒ほど無の世界があった、私と彼が見つめ合い、それ以外に何もない世界。言わない

で、お願いだから、そう心内で手を合わせた。

「・・・俺が殺した・・・」

 心臓が止まった、実際止まってはないけれど、そんなくらいの衝撃だった。そんなはず

はない、そう自分に言い聞かせるようにしつづけた。でも、涙腺は正直に頬を伝う。これ

までのぽろりぽろり程度じゃなく、ぼろぼろ滝のように流れていく。そんな私の心身不安

定を彼は一目で分かったはずだった。彼はそれでもと言を続ける、ちゃんと最後まで説明

しなければと説くように。

「・・・刺した瞬間の記憶はないけど、父親の心臓部と母親の腹部に刺し傷があった・・・」

「・・・手が震えた、体が震えた、身を抱えこんで叫んだ、我を忘れるくらいに泣いた・・・」

 それが紛れもなく、彼にとっての父親と母親であり、それを自分が刺し殺したという現

実。それまで経験したことのない悪寒に襲われ、それは彼の身体ごと包みこんだ。

「・・・何もかもが怖くなって、その場から逃げた・・・雨の中、とにかく走り続けた・・・」

「・・・そして、走り疲れて倒れこんだ・・・絶望の中で、ただ雨に打たれていた・・・」

 それが彼を初めて目にした、あの駅前の光景だった。絶望の淵で身を縮めていた彼を私

が見つけた。その淋しさに駆られた瞳に自分と似た何かを映して共感を抱いた。

 でも、そんなの全然違った。私の淋しさなんてちっぽけで、彼のものには比較の対象に

もならない。彼をそこまで追いつめた19年間に虚無感が押し寄せ、私のこれまでの何で

もない19年間が無性に悔しくなった。掌の皮が切れるぐらいに握り締めて、畳にむやみ

やたらに叩きつけていた。これ以上に赤くならないほどに、両手の横っ側を赤くした。私

は泣いていた、どこまで続くんだと懸念するくらい涙は次から次にと流れた。水化された

私の身体の水分から搾り出すように身体中のあちこちの水を瞳にもってった。

「・・・なんで・・・なんで・・・」

 囁く程度の声量、彼になんとか届くほどの涙声だった。

「・・・なんで、親を殺しちゃうのよ・・・」

 彼の両腕をがっちり掴んで、無造作に揺すった。

「・・・たった2人だけの親じゃないのよ!・・・なんで、失くしちゃうのよ!・・・」

 声を張り上げて言った、それでも普通程度の声量ぐらいだったと思う。彼の瞳は私を真

っ直ぐ見ていた、私もそれに負けないくらい強く彼を見ていた。分かってる、私なんかに

そんなこと言われたくないってことは。今も家族全員が健康で何不自由のない生活を送っ

てきている私なんかに。家族を失った悲しさ、それは他ではない彼自身が1番に負ってい

る。


 彼は私と瞳を見合わせたまま、言を続けた。

「・・・昨日、お前の家に来た刑事・・・」

 私の家に来た刑事、あの顔の恐い50代前半の男といかつい体格をした30代後半の男

のことか。私に行方不明中という彼のことを聞き込みに来た。

 あの人たちがどうしたの、と小さい声で聞いた。

「・・・行方不明中の俺のことを聞いてきたんだろ・・・」

 そうよ、あなたを知らないかって。

「・・・それは、おそらく違うと思う・・・」

 えっ、どういうこと?

「・・・行方不明の俺を探してるんじゃない・・・」

 じゃあ、何を?

「・・・殺人犯の俺を探してるんだ・・・」

 ・・・どういうことなの?

 大体のことは頭の内で整理できたけど聞いた、頭内の己の回答を正解にしたくなかった

から。

「・・・あいつらは最初から俺を犯人と絞り込んでる・・・」

「・・・俺を探し出し、見つけ次第に逮捕する・・・」

 指名手配犯、警察は彼をそう捉えてる。


「・・・嫌よ・・・そんなの・・・」

 彼に近づき、左の掌を彼の右頬に添えた。

「・・・だって・・・」

 右の掌も続くように彼の左頬に添える、涙で充満していた彼の瞼の雫を拭った。

「・・・だって・・・もう・・・」」

 涙の雫が一粒、伸ばしている左腕に落ちる。

「・・・私・・・もう・・・」

 もう一粒、彼の両足に触れている右腿に落ちる。

「・・・あなたのことが好きになってるのよ・・・」

 掠れるくらいに小さな声音だった、もうそんな些細なことの理由は分からない。ほとん

ど感情のままに動いていた、理論や正論や倫理なんかクソ喰らえに思えた。身体が素直に

涙を流す、言葉を発する、部位を動かす。そこに何のマニュアルもない、私たちは操り人

形じゃない。

「・・・あなたが捕まったら、私はどうなるのよ・・・」

「・・・私のこの気持ち、どうなっちゃうのよ・・・」

 彼の瞳に変化はなかった、驚きもせずに私をただ切ない瞳で見ている。彼の頬に添えて

いた掌は脱力したように下がっていく。彼の肩、胸、脇、足、と通って。真っ暗闇の部屋

に、私の泣く音だけが響いてく。鼻の啜る音、泣き声、それが交互に伝っていく。彼は何

の音もたてず、私に返答をした。

「・・・俺はじきに捕まる、だから・・・」

「・・・だから?・・・だから、何よ?・・・」

 問い詰めるように彼に言い放った。

「・・・だから、俺を好きにならないでくれ・・・」

「・・・好きになるなって、何よ・・・」

 彼に言い捨てるように、自分に言い聞かせるように言っていた。

「・・・もう、好きになってるって言ったじゃないのよ!・・・」

「・・・たとえ・・・あなたが人を殺してても・・・」

 その瞬間、私は強い力で引き寄せられた。彼の両腕に包まれて、抱き締められていた。

それ以上は言うな、そう言われてるように。温かかった、そこが彼の中にある明るみのよ

うに。その温もりに委ねて、彼の背に両手を回して私は泣きじゃくった。自分の中にある

わだかまりの全てを解き出すように彼を抱き締めて泣いた。


 こんなに泣いたのは生まれて初めてだった。泣ききると、自分の身体内の水分を根こそ

ぎ出したような乾いた感覚があった。水をください、潤いをください、浅せた私の身体が

そう叫ぶ。艶の補充、退色した色味の復化、それを求めて私は自然と瞼を閉じた。

 夢の世界、水深の世界でもって私は己に水分を補給させていく。そこでは、私とあなた

の手ががっちり繋がれていた。私はあなたを求めていたし、あなたも私の気持ちを受け止

めてくれた。私たちの繋がりを遮るものは何もない、この世界においては。いっそ、この

ままこの水深の世界に居続けられたらと思う。このまま現実世界に戻らなければ、私と彼

の手は一つになったままでいられる。せっかく一つになれたのに、また二つになりたくな

んかない。この世界には私とあなたの2人しかいないし、それ以外の人はいらない。どこ

までも広がる海原の中、私たちは唯一の海洋人間として生きるの。2人で海底を歩いて探

検しましょう、海底生物やごみとか見つけるの。2人で海中を泳いで渡りましょう、この

海と一体化したように心地良く水泳できるわ。2人で海上の景色を眺めましょう、昼はか

んかん照りの下でアクアブルーの爽快な情景、夕暮れは遥か向こうにオレンジの太陽と茜

空の情緒的な情景、夜はひんやり涼みながら紺の空に浮かぶ満天の星の情景を見つめるの。

ねぇ、きっと楽しい毎日になると思わない?それに、私はあなたの深い部分をよく知らな

い。これから、あなたのことをいっぱい教えて。もう、教えることなんか何もなくなるま

で私の耳にあなたのことを届けて。もう、あなたは何も苦しまないで。


5日ほど風邪をひいていましたが回復。

ただ、今日の寒さは少しこたえますね。。

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