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第十章 鎌倉の虜囚 4.

4.



 屋敷の裏側にある山肌に、人一人、寝て起きる程のほら穴があった。

 直義はそこへ格子をはめさせ、特別に岩牢をしつらえた。


「殺さぬのか?」


 直義がおとなうたび、格子の中から親王が訊いてきた。

 その度、直義が


「どうしましょうかね」


 と返すと、その内、親王も口にしなくなった。

 実際、親王を送りつけてから、尊氏からは何の音沙汰もなかった。


(俺が独断で殺すのを待っているのか)


「――それはそれで虫がいいな。兄上」


 直義は京の方角を見てつぶやき、暑気を払うように手を振った。

 重いものを背負い込むであろう処置を、避けた尊氏の心情も分かる。

 尊氏の精神状態を案じた師直が、鎌倉に送ればいいと進言したのかもしれない。

 だからと言って、直義が京の思惑通りに動く理由はなかった。


「いっそ、奥羽の顕家殿の所にでも、送ってくれれば良かったものを……」


 岩牢の前に胡坐をかき、直義がぼそりとつぶやいた。

 護良親王は格子越しに、呆れたような視線を寄越した。


「我と親しいとして、わざわざ陸奥まで追い払った顕家の元に、我を送れる訳がなかろう」


 男の腕が簡単に通る格子枠の檻。

 そのすぐ外には、小ぶりの酒瓶が一つあった。

 盃は格子の内と外に、一つずつ置かれていた。

 背後にある山から降りてくる風は涼しく、ほろ酔い加減の身体に心地よかった。


「顕家殿は、彼の地で苦労しておられるようですよ」


 親王の返事はなかったので、直義は勝手に続けた。


「顕家殿だけでなく、親王殿下が大将で、副官に顕家殿を付けて討伐に行けば良かったんですよ。仮にも征夷大将軍であらしたのですから」


 深く考えずとも、これが一番真っ当な策であったろう。

 帝側は厄介払いよりも、親王が北で大きな勢力になるのを嫌った。


(親王に帝の決定に逆らうほど、北へ行く……つまりは、顕家殿を庇う意思がなかったのもあるか)


 ややあって、返事があった。


「……我をなじるか」


 直義はせせら笑った。


「そのように聴こえるのでしたら、愚かだったと、ご自分でも思っておられるのでしょう」

「戯言を……!」


 親王は吐き捨てたが、次に口を開いたのも親王だった。


「……我は愚かだと、正成も言っておったわ」


『兄が山まで説得に通っている』という、正季の声を思い出す。

 直義は盃を一気に呷った。


「きちんと、心配してくださる相手がおられたんじゃないですか。己しか見えていない御父君なんか、見捨てれば良かったんですよ」


 カッと頭に血が上ったのか、親王は盃を握り締めた。

 震える手から酒がこぼれて落ちた。

 だが、程なく手の震えは止まり、盃は静かに床に返された。


「……不敬な奴め」


 直義はにやっと口の端を上げた。

 酒瓶を手に取ると、格子の中に手を入れて、親王の盃に酒を注いだ。


「確かに、迫力のある御方だとは思いましたが、最後まで敬意を払うことはできませんでしたね」


 睨む親王の視線を感じながら、直義は自分の盃にも酒を注いだ。


「まあ、俺には額づく相手はずっと一人でしたから」

「……尊氏か?」


 親王は嫌そうにその名を口にした。

 直義は頷く。


「そうです。主家であるはずの北条は敵だし、父は兄に仕えろと遺言したし、ご先祖様方も遥か遠くの方だった」

「不満はなかったのか?」


 親王はぼそりと訊いた。


「足利を支えているのは、お前だと言う者もいたぞ」


 皮肉な口調ではなかった。

 直義も正直に答えた。


「ありませんでした。北条は難敵だったし、兄は不安定だった。考える暇がなかったんですよ。これまでは……」


 距離も、時間も、思えば尊氏とこんなに離れたのは初めてだった。


「今も、暇はないんですがね」

「こんな場所にやって来る時はあるのにか?」

「此処へ来るのは大事な公務です。毎日毎日、親王殿下はお元気ですと報告に書けます」

「痴れ者が……」


 親王の口元が少し上がったのを見て、直義は己の盃を飲み干すと酒瓶を持って立ち上がった。


「明日より少々忙しくなるので、そう度々は来られなくなるかも知れません」


 一礼して立ち去ろうとした直義の背中に


「いいのか……」


 と、迷っているような、遠慮がちにも聞こえる言葉が届く。

 振り返ると、牢の中の親王は、格子に背を向けて座っていた。


「北条の残党が騒いでいるのだろう? 我をこのままにしておいて、いいのか?」


 春ごろ、信濃で北条家御内人、諏訪氏を中核とした武士団、諏訪神党が、北条高時の次男・時行を擁立し挙兵した。

 京では、反乱軍が諏訪から京に向かうと信じ、京の防備を固め、鎌倉への連絡は後回しにされた。

 ようやく、直義へ高時の遺児が挙兵したとの連絡が来た時には、すでに敵は鎌倉の眼前に迫っていた。


(時行を逃していたとはな)


 話を聞いた直義は、あまりの事の大きさに怒りを通り越して、むしろ呆れてしまった。

 新田軍の混乱ぶりを聞いた後では、わざと隠していた可能性も低そうで、ますます力が抜けた。


(おまけに、諏訪神党の影響力は、今までの烏合の衆とは比較にならん)


 直義の予想通り、関東各地で燃え広がっていた、反朝廷の勢力がこぞってなびき、反乱軍はそれらを融合し勢力を大きく拡大していた。

 足利軍は急ぎ女影原に陣を張り、迎え撃ったが成果は芳しくなかった。


(数が違いすぎだ)


 京の尊氏へ援軍の要請をしているが、帝の許可が降りそうにない。


(もし、万が一にも鎌倉が落ちる事態になったら)


 虜囚の親王の身柄は……


「北条の残党に、殿下を渡すわけには行きません」


 これだけで分かったのだろう。

 言葉はもう返ってこなかった。

 歩きながら直義は、本当にその時が来たらどうするかと考えた。


(普通に考えれば、極刑にするしかない)


 元々、そのつもりで送られてきたであろう、囚人だった。

 だが、あの不器用で真っ直ぐな親王を殺害し、京にいる帝や寵妃を喜ばすのはしゃくだった。

 かと言って、北条の残党に渡せば、格好の旗印にされてしまうだろう。


(『足利』としてそれを赦すわけにはいかない)


 本当に顕家の所に送れるならいいのだが――直義は唇を噛んだ。

 国中どこを見回しても、『護良親王』を、隠せる場所はなかった。








―――――――――――――


※第十章終了です。


…いよいよ『中先代の乱』です。

…直義さんが静かにグレグレです。

…親王との酒盛りシーンは書いててなんか楽しかった。

…もちろんこんな話史実にもどこにもないっす~(笑)


…ご意見ご感想お待ちしております。


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