第十章 鎌倉の虜囚 3.
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大内裏造営に資源や人手が奪われ、復興が思うように進んでいないのは、以前の文からも察せられた。
『公家や武士、町民の足並みが揃わず、あちこちで小競り合いが日常茶飯事となり町も荒廃が進んでおります』
そして、何より護良親王とその一派が、未だ足利を目の敵にしていた。
『ご当主の暗殺未遂などの噂もあり、落ち着かない日々です』
まず師直の文が届き、相次いで尊氏からも
『千寿王は今しばらく鎌倉に留め置くように』
と明言した文が届いた。
仕方ないと直義も思ったが、この後、関東もまた騒がしくなってきた。
(このままいけば、千寿王を送るのに割く兵の数も惜しくなるな)
北条の残党が各地で蜂起できるのは、帝の強引な綸旨に拠るところが大きかった。
土地の所領を筆頭に、新しい税や借金棒引きの徳政令などは、民や武家の生活を逼迫させ、反抗の種をばらまいていた。
直義が案じていたように、そこに北条の残党が付け入っている。
(被害が広すぎて鎌倉にいる足利軍だけでは、到底対処しきれんか……)
鎌倉に仮の幕府を置いてからは、大きな叛乱は聞かくなった。
だが小規模の叛乱は止まず、それらを潰して歩く余裕はなかった。
今の兵力では、細かい叛乱が大きくなるのを、直義は見ているしかできなかった。
また、新制度の弊害は、武士や民の間だけではなかった。
新しく発表された人事では、それまでの役目と官位の関係を無視し、政治支配体系をも根本から変えてしまった。
全ては、帝に権力を集中させるための改革だった。だが……
(逆を言えば、帝さえ押さえれば好き勝手ができる体勢だ)
それを良いことに、誣告、讒言などで罷免される者も後を絶たなかった。
(これに憂いた、万里小路藤房殿が出家してしまったのも大きい)
藤房は即位前からの帝の重臣だった。
良識を持つ側近が去り、帝の暴走はますます激しくなった。
護良親王による『足利尊氏暗殺計画』は、そんな内裏の混乱に紛れるように発覚し、都はまた大騒ぎになった。
鎌倉へは、事の次第を細かく記した文が、師直から届けられた。
計画が未遂で済んだと聞き、直義はほっと胸を撫で下ろしたが、後を追う様にして届いた、当の尊氏からの文に目を剥いた。
『護良親王を鎌倉へ送る』
その旨が記された尊氏の書面を、直義は腹立ち紛れに床へ投げ出した。
「……何故、鎌倉に!?」
叫んでも、問い質したい相手は千里あまりも先だった。
暗殺未遂が発覚後、大方の予想通り、護良親王は征夷大将軍の地位を剥奪された。
だがそれで終りではなかった。
帝は親王の身柄を、暗殺を企てた当の相手、尊氏に預けると断を下したのだ。
(殺してくれと言っているようなものではないか……!)
書状一つで、親王を罪人として鎌倉に、直義の元に送るつもりの尊氏も、直義にとっては恨めしい。
だがそれ以上に、尊氏に親王を預けた帝の仕打ちにも、直義はどうしようもない嫌悪を覚えた。
拒否されるのを恐れるように、書面の届いた数日後には、護良親王は厳重な警備で鎌倉に護送されてきた。
「久方ぶりですな、親王殿下」
輿から降りた護良親王の、以前は鷺を思わせた白い衣は、土や泥で薄汚れていた。
髪はほつれ、頬はやつれ、瞳はうつろに何も映さず、さながら抜け殻のような有り様だった。
以前の、炎の化身のような親王を知っているだけに、直義は見ていて物悲しくなった。
だが、そんな視線を感じ取ったのか、親王は皮肉げに唇を震わせた。
「ふん……そなたに、憐みを受けるようでは、わしも落ちるところまで落ちたものよ」
親王の憎まれ口を聞いて、直義の口元は自然にほころんでいた。
「変わらぬお声を伺い、いささか安堵致しました」
親王の表情が不快に歪む。
どんな感情でも、顔には表情があるほうが遥かに落ち着くものだと、直義は知った。
「都からの指示ゆえ、牢からお出しする訳には参りませぬが、他に何かご入り用の物がありましたら、お申し付けください」
直義は警護の者に、親王を引き渡した。
これより約半年の間、護良親王は鎌倉の奇妙な客人となった。