第十一章 星辰の岐路 4.
4.
「また助けられたな」
直義は礼を告げながらも、顔をしかめて正季をにらんだ。
「だが何で、お前がこんな場所にいる?」
正季は大仰に眉を上げてみせた。
「お言葉だな。京じゃ、足利殿は鎌倉と弟君を見捨てるのかと、町中で賭けをしているぞ」
直義はふんっと鼻で笑った。
「わざわざ京から、兄に見捨てられた弟の顔を見に来たのか?」
正季も軽々と尋ね返した。
「見捨てられたとは、思ってないんだろう?」
直義は口の端を歪ませたが、やがて息を吐き、空を仰いだ。
「……弟を見捨てられる兄なら、俺も安心して死ねるのだがな」
尊氏にとって己が唯一無二の存在だという自覚は、直義にもあった。
(例え本心を語れぬ弟であっても、だ)
正季は当然だというように頷いた。
「俺の兄者も信じていたよ。『足利殿は弟御を見捨てず京を出る』と。だが、時間がかかるとも言っていた」
だから来た、と正季は笑う。
「恩を返す前に死なれるのも困るからな」
「恩なんぞ売っておらん」
正季は口元に笑みを浮かべたまま、千寿王を直義に手渡した。
身柄を移されても、千寿王は目を閉じたままぴくりとも動かなかった。
千寿王の首筋に指を当て脈があることにほっとしたものの、直義は苦い口調でつぶやいた。
「まるで人形のようだな」
「薬を使われたんだろう」
直義の顔が強張る。
正季は千寿王の頭を軽く撫ぜた。
「大丈夫だ、明日には何事もなかったように目が覚める」
安心させるように告げた正季は、静かな目で千寿王を見ていた。
その様子に、なぜか胸騒ぎを感じる。
直義は、この子にもなにか、重い『定め』があるのかを聞きたくなった。
だが……
(たった三つで初陣を果たすような源氏の嫡子に、この先何もないはずがない)
ましてや、今回の天下騒乱はそう簡単に収まるものではない。
(この先、どんな波瀾が起こってもおかしくない身上では……)
星の取り決めなど、今更聞くまでもなかった。
「連中も一枚岩じゃないが、自ら手を汚すことは滅多にない」
直義が黙っていると、正季が口を開いた。
「おもに言葉で煽動したり、動揺を誘ったりするのが手だ」
直義は天狗が、千寿王を親王に『殺させよう』としたのを思い出す。
「ましてや童だ。何らかの取引に利用しようとした奴らから、さっきの奴がさらったんだろう」
(あっちにもこっちにも天狗か……)
あぁいうモノはどこにでもいる、と夢窓も言っていた。
もしかしたら、千寿王に鎌倉へいるように吹き込んだのは、また別の天狗だったのかもしれない。
「ややこしいな。そいつらの目的はなんだ?」
「分からん」
正季はお手上げだと云う風に両手を上げた。
「ただのひまつぶしである場合も多い」
直義は頭が痛くなってきた。
「隙を見せないことと、あまり気にしないことだな」
「……はた迷惑な」
「それは連中には褒め言葉だ。口にせぬがよい」
直義が口をひん曲げると、正季がけらけら笑った。
そちらを睨みながら、ふと直義は、先刻の天狗から夢窓の名が出たのを思い出す。
「夢窓殿は、どんな位置なんだ?」
そして、お前はなんなんだ?――と、直義は胸中で尋ねる。
(天狗ではない。だが、近すぎる)
その思いを、知ってか知らでか、正季は曖昧な笑みを口元に浮かべる。
「その先は、身内にしか話せんな」
思わせぶりな言葉のあと、正季は「それとも……」と続け、右手を胸にあてた。
「こちらに来るか? 直義殿」
口調は軽く、口元には笑みがあった。
だが真っ直ぐに、直義に向けられた正季の目には、真摯な光があった。