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第二章 置文と願文 1.

1.


 屋敷に戻った直義は、主殿へは行かず己の使う東の対屋へと入った。

 それとほぼ同時に、今通ってきた渡殿からどたばたとした足音が響いてきた。

 足音はかろうじて部屋の前で止まったが、代わりに甲高い声が掛けられる。


「どちらへ行っていらしたのです!」


 声を聞くまでもなく分かる。存在自体が騒々しいこの男は、足利の筆頭執事、高師直こうのもろなおだった。


「足利荘からお戻りの後、再び外へ飛び出されたと家の者に告げられ、この師直、余計な気を揉みましたぞ」


 直義は、声の方を見ることもせずふうっとため息をついた。

 此処へ来て、一気に疲れを感じた直義は、床の上に胡坐をかき、右手で首の裏をさすりながら尋ねた。


「師直、兄上が戻られているとのことだが」


 兄の消息は門番から聞いていた。

 師直はひょろりとした長身を屈めるようにして、部屋に入って来た。


「はい、つい先程。だいぶお疲れのご様子でしたな」


 どかっと、師直は直義の前に腰を下ろした。

 兄上はいつも疲れた様子だがな――と言う代わりに、直義が


「得宗館の怪異を聞いたか?」


 と口にすると、師直の目が文字通り爛々(らんらん)と輝きだした。


「いやいや、殿は話してくださらんし、詳しくは知らんのですが……」


 と前置きすると、師直は身を乗り出した。


「何でも得宗殿は、宴の途中で、気分がすぐれぬと部屋へ引き取ったそうです。その後、人払いしたはずの得宗殿の部屋から、がやがやと音が聞えてくるので、おかしいと思った侍女がそっとのぞいてみると……」


 師直は勿体ぶるように一度言葉を切ると、パンっと両手を合わせた。


「何と! 得宗殿は、田楽一座の衣装を着た鬼やら天狗やらと、一緒になって、庭で踊っていらしたそうです」


 芝居がかった手ぶり身ぶりを加え、がははと笑いだす。

 そこには、仮にも主家の上司に対する遠慮など微塵もなかった。


「驚いた侍女が悲鳴を上げ、騒ぎになったそうで……鬼や天狗なんぞ、どっから連れて来たんですかねえ」


 師直は、楽しくてたまらないという口調で続ける。


「本物であれ、変わった趣向であれ、まともではありませんわ。ま!元々、素性の知れぬ有象無象どもの、出入りが頻繁だと評判のお館。いかにもお似合いの異聞かと」


 直義も『そんなものだな』と、まだ笑ったままの師直の、ごつごつした赤ら顔を見上げた。


「鬼に……天狗か」


 直義が、先刻遭遇した暗がりを思い出し、ぼそりとつぶやくと、師直は「はい!」と嬉しそうに合いの手を入れた。

 それには構わず、直義は淡々と続けた。


「どうやら、その得宗館から帰る途中の天狗に、俺は会うたようだぞ」


 うんうんと、首を何度も縦に振りながら、それはそれは祝着……などと言いかけたところで、師直の動きがぴたりと止まった。


「……なんですと?」


 師直の表情が劇的に変わった。


「ま、真に天狗でございましたか?! いや、ご無事ですか? お怪我は? いずくにも触りございませんか!?」


 勢いよく身を乗り出し、今にも喰いついてきそうな師直から、直義は素早く身を引いた。


「見ての通りだ。髪一筋抜けてはおらん!」


 まだ情けない顔をして、手をわさわさ動かしている筆頭執事に、直義は言い聞かせるように告げた。


「通りすがりの坊主に助けられた」


 師直は、ぱあんっと両手を叩く。


「おお、さすがは御舎弟様。功徳のあるお方は、天がお見捨てになりませんなあ」

「功徳があるなら、初めから怪異には会わんだろうよ」


 疑わしそうに直義が吐き捨てると、そこはまあそれ……と、師直は調子よく、手をひらひらと振った。


「大望を為すものに、試練は付きものですからなあ」


 師直の口の端が、思い切り引きあがる。

 そのうち耳まで裂けそうだと思いながら、


「そんな憑き物いらんわ」


 と、直義は吐き捨てた。


 鎌倉に幕府を開いた源氏の棟梁、頼朝公が亡くなって三十年足らずで、幕府の実権は北条氏の手に移った。

 北条氏とは元々、平清盛の命で、源義朝の遺児を監視していた伊豆の豪族だった。


(つまりは、平氏の家来だ)


 対して足利は、頼朝公と同じく、八幡太郎義家の流れを汲む源氏のすえだった。

 頼朝公の血筋が絶えたなら、代わって武家の棟梁ともなるべき家系だったが、時流には逆らえず……以降、足利は北条の下、長い忍従を強いられることになった。


 そんな北条氏も、征夷大将軍の地位を継いだわけではなかった。


(実際、征夷大将軍不在なんて、幕府としちゃあ本末転倒だったはずだが……)


 当時の北条氏の支配は、それと感じさせないほど巧妙だった。

 まず、同僚――御家人達の欲を煽り、互いを牽制させ一家が突出するのを防いだ。

 同時に、自らは彼らのまとめ役として立ち回り、次第に権力を強固なものにしていった。


(だがどんな堅い守りも、時がたてば緩んでくる)


 二十年たち、五十年が過ぎ、盤石に見えた、北条の支配体制にも綻びが見え始めた。




――――――――――――――――




※このころの武士の屋敷は平安貴族と同じ『寝殿造』で、母屋を「主殿」とは言わないんですが、「寝殿」だと違和感あるんで「主殿」としてます。

(まー武士っても源氏も平氏も元皇族ですがねー)


※置文と願文:『おきぶみ』と『がんもん』と読みます。

仔細はこの先で~



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