第九章 親征と帰還と 1.
1.
九月に入ると、各地で北条の残党が暴れだした。
「いよいよ来たな」
予想より早かったか遅かったかは、微妙なところだった。
だが、ただの北条家係累の復讐ではなく、新政権への不満が民の間で高まっているのを見透かしての叛乱であることが重要だった。
不満の大本が、武士にとって絶対である、土地問題なのも厄介だった。
「だって、国中ですよ?」
師直が吐き捨てた。
「国の全ての田畑を、一から分配し直すというのが、そもそも無理だったんですよ」
しかも帝の綸旨のみで……と、最後に師直が付け加えた箇所が、一番の問題ではないかと直義は思っていた。
(帝たった一人では、時間も手も足る訳がない)
当たり前の話だ――直義は、怒りを通り越して呆れの境地だった。
それを補おうと、補佐を付けたのはいいが、
結局その補佐だけでも足りず、
そのまた補佐、
そのまた補佐を付ける内に、現場は混乱の一途を辿った。
「お笑いぐさですよ」
「全くなあ」
二重三重に出されたり、あるいは偽造されたりした綸旨は、本物との区別がつかず、各地で争議を巻き起こしている。
だが、例え綸旨の真偽が明らかであっても、それまでの所有を書き換えられ、承服できない者も多く出ていた。
元々、土地に関しては、話し合いで決着がつく例は稀だ。
(特に今回は、調停役だった『幕府』という存在がない)
武家の事情にまるで頓着しない朝廷は、幕府の代わりには到底ならなかった。
(双方の言い分を聞いての裁定しようなどとは、夢にも思わないだろうな)
結果的に、力尽くの解決を図る事態に追い込まれるが、綸旨を持たぬ側は、勝っても負けても朝廷への叛乱軍となるしかなくなる。
(悪循環だ)
綸旨に不満を持つ者は、日に日に増え続けている。
北条の残党と結びつけば『乱』となる。
迅速な処置が必要だった。
「一刻も早く鎌倉に入らねばならないというのに……」
鎌倉からは、次から次へと裁決を仰ぐ書面や、叛乱の報せが入ってくる。
関東の武士への対応は、もう京からでは難しかった。
(ここは遠すぎる……)
京の町はにぎわいを取り戻し、田楽一座の興行も盛んに行われていた。
(朝廷が武家の苦悩を、他人事のように思っているのも無理はないのかも知れん)
奏上し続けている直義の鎌倉行きには、まだ帝の許可が下りていなかった。
叛乱の炎は、特に奥州辺りが激しいという。
奥州から関東はすぐそこである。
「今日こそは許可が下りますよ、ご舎弟。幾ら帝でも、奥州一国お捨てにはならんでしょう」
気が気でない直義に、師直が明るく言い放つ。
「だといいがな」
今、尊氏は、帝からの呼び出しで参内しているので、確かに何らかの下知は下るはずだった。
だが、尊氏が持ち帰った知らせは、誰しも予想がつかないものだった。
待ち構えていた直義と師直の前で、尊氏は憮然と告げた。
「北畠顕家殿が陸奥守として、奥州へ赴任すると決まった。補佐として、父の親房殿も同行することと相成った」
「なんと……」
師直でさえ、嘆息しか出なかった。
尊氏も、未だ困惑しているようだった。
「帝の威光を奥州に知らしめるとして、義良親王も連れて行くらしい」
「義良親王はまだ五つほどではないですか? 顕家殿も十五を大きく出てはおりますまい」
直義の脳裏に、顕家の整った相貌が浮かぶ。
「あぁ。帰り際話を聞いたのだが、親房殿にとっても寝耳に水の話だったらしい。当の顕家殿は、自らの武勇が認められたと喜んでおられたようだが」
戦経験はあると言っていたが、叛乱の鎮圧は規模の大小に関わらず、根気と技量のいる仕事だ。
北条幕府は、楠木正成の叛乱を抑えられなかったため、滅亡したと言っても過言ではないのだ。
「兄上、率直にお聞きしますが、顕家殿で叛乱は収まりましょうか?」
「……分からん。ただ、一行には皇子がいる。親征となれば、兵はそれなりに連れて行けよう」
「それらが盾になることを祈るのですな」
面白くなさそうに、師直が嘯く。
直義と話していた顕家は、部下を盾にして自身を守るようにはとても見えなかった。
(むしろ、自ら矢面になるのを望むだろう青年だ)
「帝も、親房殿や顕家殿に、そのような無理を押し付けずとも、武士を頼ってくださればよろしいのに……」
尊氏の言葉を聞いた時、直義の脳裏を何かが過ぎった。
『私は親王殿下を尊敬しております』
(そうだ、顕家殿は護良親王の理解者だ……)
「……繋がるな」
思わず口に出した直義を、尊氏と師直が見つめた。
「則村殿の時と同じですよ、兄上。顕家殿は、護良親王と仲がよろしいと聞いたことがあります」
尊氏と師直がはっとして顔を見合わせた。
「では、此度の人事も護良親王の力を削ごうと……?」
「表向きは、武士が京から離れた場所に赴き、幕府を作るのを防ぐためでしょう。ですが、何故顕家殿か? を思うと、それしか考えられません」
しばし誰も口を開けなかった。
師直が何かを振り切るように頭を振った。
「いやあ……朝廷とは恐ろしい所ですなあ」
直義も思わず背筋がぞくりとした。
実の息子をそこまで追い詰めて、どうするのだろう。
しかも親王は、足利に関して狭量なだけで、父の帝には何ら反していないのだ。
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…京から人が色々と動くので、新しい章としました。
…こうやって見ると愚策以外の何でもない人事だったりしますが、当時は時の権力者の言うことだから仕方ない、で済んじゃったんでしょうねー。
…昔だから、って思う向きもありましょうが、現代も同じように愚策が普通に通ってるのかもしれません、
『歴史は常に繰り返す』
昔の話を読んだり、調べたりすると、この言葉が紛れもない真実であることに、時折はっとします。