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第八章 褒賞の波紋 1.

1.


 八月に入り、新田義貞が上洛した。

 これみよがしに、護良親王が連れ歩くかと思えば、そんな様子はなく、直義はいささか拍子抜けした。

 ならば、と義貞と一緒に京へ来た義助を、直義は六波羅の屋敷に招いた。

 義助は、以前より心持ちふくよかになっていたが、眉間の皺はますます深く見えた。

 目の下も青黒い。


「兄上に一応は言った。護良親王の誘いでなく、帝からの正式な綸旨を待つべきだと」


 義助は挨拶もそこそこに、うつむきかげんに口を開いた。

 直義の勧めに従わなかったことへの詫びなのだろう。


「いや、それはもういい」


 直義は義助の話を押し留めた。


「正直、帝の綸旨には時間が掛かりすぎる。実際に、帝に会ってもらった方が早いし、何より間違いがない」


 上洛してもらって良かった、と直義が告げると、義助はほっとしたように肩の力を抜いた。


(こんなに、びくびくした男じゃなかったはずだが)


 直義は内心で訝しく思ったが、言葉を続けた。


「ただ、新田軍を殆ど、こちらへ連れてきていると聞いたが、鎌倉は大丈夫なのか?」


 義助の顔が強張った。

 怒っているような、それでいて怯えているような、複雑な表情になっていく。

 しばし黙っていた義助が、やがてぽつりぽつりと口から出したのは、直義の問いへの直接の返答ではなかった。


「……あの戦の始め、俺達の軍は百五十騎だった」


 それは直義が思っていた以上に、過酷な数だった。


「だが、軍はすぐに膨れ上がり、お前から託された千寿王軍と合流した頃には、四千騎になっていた」

「そこからは聞いている。新田軍が本気だと分かったので、集まって来たんだろう」


 義助は頷いた。


「俺もそう思い歓迎した。だが集まって来た兵の中に、日にちから考えて、こちらの挙兵の知らせが届いているはずの無い、越後からの兵がいたのだ」


 義助は一旦言葉を切り、唇を舌でしめらせると、途切れ途切れに言葉を繋げた。


「不思議に思い問い掛けた所、連中は……『天狗が来てふれまわった』と言ったんだ。足利が北条を裏切り、新田が加勢して挙兵した――と」


 思いがけない言葉が出て、今度は直義が眉を顰めた。


「他の者からも同じような話を聞かされたが、俺は旅の芸人一座か何かが、噂話を面白おかしく話しただけだろうと思い、大して気にしなかった」


 目の前に敵が迫っていたしな――と付け加えた義助に、直義はただ頷いた。


「だが、鎌倉を攻めあぐねていた時、『干潮が起きる』と、知らせに来たのが、山伏の装束に鼻の長い異形、『天狗』だったそうだ。今夜、海が干上がるから、稲村ヶ崎から鎌倉に入れると」


 その頃、化粧坂にいた義助は天狗を直に見ていないとのことだった。

 義貞の従者から聞いた話だと、義助は語った。


「あんな怪しい連中の話を聞くな、と言った者もいたらしいが、鎌倉攻略は手詰まりになっていた」


 鎌倉は護りやすく攻めにくい、天然の要害だ。

 護りにくく攻めやすいので、何度も敵の侵入を許した京とは真逆の、武士の作った戦のための都だった。


「話が嘘でも本当でも、とりあえず戦の用意だけはしておこうと、各所に伝令が来た」


 そして夜になり……果たして、陸と海との境界線から徐々に、潮は引いていった。


「後は一気に勝負がついた。海岸から来ると予想していなかった幕府軍は脆く、あっけなく斃れた」


 義助は、喜ばしい場面を語るのに、あまりふさわしくない、暗い表情だった。


「刺し違える覚悟で兵を挙げた我らが、幕府相手に大勝利を収めた。浮かれて当然なのだが、興奮は長い間収まらず、我らは容赦なく鎌倉の町を蹂躙した」


 通常、戦の興奮は程なく収まる。

 人は血臭に飽く。まともな者ならば。


「おかしいと気づいたのは、足利の兵とぶつかった時だ」


 そう、義助はつぶやいた。


「おそらく足利の者の中には、鎌倉に縁があるものもいたのだろう。大勢が決した後、逃げ惑う民の避難に手を貸したり、燃え上がる町の火を止めようとしている者がいた」


 鎌倉での戦の様子は、夢窓や他の者からも聴いていたので驚きはなかった。

 だが、こうして実際にその場にいた者の話を聴くと、直義の胸がチリチリと痛んだ。


(全てが終った後に話を聞いた自分でさえこうなのだ)


 目の前でこわれゆく町を見ていた、足利の兵達の気持ちは察して余りあった。


「火を消すな、と誰かが吠えた。燃やせ、全てを燃やし尽くせ、と言って足利の兵に……味方に手を掛けたのだ。相手に気づいて俺が止めに入った時には、兵達の狂気も抜け落ちていて、己が行為に呆然としていた」


 戦場では仕方ない、と告げようとした直義は、義助の目を見て口を閉じた。

 義助の眼は落ち窪み、憑かれたようにぎらぎらと光っていた。


 事はそれで収まらなかったのだ――と、義助が嘆息した。


「次の日も、また次の日も、狂ったように暴れる兵士が出た。昼日中は兵士が、夜になると異形の群れが、死体を喰らっているという噂が流れた」


 義助は右手で目を覆う。


「……情けないが俺も、東勝寺辺りに、青白い火が浮かんでは消えているのを見てからは、怪異を恐れるなと、強く言えなくなった」


 東勝寺は、北条一族が競って腹を切ったとされる場所だった。


「難儀だったな」


 ようやく直義が口を挟めた。

 実のところ、異形の話は夢窓からも聞かされていたし、鎌倉に住んでいた身には慣れている部分もある。


(怪異は淀んだ空気や騒乱を好むというから、新田荘には無縁だったんだろうな)


 ある意味羨ましい話だが、目の前で未だ悶々としている相手にそう告げる訳にもいかない。

 義助は、顔を覆っていた手を外すと、全身から搾り出すように息を吐いた。


「……こちらも酷い状態だと聞いていたが、思っていた以上の明るい町並みに、俺や兄上、一緒に付いて来た兵士達も、あの戦以来ようやく安らいだ気分だ」


 正直、もう鎌倉には戻りたくない、と義助は暗い目で吐き出した。

 京にも怪異は多いはずだが、ようやく落ち着いた相手を怯えさせても仕方ない。


「そうか」


 直義は軽く相槌を打った。

 頭の中では、さてどうするか、と考えながら。


「鎌倉に慣れた者がいるせいか、足利の兵にはそれほど恐怖が伝わってなかったと思う」


 義助はしどろもどろに言い募った。


「また、北条が滅びた後、近隣の豪族が次から次へと駆けつけて来ているので、兵の数は多いし、士気も高かった」


 当面はあれでしのげよう……と、義助は目を逸らしたまま、弁明するように告げた。


(にわか仕立ての味方が、さて、どこまで信用できるかな……)


 直義は胸の中で盛大にため息をついた。

 近い内に、誰かが鎌倉へ行かねばならないのは確かだった。

 本来なら高氏の役目だが、御所は足利が第二の北条になるのを警戒している。

 実質的な『武家の棟梁』の鎌倉入りを、黙って見送るとは思えなかった。





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