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第十章 鎌倉の虜囚 1.

1.


 直義が鎌倉に着いた翌月の、一三三四年一月。

 帝は年号を『建武』と改めた。

 帝が理想とする、海の向こうの後漢、『光武帝』が建国した際の年号から取ったとのことだった。


 ―――『武』という字は、戦と関連が深い。


 武家の直義でも、年号に入れるにはどうか、と疑問に思う字である。

 当然、公家達も


『この年号は不吉である』


 と、こぞって反対したが、帝はそのまま権限で押し切った。

 その後も、帝の断行は止まず、同一月十二日には大内裏造営のため、全国に新たな税金を課した。

 もともと大内裏は、一二一九年に焼失して以来再建せず、以後、代々の帝は、里内裏と呼ばれる所に住んでいる。

 後醍醐帝からすれば、悲願の普請であるとも言えた。


「なのに、なにゆえ、みな反対するのですか?」


 尊氏の嫡男、千寿王は不思議そうに直義を見上げて尋ねた。


「まず、なぜさきの帝が退き、幕府が倒されたかというと、税の取り方が厳しく、民の暮らしが苦しく生活が出来なくなったからだ」


 他のもろもろは置いておいて、即物的なところをざっくり、直義は口にした。

 直義が「ここまで分かるか?」と訊くと、千寿王は少し考えるようにしてから、こくっと頷いた。


「だから、新しく始まった帝の政治には、税が軽くなって、暮らし向きが良くなることを期待する」


 千寿王はこれにも頷いた。


「だが、大内裏造営のための税取立ては、今の帝が新たに科したものだ」


 これが一つ、と直義は人差し指を立てた。


「以前の税はそのままだ。納める相手が新たな帝になっただけだ」


 これで二つ、と直義は中指を立てる。


「一つの税が減らないまま、新たにもう一つの税が加わって、民の納める税は以前より増えてしまったというわけだ。反対する訳が分かったか?」


 千寿王は、直義の立てられた指を見たまま、何度もこくこく頭を傾けた。


「良い子だ」


 直義は指を解いて、千寿の頭を撫ぜた。

 千寿は嬉しそうに頬を染めて笑った。



 政治が落ち着いてからの増税ならともかく、朝廷は出来たばかりで、その他の問題も山積みだった。

 京の混乱の隙を突くように、各地では北条残党による叛乱が相次いでいた。

 少しでも目端が利く者なら、こんな状態で増税を行えば、武士や民からの猛烈な反発が予想できるはずだった。

 それを裏付けるように、増税が伝わった一月終わりには、鎮西で北条一族の規矩氏が蜂起、これと呼応して門司では長野政通が蜂起した。


(今の朝廷には、見たい物しか見ない連中しかいないらしい)


 次々入る救援要請と、山のように積まれる土地関係の訴状。

 直義はぼやきながらも、鎌倉やその周辺を奔走せざるを得なかった。

 直義の意を察して動ける師直がいれば、ある程度物事が整うのを待てばいいのだが、鎌倉こちらではそうもいかない。

 直義は自ら、あれこれと指示し、動かねばならなかった。



 三月になると、北条の残党、本間・渋谷氏が鎌倉に攻め上ってきた。

 直義が率いる足利勢は、敵が鎌倉を攻めあぐねて疲弊したところを、難なく蹴散らした。

 だが、敵が鎌倉に届くまで近づいてきたことには、直義も慎重にならざるを得なかった。


「直義様、そろそ何か手を打ちませんと……」


 鎌倉で留守居を任せていた細川和氏も、頬の削げた顔で、懇願するように訴えてきた。

 和氏は、直義の鎌倉帰任後は直義の補佐となって、少なからぬ職務を請け負っていた。


「分かっている」


 直義もこの辺りが潮時かと決意し、鎌倉に仮の幕府を置くことを決め、関東の武士に通達した。

 これにより、所領安堵と引き換えに、足利を主と認めさせる制度が整えられるようになる。


(京に知られれば面倒になるのは分かっているが……)


 今の帝には従えないと考える武士も、源氏の棟梁になら従うのもやぶさかではない者が多い。

 幕府を名乗っていれば、土地や年貢の差配も円滑に行えた。

 京まで判断を仰いでは手遅れになることばかりだった。


 ――時を前後して、同様のことを陸奥で顕家も始めていた。


 奥州は、関東以上に京から遠い。

 変事が起こった場合も、奥州は奥州の兵で守るしかないと覚悟を決めたのかもしれない。


(それにしても……)


 帝の意に背くような行動を採るなど、以前の顕家からは考えられなかった。

 だが、北国の叛乱の激しさ、また敵味方が入り組んだ地縁の複雑さは、直義の耳にも聞こえて来ていた。

 顕家も必要に迫られた末の決断だろう。


(今奥州が落ちれば鎌倉も危うい)


 直義にしても北の緊張は他人事ではなかった。

 四方から情報を集め、役に立ちそうなものが入った際は、すぐに顕家にも送るよう秘かに手配した。

 たまに返って来る礼状は、顕家らしい優雅な手蹟だったが、随所に己の考えの甘さを叱咤するような文言があり、その悩みの深さを思わせた。


(あまり思いつめねばよいが)


 直義は息を吐いて、こめかみを揉んだ。

 鎌倉こちらから、奥州の顕家に出来ることは、あまりにも限られていた。






――――――――――――――




※第十章スタートです。なんか感慨深いです。

※直義さん苦労してますが、顕家さんはもっともっと…苦労してます(この頃の顕家さんは本当に悲愴…(:_;)もともと都の貴公子だから悲惨度もUPしてるし…)。

※千寿くんがまだ鎌倉にいる理由は次にでも。





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