表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/55

第十一章 星辰の岐路 3.

 3.


 直義は手を堅く握り締め、気迫を籠めて叫ぶ。


「やめろっ!」


 声と同時に直義は飛び出したが、突然、親王の背後から強い風が吹き、直義の体をその場に押し留めた。


「そうだ。やりすぎだな」


 聞き取りづらく不明瞭だったが、どこかで聞いたような声がした。

 それと同時に、遠くで鳴る鐘楼の音が聞こえて来た。

 ヒュゥーイィー……っという甲高い鳥の声も次々、辺りに響き出す。


(そうか……)


 いつかこれと似たようなことがあったと、直義は思い出した。


(この場所に着いた当初から、天狗の張った『幕』の中に捕えられていたのか)


 以前にも同じ手妻で、天狗に闇へ閉じ込められた。


(若宮大路だった。得宗館へ急いだ道で、夢窓禅師に救われて……)


 ほんの2、3年前なのに、もう何十年も前のことのように思えた。

 直義が述懐に囚われかけた時だった。

 誰もいない、何もなかったはずの護良親王の背後から、もう一人、天狗の面を付けた男が現れた 

 男は、口を開け呆然と己を見上げている親王の手から、易々と千寿王を奪い取った。

 新たな天狗は、やはり呆然としていた直義に向かってぼやいた。


「……全く、鎌倉が明日をも知れぬというから急いで来たのに、主人あるじはいない。総領の御曹司もいない……で、館は大騒ぎだ」


 面の中から聞えて来る声はくぐもり、今一つはっきりとしない。

 だがその背格好に、直義は覚えがあった。

 直義は眉を寄せ、唇を舐め、新たに現れた天狗に向かって半信半疑で名を呼んだ。


「正季……?」


 声に応じるように、男はくいっと指で天狗の面を持ち上げた。


「久しぶりだな、直義殿」


 外された面の下では楠木正季が、最後に会った日と変わらぬ、愛嬌のある顔で笑っていた。


「貴様っ……その面はどうした!?」


 結界が解かれてから、根が生えたようにその場を動かなかった天狗が、強い声で正季を詰問する。


「この上の山ン中にいた奴からもらったよ。お師匠さんに伝言を頼んだから、もういないがな」


 軽く返した正季は、手の中で、天狗の面をくるくる回した。

 天狗は、仮面の下の表情が察せるほどに、重苦しく恨み深い声を上げた。


「……夢窓の犬が。貴様だとて、もともと異形の民であろう!」

「だから? なんだ?」


 正季はあざ笑うように、口の端を引き上げた。


「今の世、異形なんてどこにでもいる。京の帝や、ここにいる皇子すら、前例のない行動を繰り出す異形の民だ。受け入れられぬと世をすねて、山に篭れば偉いとでも思っているのか?」


 直義が思わずぞくっとしたほど冷たい声だったが、天狗は意に介さず再び吠えた。


「異形の帝であればこそ、我らが力添えをしたのだ! そうだ、流人を帝に就けたのは我らぞ!」


 護良親王の顔が不快げに歪む。


「あの帝が、天狗に恩など感じるものかよ!」


 正季は豪快に笑い飛ばした。


「使うだけ使われて、忘れられた腹いせか? こんな場所へまで来て、御子相手に憂さ晴らしとは、天狗もかわいらしいものだな」

「貴様!」


 怒りで弾かれたように、天狗が正季に向かっていった。

 正季は慌てず、軽々と左腕に千寿王を抱きかかえ、素早く右の手首を振った。


「ぐっ……!」


 投げられた飛礫は足に当たったようで、天狗は膝から崩れ落ちた。

 次は肩に。

 容赦なく飛礫が喰いこんだのが直義にも見えた。

 うぎゃあぁ、という悲鳴が山の空気を割いて響いた。


「面は取らないでやろう。さっさと鎌倉から出るんだな。童をもてあそんだ件では太郎坊も怒っているぞ」


 太郎坊という名を聞いた途端、天狗の様子が変わった。

 のろのろと立ち上がり、足を引き摺りながらも後退する。


「……これで、終ると思うなよ。そこにいる足利の弟は元より、貴様も、貴様の兄も、後醍醐の息子にも先はないのだからな!」


 最後の最後まで、怨嗟に満ちた呻きを撒き散らした天狗の姿は、やがて木々に紛れて消えた。


「余計なお世話だ」


 直義は不吉な言葉の余韻を掻き消すように、毅然と断じた。

 一呼吸置いて、正季が楽しげに謡うようにつぶやいた。


「だから俺はあんたが好きなんだよ、直義殿」


 正季の能面のようになっていた顔は、ゆるりと解けていたが、束の間、顔を哀しげに歪めたのが見えた。

 直義は、以前、正季は星を読む姉がいると言っていたのを思い出した。

 正季の知る定めは、直義が考えるよりずっと、重いものなのかもしれない。

 だが……


「先に何があるにしても、俺には今だけで手一杯だ」

 

 直義が誰にともなしに告げた。

 うん、と頷き、顔を上げた正季の口元には、もう常のような笑みが浮かんでいた。

 その顔からは、天狗に向けた冷たい表情も、先程の泣きそうな表情も伺い知れない。


(取り外しが出来るのは、何もあの天狗の面だけじゃない)


 誰もみな様々な面を持ち、使い分けているのだろうと、直義は不意に思う。

 例えば、登子や廉子――花のような女達が背後に飼う、謀略の陰。

 本気で感謝を告げた心を、次の瞬間、あっさり地に投げ、捨て去る後醍醐帝。


(親王の殺害を、最後まで俺に下知できなかった兄上にも、弟に見せたくない面があるのだろう)

 

 見せたくない面は大抵、よくない話につながっている。

 人の隠す部分を、直義はなるべく見ないようにしていたし、叶うことならこれからも見たくない。


(知ろうとしない罰は、いずれ受けるのだろうよ)


 ……それはそれでよい、と思ってしまう自分は案外、尊氏以上に壊れた存在なのかもしれないと思うと、こんな時だというのにおかしかった。






―――――――――――




…おそらくこの章がラストになると思います。

…あと少しですが、お付き合い願えれば嬉しいです。


…ご意見ご感想お待ちしております。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ