episode6 扶美
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私がずっと住んでいるこの県営団地には、小さい頃から一緒に過ごして来た幼なじみが私を含めて6人いる。
幼い頃から人の感情が敏感に感じてとれる私は、肉親でさえも時には接するのが怖くていつも怯えていた。ただ一人……私が安心して接することが出来たのは、幼なじみのあずさだけ。あずさの感情はいつも穏やかで柔らかくてとても心地が良かった。
だから、ずっとずっと私はあずさのことが大好きだった。
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ほんの少し前までは、あずさがいないと誰とも話せず怯えてばかりいて何も一人では出来ないと思っていた。
ところが、中学3年の2学期の期末テストの後、隣に住んでる幼なじみの和希に一人では怠けてしまうから、冬休みの間だけでも受験勉強を一緒にしてくれと頼み込まれてしまった。
最初は嫌々だったけど、和希の部屋で一緒に勉強をしているうちにあずさといる時みたいに私が和希と笑ったり、ふざけたり出来るようになっていたことに私自身が一番驚いていた。
「扶美は少し人の感情に敏感なんだよな?」
「うん。小さい頃からね。怖いくらい周りの人の感情を感じてしまうから、外に出るのが怖かったんだよね」
「やっぱ、あずさだけは特別なの?」
高校入試の前日に和希の部屋で最後の追い込みをしている時に何を思ったのか? 和希が私の顔をジッと見つめてから、疑問に思いながらも追求せずにいたことを私に再度確認するように質問していた。
「そうだね。あずさは初めて会った時から、すごく心地が良かったの」
「そうなんだ。……さすが、あずさだね」
「あ、でも……。今は、和希も怖くないよ。あずさと同じくらい一緒にいて心地良い」
その時に私が和希に正直な気持ちを伝えると、和希は照れくさそうに少し頬を赤らめて私を見て笑っていた。
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高校入試が終わって、無事に6人同じ高校に受かった時はすっごく和希は喜んでいた。私たちが受験した高校は、県内ではそこそこ有名な進学校だったので人並みに勉強が出来るだけじゃ、やはり和希もかなり不安だったみたい。もちろん、担任の先生からお墨付きをもらっていた私でも、かなり不安だったしね。
「なあ、扶美。皆には一緒に勉強してたこと内緒にしないか?」
「そうね。私も元々、誰にも話すつもりもないから良いよ♪」
「でさ? お礼と言っちゃなんなんだけどさ、あずさに言えないことや頼れないことがあったら、オレに言えよ!!」
「うん。そうする。ありがとね。和希」
こうして、私と和希は二人で共通の秘密を共有することでいつしかお互いの信頼を深めていた。
私の両親はというと、父さんは2年前から関西に単身赴任中で母さんは総合病院の看護士をしていて、人手不足だとかで夜勤が多い。和希の両親も似たようなもので、おじさんは東北に単身赴任中でおばさんは小さな居酒屋を営んでいるので家に帰るのは真夜中が多い。
だから、夜にこっそり私と和希が一緒に受験勉強をしていたなんて、お互いの親たちは想像もしていなかったに違いない。
それに……。こんな家庭環境なので、私の姉はしょっちゅう彼氏と外泊してるし、和希の兄さんも深夜のバイトで家にはほとんどいなかった。
もしかしたら、和希は自分と良く似たこんな私の家の事情を知っていて、一緒に受験勉強をしようと頼み込んで来たのかもしれない。
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和希と話せるようになって、少しは成長したように思えた私だったんだけど、やっぱり高校へ通うようになっても周りの感情がダイレクトに流れ込んで来るのには耐え切れなくて、昼休みにはあずさの所へ逃げ込んでいた。
「扶美。また何かあったの? いじめられたりしてるんじゃないでしょうね?」
「だいじょうぶだよ。みんな優しい。でも、あずさがいないのが寂しくって……」
「いつまでも子供みたいなこと言ってちゃダメでしょ? ずっと一緒にはいられないんだからね?」
「うん。……わかってる」
あずさは優しいから、本当に私のことを心配して叱ってくれる。そして、叱ったあとも私の話をゆっくりと聞いてくれて笑顔で答えてくれるから、午後からも私は頑張ることが出来た。
少しずつ、少しずつ流れ込んでくる色んな感情を一人で受け流せるように私も成長しなければと、あずさに叱られるたびに自分でも自分に言い聞かせていた。
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私にとって大きな転機が訪れることになったのは、理子が徹生に15回目の失恋をしたことがきっかけだった。
私はどうしても理子を悲しみの淵から救ってあげたかった。それと同時に、ずっと中2の夏から理子を好きでいる啓五のことも理子に知っておいて欲しかった。
余計なことをするなと啓五は激怒するだろうか? でも、今の理子を優しく包み込めるのは啓五しかいない……。
結局、私は悩んだ挙句にあずさのところへは相談に行かずに和希の教室に訪れていた。
「どうしたの? また、あずさに言えないことなのか?」
「だって、あずさが頼ってちゃだめって言うから……」
「あずさは、扶美に大人になってもらいたいんだろうね。確かに、社会に出たらあずさには頼れないからね」
「そんなの。わかってるよ!」
和希に少し耳の痛いことを言われてしまって私が膨れっ面をして見せると、和希は優しく私の頭を撫でて笑っていた。
「ほらほら、そんなに怒らないでよ! 家に帰ったら話を聞いてあげるからさ」
「本当? 帰ったら部屋に行っても良いの?」
「ああ。良いよ♪ 今日は出来るだけ早く帰るから、先に部屋で待っててよ」
「わかった。じゃあ、掃除しておいてあげるわ♪」
知らない誰かが聞いたら恋人同士の会話にしか聞こえないようなやり取りを和希の教室の前でしていたから、和希の取り巻きの女子たちの嫉妬や怒りの感情が頭に流れ込んで来てかなり怖かった。けれども、私は気付いていない振りをして和希に手を振って自分の教室へ急いで戻った。
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放課後、先に家に帰った私は母さんに頼まれている洗濯物を取り込んで綺麗に畳んで片付けておいた。どうやら、今日も母さんは夜勤らしくてテーブルの上にメモと一万円札が置いてあった。これが、今週の私の食費だ。少しでも母さんの負担を減らすために、私が自分の食べることくらいは自分ですると、中学に入学してすぐに母さんに提案して決めたことだ。
私は自分の財布にお金を仕舞うと、冷蔵庫の中にあるものを確認してから今日は、昨日炊いたご飯の残りと、冷蔵庫にある野菜やベーコンでリゾットを作ることにした。
どうせ、姉さんは彼氏の所だろうから晩御飯なんて、家で食べないだろうしね。
シャワーを浴びて汗を流して部屋着に着替えた私は、晩御飯の下ごしらえを済ませるといつもの様にベランダから和希の部屋へ入って和希の帰りを待っている間に散らかったままの和希の服や雑誌を片付けておくことにした。
親たちは全然気付いていないみたいだけど、二人で勉強をすると決めた日に和希がベランダの壁を簡単に外せるようにしてしまっていたから、いつでも私と和希は自由にベランダから部屋を行ったり来たりしていた。
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いつもなら、暗くなってから帰ってくる和希なんだけど。
この日はどういうわけか? どこかウキウキした表情で、まだ外が明るいうちに帰って来た。
「ただいまー!」
「あれ? 和希? ほんとに今日は、早かったんだね?」
「まあね。あんな面白いもん見ちゃったらさ、早く帰って扶美に話したくなっちゃってさ~!」
「???」
和希の帰りが早かったことに驚いている私を和希はクスクスと笑いながら、ベッドで和希の枕を抱いている私の横に腰掛けて和希は更に話を続けた。
「徹生がバイトしてたんだ。駅前の居酒屋でさ。金貯めるために始めたらしい。あいつさ、本気で家を出る気でいるのかもな!」
「そっか。徹生、親に愛想つかしちゃったんだろうね。おじさんとおばさん、ケンカばっかりだから」
「しゃーねーよ! 親は選べねえからさ」
「だね。あとは、徹生次第だね!」
徹生がとうとう自立を目指して、バイトを始めたことを和希から聞いて、私は徹生の気持ちが少しでも早くあずさに届くことを願っていた。
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自分の話が終わると、すぐに和希は私の顔を覗き込んで来て私の話を聞く態勢に入っていた。
「それで? 扶美の話は何だったの?」
「ああ。理子が徹生にまた、振られちゃったみたい。だから、啓五に教えてあげようか悩んでるんだけど。どう思う?」
「教えてやれば? 啓五にとっては、最初で最後のチャンスだろ?」
「じゃあ、明日の放課後に話してみるよ」
和希に背中を押してもらえた私は、なんだかすごくスッキリして明日どんなふうに啓五に理子のことを話そうかと、ワクワクしながら考えているその時だった。
「なあ、扶美? お前はどうなの?」
「何が?」
「だから、お前は好きなやつ……いないのか?」
「さぁ、どうなんだろうね~♪」
突然、真剣な表情で和希が私に好きな人はいないのかと聞いて来たので、必死に笑顔を作りながら内心では自分でも自分にどうなのか問い詰めている状況だった。
さっきまでとは、ガラリと部屋の空気が変わって何だかすごく緊張した空気が張り詰めていた。私はわざと和希の枕を放り投げて何も無かったかのように部屋の片づけを続けることにした。
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私が和希に背を向けて片づけを始めても、和希から伝わってくる緊張して張り詰めた感情は変わらなかった。
「なあ、扶美。今日さ、露出度高すぎなんだけど? それってヤバくね?」
「何がヤバいの?」
「だからさ、生足にノーブラ! オレも一応、男だからさ~! しかも、思春期真っ盛りだぜ?」
「あ、やだ! ごめんなさい!」
和希がさっきから緊張していた理由を和希の口から赤裸々に聞いてしまった私は多分、耳の先まで真っ赤になって恥ずかしくてその場にしゃがみ込んでしまった。
しゃがみ込んで動けなくなっている私を見て、和希は苦笑しながらも自分のカーディガンを優しく後ろからかけてくれていた。その時に流れ込んできた和希の感情がとても温かくて、私は自分の本当の気持ちに気付いてしまった。
「和希のこういうところが、すっごく好きだよ!」
「お前がまだまだ、お子ちゃまだからオレは何もしないだけだよ!」
「紳士ぶっちゃって! 本当はエッチなことを考えてた癖に!(笑)」
「べつに紳士ぶってないよ! 好きなものは、一番最後にとっておくのがオレの主義なんだよ♪ だから、今日の所は何もしないでおいてやるよ!」
目の前にいる和希のことがたまらなく愛おしく感じた私は、なりふり構わず思い切り和希に抱きついていた。
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私に抱きつかれて、和希の心臓は飛び出しそうな位に激しく波打っていた。それでも、和希は必死に理性を保とうと強がりを言って笑っていた。自分でもどうしてそうしてしまったのか? 流れ込んでくる和希の感情に酔ってしまったとしか言い様が無いんだけれど……。
私は話し終えた和希の膝に腰掛けて、そのまま和希の唇に自分の唇をそっと重ねていた。
「おいっ!! 扶美!?」
「……ファーストキス♪ 和希としたかったんだもん!」
「そりゃないぜ~!! ずっとオレは我慢してたのに! 反則じゃね?」
「でも、私のこと……好きでしょ?」
さすがに和希もこの展開にはかなり動揺してしまったみたいで、わけのわからないことを喚き散らしていたので、私はもう一度和希にキスして和希の唇を塞いでしまった。
すると、今度は和希に火がついてしまってそのまま私のことをベッドに押し倒すと、何度も何度も和希は激しく唇を重ねてきたので、私もその行為がすごく心地よくて……そのまま和希に身を委ねてしまっていた。
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思春期真っ盛り……和希と私はその言葉通りにお互いの親の帰りが遅いことも知っていたので、さらに勢いが止まらなくなってしまっていた。お互いが我に返ったのは和希の部屋にある掛け時計の示す時刻が夜の11時を回った頃だった。
「ごめん。扶美……。オレってやつは、付き合う前に一線を越えてどうするんだよ……。大丈夫か? 本当に良かったのか? オレなんかでさ!」
「良いの。和希で……」
「どうなるかわかんないけど、大学卒業してお互いに気持ちが変わらなかったら、結婚すっか?」
「うん。気持ちが変わらなかったらね!」
汚してしまったシーツを私が片付けていると、和希が私の背中を優しく抱きしめて私の気持ちを確認していた。お互いの気持ちがどうなるかはわからなかったけど、私と和希は大学を卒業したら結婚すると約束をしてこのことは他の誰にも話さないことをお互いに誓っていた。
そして、この日を境に私の人見知りは軽減されていってクラスの女子とも普通に休み時間を過ごせるようになっていった。
運命の糸に手繰り寄せられるように、理子と啓五。そして、あずさと徹生もいつの間にか想いが通じ合ったようで、付き合うようになっていた。
そして、私と和希は大学卒業を目前にして私が和希の子を妊娠したことで、予定はガラリと変わってしまった。結局、身内と友人だけで簡単な結婚式を済ませて、私たちは無事に結婚することが出来た。
もちろん、あずさも徹生も理子も啓五もすっごく驚いてくれていたので私も和希もその反応にとっても満足だった。
【END】