番外編―1 『羽衣の奥山(後)』
■羽衣の奥山 (後)
「じゃ、あんたの周りに美女がいるのは、お身内の差し金か」
気の毒な若様をお慰めしようと、よろしければ側室に……いや、あわよくば正室に入ろうと、手替え品替え娘が送られてくる。
「そんなところだ」
「よりどりみどりだねぇ……でもあんたは木石を貫いてる、って訳だ」
涼しげに嘯く正季をちらっと見て、直義はふん、と鼻を鳴らす。
「俺だとて、美しい女には心動かされるさ」
そうか?と返した正季に、直義は
「毒がなければな」
と返した。
目にどこか剣呑な光が宿っていた
「女の恐ろしさは知っている――そう言ったろう」
正季は少し躊躇したようだったが、結局尋ねた。
「何を、知ってるって?」
直義は、ふっと笑った。
「大したことではない」
「あんた、そこまで言っといて……」
それはないだろう、と詰め寄ってきた正季を、直義は軽く引き寄せた。
「一つくらい、お前が知らないことがあってもいいだろう」
お前は謎だらけなんだから――と囁かれ、正季は目を見開く。
その表情を見て、直義は溜飲を下げる。
「いつも驚かされているお前を、驚かせることができたなら、悪くない餞別だ」
「……そんなもんかよ」
「そんなもんだよ」
珍しく少しすねた様子の正季だったが、口を割らせるのは無理だと判断したのだろう。
すぐに笑って、「じゃあ、またな」と、立ち去った。
その後ろ姿を見送り、直義はつぶやく。
「本当に大した話ではないからな……」
送られてくる女の中に、気を惹かれる娘がいた。
きびきびとよく動く、利発で明るい娘だった。
(この娘なら良いかと思い、近づけたが)
数日して、娘から託された文を、慣れぬ小者が直義宛の物と間違え持ってきた。
――それは、直義の、形だけの奥方へと宛てた文だった。
開くと、親しげな文体で、この屋敷への紹介状の礼が記されていた。
文は封をして小者に戻し、娘は適当な理由をつけ、屋敷から去るよう仕向けた。
「大したことではない……が、もう家へ来るどの娘も、懐に何かを入れてそうでなあ」
渋川の娘に、悪気はなかったのかもしれない。
自分の代わりにと思ったのか、離縁の理由になると思ったかは分からない。
ただ、形だけとはいえ妻に、他の女をあてがわれたことが、直義の気性を逆撫でした。
「他の者なら、例えば師直なら、知ったことで却って、女にのめりこんだかもなあ……」
正季ならどう思ったか、聞いてみれば良かったかもしれない。
「まあいい。もう会うこともなかろう」
直義は伸びをして、鎌倉へ下る準備に戻った。
考えることは山ほどあり、己の女性観より、兄と帝の寵妃との関係の方がずっと重要だった。
一三五一年冬。
熱海、伊豆山に直義はいた。
「遠いな……」
山の向こうにある鎌倉を、直義は思う。
「いずれ、戻られる日も来ましょうぞ」
現在この山は、南朝の――尊氏の軍勢に囲まれていた。
不意に直義は、まだ北条を倒したばかりの頃、鎌倉を包囲され孤立した、北条時行の乱を思い出した。
あの時は、帝に背いて尊氏が直義を救援に来たが、此度は、別の帝の命で、尊氏が直義を包囲している。
(皮肉は今始まったことではないが、因果というのはあるかもしれぬ)
直義は口元に笑みを浮かべ、ここまで付き従ってきた年老いた近侍に言葉を返す。
「まあ、いずれはな」
魂となれば、一瞬で戻れる……そう自分に教えたのは夢窓か、京の乞食坊主か。
「本光院様もお待ちでございましょう」
「あれもおかしな女よ。十年も前に暇を出したのに、未だに彼の地で、我を待つか」
(そうか。あれに暇を出したのも、時行の乱で、あれの兄が亡くなったのがきっかけだった)
渋川義季――有能な若武者だったが、圧倒的な数の敵から直義を逃がすために犠牲になった。
渋川への詫びもあり、娘が他家へ嫁げるように離縁状を送ったが、娘は受け取らなかったという。
(俺以外の相手になら嫁げようと思ったが、違ったらしい)
言いづらそうに近侍は口を開く。
「殿、直冬様からは、石見へお出でくださいと幾度も文が参っております」
直義は目を細めた。
「直冬か。あれも哀れな子よ」
直冬は尊氏が白拍子に産ませた子だった。
(義姉上に厭われ、兄上に見捨てられたところを、良かれと思い引き取ったが……)
「……結局、実の父と戦わせてしまった」
「直冬様はっ、殿を実のお父上以上に慕われておりますぞ!」
それもまた哀れ……と、直義は思ったが口には出さなかった。
直義は近侍を下がらせたが、写経に戻る気がせず、そのまま、荒涼とした山の様子を見つめた。
麓には兄がいる。
「ようやく、我を切り捨てる決意がつきましたか、兄上」
あれから十余年。
各地を転々と周り、奥羽から九州まで、国中を巻き込む戦をした。
「北朝と、南朝と……我らは国を分かってしまったのだなあ」
直義が苦くつぶやく。
後醍醐帝が始めたことだが、体裁を整えてしまったのは武士、自分達兄弟だと、直義は知っていた。
尊氏と直義は、味方にも敵にもなったが、殺すことも、たやすく殺されることも、もう許されなかった。
――互いに背負う命の数が、あまりにも大きくなってしまって……
「皆が納得できる死を用意するのが、これほど難しいとはな……おぬしらはどうであっただろうか?」
後醍醐帝も、北畠顕家も、新田義貞も、もうこの世にはいなかった。
師直は、直義自らの手で討った。
「おぬしは兄上に討たれたかったであろうが、兄上には、お前は討てぬからなあ……なに、好きなだけ恨み言を言えばよい」
もうすぐに自分もそこへ行く、と直義は何の気負いもなく思う。
「楠木正成の最期は潔かったと聞くが……あいつはどうだったかな」
報告では確かに、兄と一緒に討死したと聞いたが、不思議と死んだ気がしなかった男を思い出す。
今にも会いに来そうだった。
「まあいい。皆いつかは会えよう」
――あの向こうで。
……遠くの山を見ていた直義は、おやっと身を乗り出した。
差し出した掌に、冷えた白い花びらが乗り、溶けた。
「ついに、雪か……麓はさぞ冷えるだろうよ」
ふふと笑い、直義は障子を閉めた。
足利直義は、当時の武将としては非常に珍しく、記録に残る妻は渋川貞頼の娘だけだった。
実子は早くに死亡したものとみられ、直義の後継者として名高い『足利直冬』は、兄である尊氏の庶子である。
直義の死後、その死が尊氏によるものと知り、嘆き悲しんだ直冬は、打倒尊氏の兵を挙げる。
だが、あと一歩のところまで尊氏を追い詰めたものの、直冬はついにとどめを刺すことはできなかった。
それは生前の直義が、どれほど尊氏と敵対し、その生死を握っていても殺さず、将軍位をはく奪することすらしなかった例と、どこか似ていた。
直冬は、そのまま歴史の表舞台から姿を消す。
後も生きていた記録は各所に残るが、生涯、実父にも室町幕府にも従うことはなかった。
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…いろいろ史実と(というか『太平記』と?)食い違う部分もありますが、自分だとこの辺が落としどころだと思いました。
…次回は尊氏の話でも、と思ったのですがちょい『南北朝』の(勝手な)考察が入るかもしれません。
…ご意見、ご感想お待ちしております。