番外編―2 『うつつのゆめ(前)』
※まあ、つまり、夢の話です。
■うつつのゆめ (前)
今が夢ではないと誰が言えよう
――見えていたものすべてが現でないと知ったのは、北条腹の兄が亡くなった後だった。
それまでの尊氏は、優しい父と美しい母、よく笑う二つ下の弟に囲まれ、おそらく人が望める限りの穏やかな日々を過ごしていた。
(思えばあれが人生で、最初で最後の穏やかな日々だった)
尊氏の母、清子は上杉氏から嫁いできた。
上杉氏は京の公家出身で、六代将軍宗尊親王に従って鎌倉に下り御家人となった。
尊氏は、北条から嫁いできた父の正妻を見たことはない。
(十九で亡くなった異母兄の姿も)
北条から来た母も、子を失った心労から体をこわし、やがて、実感のないまま亡くなったという報せを受け取った。
同時期に。二人とも。
(ただそこに何かの意図を感じたことはない。足利は、北条の姫を無碍に扱えない立場だった。上辺だけであっても)
十三で、一気に舞台に上げられたものの、尊氏、直義兄弟には、以前から当主たるべき教育は行われていた。
異母兄に何かあった時の替えなら、尊氏一人で良かったかもしれないが、歳が殆ど離れておらず……
(なにより直義は賢かった)
体も俊敏で、周囲の大人、特に母、清子の兄、上杉憲房が気に入って目を掛けていた。
兄弟はほぼ一緒に鍛え、学んだ。
当主であった貞氏は、次期当主を尊氏と定めた後も、直義を他家へ出さない旨を広言した。
(置文の期限が迫っていた)
貞氏や筆頭執事、高師重は尊氏の代で北条との戦になると踏んでいた。
血筋的にも、能力的にも、戦力になりそうな直義の存在は、その思い込みを強固にした。
(対外的には、特に北条家には、足利総領家の豊かさを印象づけるように手を尽くした)
足利が支配する荘園は国中にあり、広大で、兄弟で財を分けたとて十分であると。
それを証明するかのように、尊氏の元服式は派手に執り行い、贅を尽くしたみやげ物が北条高時を始めとする、幕府の面々に配られた。
(高時は、『尊氏に従五位下を賜った』と上機嫌で告げた)
これは、北条得宗家に連なる家格と同等の扱いだった。
――虐げながらも裏切りに怯え厚遇する者と、叛逆を胸に秘め忍従しへつらう者。
「なんとも歪な関わりですな」
自虐的につぶやいたのは、直義だったか、師直か。
(師直だ。いくら賢いと言っても、直義も十三でそこまで辛辣なものの言いはしなかった)
歪みは、やがて折れ、元に戻ることはなかった。
『それがおぬしの後悔か?』
後悔? 後悔なんかしたらきりがない。
己の生まれを呪っても始まらず、己の生まれを肯定したら……後悔などできるわけもない。
幕府の荒廃を招いた北条は、倒される定めだった。
国に混乱を撒いた後醍醐帝は、倒される定めだった。
護良親王は……
新田義貞は……
楠木正成は……
北畠顕家は……
……
……足利直義は?
(直義は、弟だ)
ただ一人の。他に替えのない。かけがえのない存在だった。
『だから願った。願文まで書いて』
(あぁ、書いた。石清水に奉納した)
後醍醐帝と敵対し、この世のもう何もかも嫌になった。
(いや、違う)
嫌になったのは自分自身だ。
主従の誓いを、裏切り続ける己に嫌気がさした。
(だからもう十分だ)
この世で俺が受けるべく富や栄誉や――裏切りがあるのなら、それは全て弟へ、直義にやってくれるように願った。
(呪った)
ただ一人。この世で、己の全てを分かち合うことを赦された相手を。
『呪いは効いた』
効いた。いや効かぬ。
それからも俺は、裏切り、また裏切られ続けた。
この世の富貴を受け、憎まれ、また憎み続けた。
『実の息子さえ』
直冬。あれこそが戦乱の申し子。
(捨てられた子を直義が拾った)
俺の血と直義の心と……足利そのものと言ってよい存在だったのに。
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※内容薄いのにだらだら長くて申し訳ない(-_-;)
※タイトルの『うつつのゆめ』は「現の夢」。藤原俊成女(鎌倉前期)の歌が有名ですね。
「逢ふと見て 覚めにしよりもはかなきは…」
※3/24:区切りを変えました。