episode4 徹生
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まだオレが小さかった頃。夏休みに幼なじみ6人で、家族も一緒に皆で揃って海へ行ったことがあった。幼かったオレは、あの幸せな時間がずっと続くものなんだと信じて疑いもしなかった。
6人の中であずさは口煩い女だけど、誰よりも優しくてしっかり者で大人たちからの信頼も厚かった。身近にいる誰かに何かがあると、自分のことは二の次にしてその問題を解決するために協力を惜しまなかった。たとえ何も出来なくても側にいて支えになる。そんなあずさのことが、物心ついた頃からずっとオレは好きだった。そう、心から好きだったんだ。
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オレが中3の冬休みに眠れなくてベッドで目を開けて天井をジッと眺めていると、リビングの方から両親が言い争っている声が聞こえて来て、気になってオレが部屋のドアに張り付いて、聞き耳を立てていると何か陶器が割れる音が聞こえた後に母さんが父さんを罵倒する声がハッキリと聞こえてきた。
「知らなかったとでも思ってるの!? あなたが会社の若い女に入れ込んでること!!」
「止せよ!! もう、夜中だぞ? そんな大声で怒鳴るなよ!!」
「うるさい!! うるさい!! 許さないんだから!! あなたのことも、あの女のことも!!」
「止せと言ってるだろ!! この馬鹿!!」
話の内容は父さんの浮気に我慢しきれなくなった母さんが父さんを問い詰めて、責めている最中だったようだ。母さんが、あんまり大声で叫びまくって半狂乱になっているものだから、我慢しきれなくなった父さんは母さんに手を上げてすぐに家を出て行ってしまったようで、その後はずっと母さんのすすり泣く声が聞こえていたのを昨日のことのように憶えている。
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あの日からことあるごとに母さんは父さんの顔を見ると酷く罵るようになって、父さんもそんな母さんといるのが我慢し切れなくなったのか? 帰宅しない日が多くなっていった。
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「徹生? あのね。今日、時間あるかな?」
「何だ? 今じゃダメなのか? オレ、今日はバイトの面接があるんだ」
「えっ!? 徹生、バイトするの?」
「ああ。父さんと母さんが離婚したら、オレはいつでも家を出て自立出来るようにしておきたいからな!」
昨日、ムシャクシャしてて3年の奴らと揉めてる所をあずさに助けられて、バツが悪いので少し真面目に朝の待ち合わせ場所へ行ったら、即効で理子に捕まってしまった。オレのどこがそんなに好きなのか? 理子はずっと子猫のように小さい頃から、どんなにオレが冷たく突き放しても気にせずオレに纏わり付いてくる。
「なあ……理子。……もう、オレのことは良いから。他の男を少しは見てみろ! オレなんかよりもずっと良い男が沢山いるだろ?」
「やだ!! どうして? どうして私じゃダメなの? そんなこと言うなら、徹生だっていい加減ハッキリしたら? ずっとあずさを好きなくせに!!」
「うるせえ!! あずさは関係ねえ!!」
「嘘よ!! 徹生は怖いんだよ! あずさに気持ちを伝えるのが怖いだけじゃない!! もういい! わかった! やめる。もう本当に徹生のことは今日限りで好きでも何でもないわ!!」
これで何度目だろう? また、理子を泣かせてしまった。いつも出来るだけ泣かれないようにと言葉を選んでいるつもりなのに。最後には結局、理子を泣かせてしまっている。
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そして、二週間が過ぎようとしていた。あの日から、本当に理子はオレに纏わりついて来なくなっていた。バイトも決まったので、オレはとにかく今は、父さんや母さんに頼らず生きていけるように早く自立したいとそのことばかり考えていた。
バイトが終わって、家に帰ろうといつもの公園を通るとあずさがおばさんとコンビニ袋を提げて家に帰るところに鉢合わせになった。
「徹生? あれ? もしかして、バイト始めたの?」
「まあな。駅前の『とり吉』って居酒屋。そろそろ二週間になる」
「てっちゃん、偉いね~。あずさなんてまだまだお子ちゃまだから、学校と両立出来そうにないからってバイトはしないんだって~!」
「母さん!! 余計なこと言わないでよ! ね、少し徹生と話したいから、先に帰っててよ!」
「はいはい!」
時間が時間だったから、あずさはオレがバイトの帰りだとすぐに察したようだった。おばさんが、いつもの様にあずさを子ども扱いして笑うもんだから、あずさは膨れっ面をしてみせておばさんに先に家に帰るようにと、コンビニ袋を手渡しておばさんの背中を押していた。
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おばさんの姿が遠ざかるとあずさはオレの手を掴んで公園のベンチに引っ張って行って、ニッコリ笑って座れと言ったのでオレは言われた通りに腰掛けた。
「それで? おじさんとおばさんはどうなの?」
「あああ。今は……別居するみたいだ。オレが高校卒業してから、離婚するらしい」
「大丈夫?」
「ああ。意外とハッキリ決まっちまったらどうでも良くなった」
あずさは、心配そうにオレの顔を覗き込んで両手でオレの拳を握り締めていた。
「この間、礼二さんに言われたんだ。男なんだから、さっさと自立すれば良いじゃねえかって! 何かそう言われて目が覚めたんだ。高校入ったんだから、バイトすりゃ良いんだってな!」
「さすが礼二さんね。それに徹生もえらいと思う。知らない間に徹生も大人になっちゃってたんだね」
バイトを始めたきっかけが礼二さんだと話してやると、あずさは嬉しそうに笑ってから急に寂しげな表情をしてみせた。
「何だ? どうした? そんな顔して……」
「なんかね。皆、いつの間にか大人になってるんだなって思うと少し寂しくなっちゃってね。やっぱり、ずーっとこのままではいられないんだよね」
「お前が一番大人なんじゃねえのか?」
「そんなことないよ。私が一番あの頃から成長してないのかもしれない」
子供の頃とは同じではいられない年頃になって、あずさが一番寂しさや戸惑いを感じていたようで、オレを見つめるあずさの二つの瞳には薄っすらと涙が浮かんでいた。
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目の前で好きな女に涙で瞳をうるうるさせて見つめられて、さすがのオレも我慢しきれなくなって、あずさの腕を掴んで抱き寄せて力いっぱい抱きしめていた。
「オレはそんなお前がずっと好きだ。ずっと変わらない」
「徹生……。ありがとう」
「だから、ずっとオレの側にいて欲しい。あずさにずっと……」
オレがあずさを抱きしめて、オレの気持ちを伝え終わる前にあずさは、いきなり顔を上げてオレの言葉をさえぎるように顔を近づけて来てオレの唇を自分の唇で塞いでしまっていた。
「ちょっと待て!? おい! あずさ?」
「私のファーストキスなんだからね!」
「だから、こういうのは普通は男からってのが……」
男としてのプライドを傷つけられたオレがあずさに文句を言おうとすると、煩いと言わんばかりにまたあずさはオレの唇を塞いでしまった。
「どっちだって良いでしょ? 男が先でも女が先でも!! 徹生がさっさとしないから悪いんじゃない!」
「おまっ!! それはちょっと言いすぎだろ? オレはオレでそれだけお前のことが大切だから、お前の気持ちを確認した上でそういうことはしないとって思って……あーーーーー! もう!! 何言ってるかわかんねえー!!」
「ふふふふふっ♪」
「笑うな!!」
結局はムードも何もあったものでは無くなってしまって、オレはあずさといつもの調子であれこれ話をした後で、あずさを部屋まで送り届けてから家に帰った。
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そして一ヵ月後。あれから変わったことと言えば、あずさがオレのバイトが終わる頃にオレの部屋の前に来て、オレが帰るのを待っていてくれる。最初はあずさが勝手に待っていてくれたんだけど、あまり女を一人で待たせたくなかったので、家に着く前にメッセージを送るようにオレが気を利かせたら、たまにあずさは下まで降りてくるようになっていた。
「おかえりー!! お疲れ様~♪」
「ただいま。マジ、今日は疲れた!! へへへ」
そして、オレとあずさは非常階段の陰に入って抱き合ってキスをする。思春期真っ盛りってやつだな。それでも、オレは必死に理性を保ってそれ以上の行為に踏み込んでいない。正直、勢い付いたあずさの感情にばかり流されていることに、オレはかなり戸惑いを感じていたんだ。
「なあ、あずさ?」
「何? どうしたの?」
「あんまり、変わるなよな!」
「どういう意味よ!? ねえ? 徹生?」
ずっと小さい頃から好きだったあずさが、オレとキスを重ねるたびにどこかへ消えてしまいそうで少し胸が苦しかった。
それでも……。オレはあずさのことが好きだから、きっとこの先もこんな風に大人の女に成長して行くあずさに小さい頃のあずさを重ねながら、ずっとオレはあずさと一緒にいるのだろう。ずっと一緒に……。