第七章 京の花 3.
3.
直義の落ち着いた様子を見て、顕家は、ほっとしたように胸に手をあてた、
「私は親王殿下を尊敬しておりますが、征夷大将軍の件は、如何なものかと思っております」
親王と足利とで争っていた経緯を知っているのだろう。
直義を気遣うように、顕家が話し始めた。
「古の昔、征夷大将軍は宮中の官職でしたが、今はあくまで武家の官位。公家には公家のお役目があります。ましてや帝があれほどに反対されたのです。親に背くは、人の道にも悖りましょう」
力んではいないが、真摯なよどみない口調だった。
「成程。顕家殿は、その様にお考えになられるのですね」
直義の相槌に顕家は力強く頷く。
「考え方はそれぞれ違うかもしれませんが、私だけではなく、親王の将軍就任には、公家は大方反対しております」
直義は密かに驚いた。
そっと目を遣ると、正季が黙ったまま頷いた。少し厳しい表情だった。
「おかげであの方は、ますます孤独になってしまわれた」
ふうっと、顕家は息を吐いた。
「今日の宴にも来ておられましたが、誰とも……あれだけ御身を心配されていた正成殿とも話されず、早々にお帰りになられました」
今では傍に僧兵共しかいないと、顕家は哀しげに語った。
――皇族にも、僧侶にも、公家にも、武士にもなれない異形の皇子。
端正な顔を醜いまでに赤黒くして、高氏を罵っていた姿を思い出して、直義はふと、護良親王は何が欲しいのだろうと思った。
(還俗したというし、地位や名誉……もしかしたら次の帝の座に就きたいのだろうか?)
だが何を欲っするにしても、『征夷大将軍』では叶わない気がした。
忌み嫌われた足利の人間ができる話ではなかったが。
ひととき場が静まる。
目の前にいるのが、相談すべき相手ではないことに気付いたのか、やがて顕家がはっとして姿勢を正した。
「直義殿には、今一つお伝えしたき話がございます。本来でしたら、高氏殿に言うべき事かも知れぬのですが……」
宮廷へちょくちょく出入りする高氏と話すほうが、顕家にとって容易なはずである。
それにもかかわらず、自分への話ならばと直義も姿勢を正した。
「私でよろしければ、喜んで兄にお言葉を伝えましょう」
顕家は僅かな逡巡の後に、言葉を返した。
「高氏殿にお伝えするかどうかは、直義殿の判断でお願いします」
いったい何の話だと訝しく思いながらも、直義は「分かりました」と頷いた。
「昨日の事ですが、親王殿下が正式に、鎌倉から新田義貞殿をお呼びになりました」
直義は目を瞬かせた。
鎌倉にいる脇屋義助に対して、直義は幾度か文を遣わしていた。
此度の戦について後醍醐帝に、参陣や軍功などを記した『軍忠状』を上げろと促すためだった。
恩賞の申請だ。
まだ新田の当主、義貞は無位無官だったが、此度の働きを後醍醐帝に認められれば、低くない官位をもらえるはずだった。
(新田と軍事協定を結ぶ上で、義助と約したのは、『義貞が相応の官位を取るまで』、だ)
だから、まだ協定は生きていると直義は考えていた。
「護良親王が、ですか? 帝ではなく?」
帝ならば分かる。新田が軍忠状を提出し、それが認められたということだろう。
だが顕家はきっぱりと、親王だと明言した。
「書状を扱う司に、私の乳母の子がおり、確かに殿下の署名だったと聞いております」
(征夷大将軍として、配下の武家への下知と考えればおかしくはないが……)
おかしくないだけに、名実入り交ざった現状ではおかしな話だった。
「問題はその際、書状を運んできた者達が、『これで足利も終りだ』と軽口を叩いていたらしいことです」
唯の憎まれ口ならともかく、新田への召喚状と合わせて考えると、確かに問題になりそうだった。
「事の大小が私には判断がつきませんし、父に相談すれば帝に伝わってしまうでしょう」
大事になれば、また護良親王の立場は悪くなるかもしれない。
かといって黙っていれば、宮中で大きな騒ぎが起こる可能性を見過ごすことになる。
悪くすれば帝や、側近である彼の父上、そして中心にいるだろう親王自身も無傷では済まないかもしれない。
顕家の気持ちを、直義は正確に察した。
「もし何もなかった場合、当主である兄に言うのは憚られますね。この件は私のほうで調べましょう」
直義が請け合うと、胸の奥から絞り出すような顕家の声が聞こえた。
「……良かった。直義殿、助かります」
拝まんばかりに頭を下げる顕家を、直義は押しとどめた。
顕家は重い荷を降ろしたように、ふうっと息を吐き肩の力を抜くと、直義に向かい艶やかに微笑んだ。