episode1 あずさ
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私の家は県営の小さな団地の中にあって、幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた同級生の幼なじみが私を含めて6人いる。
この不景気な世の中では、大人たちも家を購入して団地を出ることを半ば諦めているのか? ずっとこの良心的な家賃で住める県営住宅に根っこを生やしてくれていたことで、私たち6人は幼稚園から高校まで離れ離れになることもなく月日を共に送っていた。
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「あずさ! おはよう~」
「おはよう! 理子、扶美」
「啓五は朝練だよね? 和希はまた、寝坊かな?」
「先に行ってていいんじゃない? 徹生はどうせ来るかどうかもわかんないしね~」
いつも待ち合わせてる公園のベンチで理子と扶美と合流して、3人仲良く並んで学校へと向かっていた。啓五は小学生の頃から続けているバスケの朝練だと聞いていたし、和希は低血圧で朝が弱いので今日も寝坊してきっと遅刻だろう。徹生は最近、何かを理由に荒れているようなので私は距離をおいて様子を見ている状態だった。
「徹生。荒れてるみたいだね? 昨日も3年の男子とケンカしてたみたいだよ?」
「なんかね。徹生の両親が揉めてるみたいでね。もしかしたらうちみたいに離婚しちゃうかもしれないんだって」
「だからって、あんな風にわざと自分を傷つけるようなことをして良いわけじゃないでしょ?」
「たしかにね。あずさ、少し徹生に説教してやったら?」
最近…ずっと荒れている徹生を理子が気にして私に説教してやれと言って来たから、私は考えておくと苦笑しながら返事をしておいた。
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高一になって、クラスが見事にバラバラになってしまった私たちは中学の頃と違って、少しずつだけどお互いに距離をおけるようになっていた。私はもともと、一人でも何の不安も感じずに行動が出来たので困っていることは無いんだけど。人見知りの激しい扶美は私との距離をおくことに苦労しているようで、さすがに昼休みになると泣きそうな顔をしていつも私の教室の前で待っている。
「扶美。また何かあったの? いじめられたりしてるんじゃないでしょうね?」
「だいじょぶだよ。みんな優しい。でも、あずさがいないのが寂しくって……」
「いつまでも子供みたいなこと言ってちゃダメでしょ? ずっと一緒にはいられないんだからね?」
「うん。……わかってる」
私の教室で一緒にお弁当を食べながら私は扶美にいつもの様に、いつまでも私を頼っていてはいけないと諭していた。
「おい。松井! 西谷が来てるぞ!」
「え!? 啓五? あ。ほんとだ。扶美、一緒に来る?」
昼食を終えて、空になったお弁当箱を私が鞄にしまって扶美を教室まで送って行こうと思っていたら、啓五が来たので扶美に一緒に来るかとたずねたら首を横に振って苦笑していた。
「じゃ、放課後。一緒に帰ろうね」
「うん。ありがとう。あずさ」
教室を出る時に扶美は啓五をちらっと横目で見てから、小走りで自分の教室へ戻って行った。
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啓五はそんな扶美の後姿を目で追いながら、ケラケラと笑っていた。
「相変わらず扶美は人見知りが激しそうだな」
「まあね。それでもだいぶ進歩したのよ。扶美は扶美なりに努力してるからね」
「そっか。扶美も頑張ってるんだな。……あのさ、あずさ。今日の放課後あいてねえか? 話があるんだ」
「今日の放課後? 今じゃダメなの? 別にたいした予定は無いから良いけど…」
あらたまってゆっくり話がしたいんだと啓五は苦笑して、放課後駅前にあるファミレスで待っているからと、言い残して自分の教室へ帰って行った。
「松井さんって、西谷と中学から付き合ってるの?」
「はっ!? ないない! 付き合ってないよ!」
「え!? そうなの? 付き合ってるのかと思ってたよ」
「啓五と私は、ただの幼なじみってやつよ!」
同じクラスの男子に啓五と付き合ってるのかと聞かれて、私は慌てて否定してから席についた。
私たち6人のことを知らない他の中学出身の生徒には、私と啓五が付き合っているように見えるらしい。啓五は何かあるとすぐに私の教室へ来て話し込んでいたから、そういう風に見られても不思議では無いのかもしれないけど。正直、面倒くさい。中学の頃も良く徹生と付き合ってるとか、啓五とできてるだとか色々うわさされてたから慣れてはいるんだけど。ほんと、男と女ってだけで、いちいち面倒くさいのよね。
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放課後。私が教室を出ようとしていると、扶美が教室の前で先に待っていてくれた。私は啓五との約束を扶美に話して、途中まで一緒に帰ることにした。理子はクラスの仲良くなった女子と寄り道するらしくてそのことを扶美に伝言していた。
「別にスマホ使って連絡してくれて良いのに。わざわざ扶美の教室まで来て伝言するなんて、理子らしいね」
「理子。もう、いっぱい友達出来たみたい。すごく楽しそうだったよ」
「扶美も人見知りばかりしてちゃダメだからね。きっと、扶美のことわかってくれるクラスメイトがいるはずだからね。拒否ってばかりじゃダメだよ? わかった?」
「あ。うん。たしかに、副委員長がすっごく世話焼いてくれてるかも……。仲良くなれるようにがんばるよ」
扶美はどこか寂しそうな表情で私の話に頷いていた。幼い頃から人見知りの激しかった扶美が何故だか私には心を許してくれていた。幼稚園の頃なんて、他の子が隣の席にいたら固まって何も出来なくなるので扶美の席の隣はずっと私だった。小学校も中学校も扶美はずっと私の側にいた。高校になってやっと少しずつ扶美自身が変わろうと努力を始めていた。
「大丈夫? ここから一人で帰れる? 無理なら一緒に来ても良いんだからね?」
「大丈夫だよ。一人で帰れるよ。それじゃ、また明日ね」
「うん。扶美。気をつけてね。また明日ね」
駅前のファミレスの前で、扶美と別れて私が店の中へ入ろうとした時だった。店の駐車場の奥の方から、聞き覚えのある怒鳴り声が聞こえて来たので、私は店に入らずに立ち止まって声のする方に向かって聞き耳を立てていた。
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「うるせえな! ねえもんはねえっつってんだろ?」
「やかましい! この間の落とし前つけろっつってんだ! 早く財布出せよ!」
私が恐る恐る…声のするほうを駐車場に止めてある車の陰から覗いてみると、徹生が4人の上級生に絡まれている最中だった。
私は慌てて店の中を見渡して、啓五がいないか確認したけど…まだ来ていないようだったので、仕方なく私は近くの交番へ行って友人が絡まれていると言って助けを求めた。
おまわりさんを連れて私が戻ると、徹生がちょうど4人と殴り合いになっていて、二人のおまわりさんが二人の上級生を押さえ込んであっという間に拘束してしまっていた。他の二人はとても逃げ足が速くて、おまわりさんの姿を見てすぐに仲間を見捨てて逃げ出してしまったようだった。
「徹生! 大丈夫?」
「何で、お前がおまわりなんて連れてきてんだよ? バッカじゃねえの?」
「こらこら、可愛い彼女さんが必死で助けてくれたのに、礼も言えないのかい?」
「うるせえ! こいつは、彼女なんかじゃねえよ!」
おまわりさんに私を彼女と勘違いされた徹生は、私の気のせいかもしれないけど、少し顔を赤くしておまわりさんに私が彼女じゃないと否定していた。
「おーい! あずさ! ん? おまわりさん? えっ!? 徹生もか!? どうしたんだ? 徹生ー!! 何かまたやらかしたのか?」
「あ。啓五! 遅いよー!! 徹生がね、上級生に絡まれてたから私が助けてあげたの。そうよね? 徹生♪」
「うるせえ! お前はもうしゃべるな!」
店の前で啓五が私と徹生を見つけて、おまわりさんまでいるから驚いて声をあげていた。私が簡単に事情を説明するとニヤニヤしながら、徹生に啓五は「やっぱ、あずさにはお前も頭が上がらねえようだな♪」と背中をバシバシ叩いて笑っていた。
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結局、徹生の事情聴取に私も啓五も付き合って手続きの関係で保護者に引き取りに来て貰わないといけないと言われて、徹生が黙ったまま動かなくなってしまったので、仕方なく啓五がお兄さんの礼二さんに連絡して交番まで迎えに来てもらった。
「徹生も色々あんだろうけど、程ほどにしとけよ?」
「あ。……すんません。ありがとうございました」
「マジ? 徹生。何で礼二さんにはそんなに素直なの?」
「焼かない焼かない。(笑)オレと徹生はそれだけ深い仲なの♪」
快く迎えに来てくれた礼二さんに対して、徹生は昔の徹生のままで素直に礼二さんに頭を下げて謝っていた。
「ほんとに、少し焼ける!! 私も礼二さんとなら深い仲になりたい!」
「嬉しいことを言ってくれるね。あずさちゃん。ありがとう~」
「おいおい、あずさ! こんな遊び人と深い仲になったら泣かされるだけだぞ! こいつの今の彼女もいつまで続くことやら…」
「うるせえぞ! お前は黙ってろ!」
礼二さんは啓五のお尻に一発後ろから蹴りを入れて、私の肩を抱いて楽しそうに笑っていた。礼二さんは啓五の二番目のお兄さんで8歳年上の消防士。頭も良いし、性格も優しくてイケメンだから小学生の頃からモテモテでいつも女の子に囲まれていた。実は私も幼稚園の頃からずっと礼二さんに恋心を抱いている。
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徹生のことでこんな風に時間をとられてしまって、肝心な啓五の話をゆっくり聞くことが出来なかったことが、私は少し気がかりだった。……一体、何の話だったんだろう。きっと、重要なことなら明日にでもまた、話してくれるはずなんだけど。結局、徹生のせいで色々なことが気になってしまって、私は朝までちっとも眠れなかった。
翌朝。寝不足の目を擦りながら、少し早めに家を出ようとしていたら、家の前で啓五がすでに待っていた。やっぱり、啓五も話が出来なかったことを気にしていたようだ。扶美と理子と待ち合わせをしている公園までなら二人きりで話せるので、啓五は朝練をサボって私を待っていたんだと少し照れくさそうに髪をかきあげて笑っていた。
「あのさ。理子って、今も徹生が好きなのかな?」
「理子? どうかな? 最近、そういう話をしないからわかんないけど。気になるの?……それとなく理子に聞いてみようか?」
「……良いのか?」
「うん。良いよ♪ 今日中に聞いておいてあげる」
中学の時に色気付いた啓五が、密かに理子に思いを寄せていたことに私はずっと気付いていたけど、私は一切口には出さなかった。啓五も何も言わなかったし、行動にも移さなかったしね。
啓五もあの頃は、理子が徹生をずっと好きだったことを知っていたので、思いを打ち明けようなんて思わなかったんだろう。
そう言えば……あの頃。徹生は理子のことをどう思っていたんだろう?
話を終えた啓五が先に学校へ行って少し朝練に出ると言ったので、私は啓五と放課後にまた、あのファミレスで落ち合う約束をして公園の少し手前から走って行く啓五を見送った。
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やっぱりいつもより家を出た時間が早かったみたいで、理子も扶美もまだ公園には来ていなかった。後ろから、徹生の声がして振り返ろうとした瞬間。普段から少し貧血気味の私は睡眠不足のせいだったのか?……急にめまいを起こしてその場にしゃがみ込んでしまった。
「おい、あずさ? 大丈夫か?」
「あ、徹生? 今日は早いんだね? たぶん大丈夫。いつもの貧血だから……」
「お前すげえ顔色悪いぞ! 家に戻るか?」
「ダメダメ! 今日は英語の課題を提出しなきゃだし、委員会も昼休みにあるから……それに……」
珍しく待ち合わせ場所に現れた徹生の肩を借りて、私は立ち上がってベンチに座って、めまいが治まるのを両手で顔を覆ってジッと待っていた。徹生はそんな私の横に黙って座ると、私の顔を心配そうに覗き込んでいた。
「あの、徹生……。顔、顔が近い!」
「あっ!? ああ、わりぃー!!」
めまいが治まって顔を上げて横を向いたら、すぐ目の前に徹生の顔があって、あと少しでお互いの唇が触れてしまいそうだったので、私は徹生を軽く突き飛ばして立ち上がって徹生から離れた。
「おはよー!! あれ? 今日は徹生もいる~!! さては、あずさにお説教されたんでしょ? フフフ♪」
「おはよー。あずさちゃん。何だか顔が青いよ? 大丈夫?」
いつもの時間に理子と扶美が来て、理子は徹生を見つけて嬉しそうに徹生の腕に自分の腕を絡ませて歩き出した。扶美は、すぐに私が貧血を起こしたことに気がついたようで、すごく心配そうな顔で私を見つめていた。
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私は心配そうにしている扶美にひと言大丈夫とだけ答えて、扶美と並んで歩きながら前を歩く理子と徹生を見てピンと来ていた。
「やっぱり、理子はまだ、今でも徹生が好きなんだね」
「そうだね。理子……。ずっと徹生のこと好きなんだね」
理子に直接聞くまでもなく、私にも扶美にも理子がいまでも徹生のことが好きで好きで仕方がない。という気持ちが、徹生と一緒にいる理子からひしひしと伝わっていた。
「啓五……落ち込むだろうな……」
「そうだね。ずっと中学の頃から理子を見てたもんね」
「??? 扶美も気付いてたんだ!」
「まあね♪」
色恋に全く興味が無いと思っていた扶美が、中学の頃から啓五の気持ちに気付いていたのには少し驚かされたけれども、ジッと皆のことをいつでも客観的に見ている扶美が、啓五や理子の気持ちに気付いていても不思議では無かったのだ。
「でも……。徹生が好きなのは理子じゃないよね」
「えっ!? そうなの? 扶美にはわかるの?」
「わかるよ♪ ずっと小さい頃から、皆を見て来たからね」
扶美はクスクスと声を漏らして笑いながら、「これが青春ってやつだよ♪」と少し目を細めて前を歩く理子と徹生を見つめていた。
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放課後。死刑宣告をするような心境で、私は啓五と待ち合わせているファミレスに向かっていた。重い足取りで私がファミレスの入り口までの階段を上ろうとしていると、背後から和希が私を呼び止める声が聞こえてゆっくり振り向くと、取り巻きの女子を4人ほど引き連れた和希がニッコリと微笑んで手を振っていた。
「あずさ~!! 誰かと待ち合わせかい?」
「あ、うん。啓五とね。ちょっと……」
「啓五が来るの? じゃあ、オレもあずさと一緒にファミレスに入っちゃおうかな?」
「「「えーーーーーー!! 和希くん、一緒にカラオケ行くって言ったじゃない!!」」」
私が和希に聞かれて啓五と待ち合わせていることを正直に答えると、和希は面白そうに笑って階段を上がってこようとしたんだけれど、和希の取り巻きたちは和希の両腕をしっかりと掴んで離さなかった。
「和希~! カラオケに行っておいで! 一緒に来ても別に何も面白いこと無いから!」
「そうなのー? 残念だなぁー!! じゃあ、今度はオレも誘ってよね~♪」
「ハイハイ! いってらっしゃ~い!!」
敵意剥き出しの和希の取り巻きたちの視線をスルーして、私は出来るだけ自然に笑顔を作って和希に向かって手を振っていた。
「和希も和希で、大変そうだな!!」
「あ、啓五!?」
店の中から私を見つけて啓五が入り口まで迎えに来て、女子たちに引きずられながら、カラオケBOXのある隣のビルに消えていく和希の様子を眺めて、啓五は苦笑していた。
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あらためて席に着いて啓五と向かい合った私は、理子のことをどう伝えようかと言葉がなかなか見つからなくて、話すことをためらっていると啓五は小さくため息を吐いて頷いていた。
「やっぱ、まだ理子のやつ徹生のことが好きなんだな?」
「ごめんね。理子に直接聞いたわけではないんだけど、今朝あれから徹生が公園に来て一緒に登校したんだわ……」
「ああ。理子から徹生大好きオーラが出てたんだな?」
「そういうことになるのかな……私と扶美のことなんて眼中に無かったしね。今朝の理子」
朝の理子と徹生の様子を私が話すと、啓五は少し泣きそうな顔をしながら笑っていた。
「それで? 諦めちゃうの?」
「いや……。もう少し待つ……かな?」
「一途ね。啓五も……」
「お前に言われたかねえけどな! ……兄貴。また、彼女と別れたみたいだぜ! お前こそ諦めんのか?」
話の矛先をいつの間にか私のほうに向けられて、焦ってもう少しでアイスティーを噴出してしまうところだった。
「啓五! 今日は啓五の話をしてるんだから、勝手に私の話にすり替えないでよ!!」
「だけど、今がチャンスなんだぜ? 告るなら今しかねえって弟のオレが言ってやってるんだぜ?」
「良いの。私の礼二さんへの気持ちは多分、そういうのじゃないから……。告るとかそういうのは良いの……」
小さい頃から私が礼二さんを慕っていたことを知っている啓五は、影ながらずっと私を応援してくれていたんだった。
「私さ、一人っ子だからね。礼二さんみたいな優しくってカッコイイお兄さんに……憧れてたんじゃないかな? なんてね。つい、この間なんだけどね? 自分の本当の気持ちに気付いちゃったの」
「なんだよ? 本当の気持ちって?」
「今は何とも言えない。まだ、自分でも良くわからないの。ごめんね?」
「良いんじゃね? それだけあずさも成長してるってことなんじゃねえのかな? オレはちっとも成長してねえけど」
この後は啓五の優しさからなのか? 小さかった頃の話なんかを啓五が始めてくれたので、気まずい思いをすることも無くファミレスを出てからも、肩を並べて冗談を言い合って笑いながら一緒に帰ることが出来た。
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あれから一週間。特に何も変わったことも無いまま私は過ごしていた。少し、気になることと言えば、理子が何だか元気が無いことと徹生が急に大人しくなったこと。二人の間で何かあったのかも知れないけれど、あえて私はそのことには触れないようにしていた。していたんだけどね……。
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「ねえ……あずさ。今日の放課後少し話せるかな?」
「どうしたの? 何かあらたまっちゃって……愛の告白? 理子なら私はいつでもOKだよ♪」
「ちょっとね。どうしてもあずさに聞いておいて欲しいことがあるからさ。良いかな?」
「良いよ! わかった。放課後だね?」
昼休みに扶美と教室でお弁当を食べていると、理子が思い詰めたような顔をしてやって来て、放課後二人きりで話がしたいと扶美のことをチラッと見てから私の返事を待っているので、私は冗談を交えて答えながら理子の申し出を了解した。
「今日は、私は先に帰るね。そのほうが良さそうだから」
「ごめんね。落ち着いたら、きっと扶美にも話すからね」
「大丈夫だよ。そんな顔しないでよ!」
いつもなら、こんな時は困ったような顔をして黙ってこちらの様子を伺っているはずの扶美が何故かケロッと明るく自分からそう言って、バツの悪そうな顔をしている理子の肩を優しくポンポンっと叩いてニッコリと笑っていた。
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そして、放課後……。理子と学校を出て、駅前の小さな喫茶店に入って話を聞くことにした。この喫茶店には、あまり私たちのような学生は出入りしていないのでゆっくりと話が出来るんじゃないかと扶美が気を利かせてこっそり私に教えてくれた場所だった。
「それで? 理子の話って何なの?」
「相変わらず、あずさはせっかちだよね。まあ、そういうハッキリした所が私は好きなんだけどね♪」
「ああ。ごめん。もう少し気を使わなくっちゃと思ってはいるんだけど、ついつい理子や扶美には甘えが出ちゃうんだよね」
お店の一番奥にポツンとある二人がけのテーブル席に座って、アイスティーを2つ注文してすぐに私が本題に入ろうとしたら、理子がクスクスと笑ってほんの少し悪態吐いてから、話を始めた。
「私さ、徹生にね。……また、振られちゃったの。これで、15回目の失恋」
「15回!? そんなに告ってたの!?」
「うん。笑っちゃうでしょ? 振られるたんびにもう忘れよう。終わりにしようって思ってるのにね。ほんと、嫌になっちゃうよ」
「笑うわけないでしょ? 笑えるわけないよ……」
薄っすらと目に涙を浮かべて苦笑している理子に私は鞄の中からポケットティッシュを取り出してそっと渡して、理子にどう言葉をかけて良いのかがわからなくて、二人の間にしばらく気まずい沈黙が続いた。
「でね。あずさ……。あずさは徹生のことどう思う?」
「どうして? 徹生はただの幼なじみだよ!」
「本当に? ほんのちょっとでも徹生のこと好きって思ったりドキッとしたこととか無い?」
「そんなこと。徹生に対して……考えたこと無いと思う」
沈黙の後に突然、理子は私の顔をジッと見つめて徹生のことをどう思ってるか問いただして来たので、またアイスティーを噴出しそうになるのをこらえて徹生はただの幼なじみだと、少し強い口調で理子に答えていた。
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「徹生ね。あずさのことをずっと好きなの……。ずっと、ずーっと小さい頃から好きなんだよ?……気付かなかった?」
「嘘っ!? ないない!! それは、ないよ!」
「そう思ってるのは、あずさだけだよ!」
「……。マジ……な……のね?」
理子は徹生に何度も拒絶されたことよりも、ずっと何も言わずに煮え切らないでいる徹生にしびれを切らしてしまっていたようで、私に徹生の気持ちを全部ぶちまけてしまっていた。
「理子……。ごめんね。全然知らなかったよ。私って鈍いからね」
「そうだよ! あずさは鈍すぎだよ! あずさなら……あずさになら私は良いと思ってる。他の誰かは嫌なの……」
「ちょっと、ちょっと待って! 早急過ぎるよ!」
「だって……。もう、徹生……ボロボロなんだもん。あずさ、徹生を助けてあげてよ……」
少し感情的になった理子が、瞳からポロポロと涙を流しながら徹生の気持ちに応えてやってくれと私に頼んで来たので、私は理子に落ち着くようにと宥めて一度大きく深呼吸をしてから、今まで誰にも話したことの無い私の思いを理子に話すことにした。
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「私はね。ずっと礼二さんが、好きだったんだ」
「礼二さん!? 本当に? 全然気付かなかったよ!」
「だろうね。たぶん、啓五しか知らないと思う」
「告ったの?」
私がずっと小さい頃から、啓五のお兄さんの礼二さんに恋心を抱いていたことを初めて理子に告白して笑うと、理子はすごく驚いてその思いを伝えたのかと問い詰めて来た。
「告白する前にこの気持ちが恋では無くて、憧れなんだってことに気付いちゃったんだよね。へへへ」
「憧れ? 恋じゃなくて? どうして?」
「理子や啓五みたいに胸が苦しくなったり、思いを伝えたいって思わなかったし、この間ね、礼二さんに肩を抱かれても何とも無かったんだよね」
「あらら。あずさ……ちょいドライ過ぎ?」
だんだんと私の話を続けている内に、理子に笑顔が戻っていた。
「でね。今は、何ていうか……このままでいたいなぁーって思ってるんだよね。大人になっても、ずっとこのままでいられたらなぁーって……そんなこと無理なのは、わかってるんだけど変わらずにいたいなぁーって思ってんのよ!」
「あずさらしいね。うんうん。あずさらしい♪」
「まあ、どうなるかなんてわかんないけどね」
「そうだね。ああー! 私も少しは徹生以外の男を見よう!」
私の話を聞き終えた頃には理子もスッキリと何かを吹っ切れた様子で、今度こそ徹生のことは忘れてやるんだと笑っていた。
そして私も、礼二さんの話を理子に打ち明けたことで今度こそ本当の恋を誰かとしたいと強く思えるようになっていた。