第9話
12時19分、終着駅で降車すると久方ぶりの外界の空気を大きく吸い込む。背伸びを
して、両手をいっぱいに広げて この身に迎え入れた空気は雨味が含まれて少し甘ったるい
ようにも感じた。数百kmは移動したにもかかわらず、天候は4時間前となんら変わりの
ない小雨を若干強めにしたほどの雨足が続いている。あれだけの距離と時間を要しても変
更のない空色に、自分の思ってるよりこの国は案外小さいものなんだなと思わされた。そ
んな私の心的感覚なんか気にすることもせず、彼はホームをすっすと進んでいく。私はそ
の彼の後姿を追っていく、ここも4時間前と変化はない。彼が歩を進めれば私もそうする、
彼がエスカレーターに乗れば私もそうする。その反復運動を当然のようにしてると、彼は
新幹線のチケット売り場に行き着く。そこでチケットを購入する、私もそれに続く。どう
やら、また新幹線で移動するようだ。
ただ黙々と歩を進める彼に食事を提案する、私は正直もうお腹がペコペコだった。彼の
返答は一言だった、いいけど、と。1日ぶりに耳にする彼の声、ちょっと低くて重度のあ
る声色。心内に温かみが生じる、私にとってその声は心地良いものになっていた。レスト
ランに入るだけの時間は余してなかったので、売店で駅弁や飲み物を買った。それを手に
提げて、既にホームに接するように着いていた新幹線はやてに乗車する。彼はまた何を言
することもなく、窓側の席に座る、自動的に私は通路側の席に座る。12時56分、北へ
と向けて新幹線はスピードを上げていった。
13時を跨ぐころ、乗客も列車の醸しだす加速度に慣れてくると 私たちは購入した駅弁
を食する。私は幕の内弁当、定番だ。彼はカレー、カレーが好きだったのかと私は変な納
得感を胸にする。それなら昨日の夕食はカレーにしておけばよかった、と今さら意味のな
い考えも胸にする。そして、それが私の胸の内をキュッと締めた。彼のいろんなことを知
りたいと思った、私の知らない彼のことを。
私は思い切って切り出すことに決めた、彼自身のことを聞いていくことを。彼の心内に
触れるような質問は避け、その周辺に浮かんでる部分を拾い上げていくように。
「ねぇ」
らしくないぐらい明るめにポップに開口した、彼はカレーの乗った備え付けのプラスチ
ックのスプーンを口に含みながらこちらを見る。
「カレー、好きなんだ?」
らしくないぐらいの微笑みで言った、言った後に口をクッと噤む自分が恋する乙女のよ
うな純情な心持ちでむず痒かった。
「・・・あぁ・・・」
私の質問から5秒ほど経ってから彼の返答が来た。よかった、質問すれば返してくれる
ようだ。
「私も好きだよ、ポークが特に、あなたは?」
また、5秒ほどの間が空く。この微妙な間隔が私にしたらめったらに緊張をいざなう。
原因不明の痒みを背中にもよおしてるような嫌な感覚だ。
「・・・別に、何でも・・・」
何でも好きなのか、チキンも、ポークも、ココナッツも、タイも、キーマも、グリーン
も、何でも。じゃあ、次に彼に料理をふるまうときには、特製のチキンカレーを作ってあ
げよう。料理学校に通ってる友人から伝授してもらった、スパイスの効いた逸品に彼も舌
を巻くはずだ。そしたら、彼は思わず「美味しい」なんて、らしくないことを口走ってし
まうはず。私は自然と顔がほころんでた、にやけてるという表現の方が近いだろう。ふと
我にかえると、己の普遍的部分からかなり遠方まで飛んでる自分の意識に恥ずかしくなっ
た。彼がこの話題に関心がないように窓の外を見遣ってるのが逆に助けとなった。学校で
片想い中の友人たちの変形されたような顔形を思い起こす。私は今、あんな至極油断しき
った顔になってるのだろうか。いけない、いけない、自己の世界に入り込んじゃ。私の身
体内は華やいでいても、彼との現実世界では空白が続いてるだけだ。
何を聞こうかと悩むと、実際どこに手をつければいいか迷う。冷静になって頭内をリセ
ットしてみる。こんなときは考えすぎず、手元の近くから順に手をつけていけばいい。カ
ードはいくらでも浮かんでる、時間もいくらでもある、焦ってはいけない。目線を落とす、
最初に目に入ったカードを引いてみる。
「いくつ?」
こんなとき、思いもよらぬ言葉を思い出すものだ。今、私に降りてきた言葉は、人にも
のを聞くときは自分のことから話す、というフレーズだった。
「あっ、私は19ね」
そう言い足した。
「・・・同じ・・・」
同じ、彼と同い年だったのか。この際、彼が早生まれかどうかで学年の上下が変わるだ
とかは気にしなかった。同い年という共通項が見つかったことが嬉しく、折角はまった鎖
を早生まれかどうかで外す結果にはしたくなかった。
「19なんだ、じゃあ一緒だ」
歯まで見せてにこつく自分に羞恥心が全開になりそうだった。でも、そんな自分を見せ
てもいいんじゃないかと思えた。多分、思考が麻痺してると思う。今はそうなろう、曲が
りくねってはいるけど流れに身を任せよう。恥ずかしければ恥ずかしくなればいい、頭が
おかしくなってしまえばいい。そんなことより、今こうやって彼と会話をしてることが何
より嬉しいことなんだから。
私は3時間、神経が振り切れそうになるくらいに頑張った。彼にいろんな質問を投げ掛
けた。どういう服が好きか、何のスポーツが好きか、霊能って信じるか、どんなテレビ番
組を見るか、どういう女の子が趣味か、などなど。なるべく、合間が空きすぎないように
次から次へと質問した。彼の傷口に触れるようなものだけは避けて。
さすがに、1時間も過ぎてくると浮遊してたカードも空っぽになった。どうしようかと
悩んだ結果、私は矛先を自分に向けた。それから2時間弱、私は己の人生遍歴を語り続け
た。親から聞いた幼児時代、遠い記憶の幼少時代、手に取るように思い起こせる学生時代。
それぞれの大まかな歴史や事件や失敗談をほじくるように掘り起こして話し続ける。
彼は私の人生や今の頑張りにそれほどの興味は示さない。景色に目を向けたり、私を見
てくれたり。前提として置かれたように、彼の顔色に変化はない。友人なら大笑いしてく
れるような話でも彼の口元は緩まない。そんなの御構い無しに、私は言を続けた。何の興
味も湧かないのなら、私の話などうるさいだけとはね返されるはずだ。彼は何も言わなか
った、嫌そうな顔もしなかった、私にはそれで十分だった。なんだかんだで彼もちゃんと
耳に入れて、頭の片隅にでも私の話を入れてくれてるのなら。私は彼のことをいろいろ聞
けたし、彼にも私のことをいろいろ伝えられた。私は大いに満足してた、口元は終始ほこ
ろんでいた。




